第13話 喧嘩とビンタ

 次の日の朝。教室に入ると、俺の席の周りには人だかりが出来ていた。


 サッカー部だ。

 そいつらの姿を見た瞬間、俺は蛇に睨まれた蛙のように硬直してしまった。じっとりと、背中に嫌な汗が流れる。


「陸くん」


 俺に気付いた加美ちゃんが、名前を呼んでくる。


「サッカー部辞めたって、本当?」


 心配そうな、悲しそうな表情。

 加美ちゃんは優しいから、俺なんかにも気を遣ってしまうのだろう。


 すると、加美ちゃんの声で気がついたのか、サッカー部の面々が俺の方へ振り返った。そして中央に居た人物が、一歩俺の方へ近づいてくる。


「……東也」


「陸」


 東也は、俺の名前を呼んだ。淡々と、呼んだ。加美ちゃんとのことを形だけでも謝るとか、反対に退部を怒るとか、何かしらの反応があると俺は勝手に思っていたが、彼は冷静だった。


「どうしてサッカー部辞めたんだ?」


 すると、東也は答えの分かり切った質問を俺にした。


 ここには加美ちゃんを含めたクラスメイトが居るし、サッカー部の後輩達も居る。そんなこと、答えられるはずもない。

 俺は口をつぐんだ。


「どうしてだよ」


 東也は繰り返し、俺に尋ねた。


「心当たりは無いのかよ」


 俺は、言外に「お前のせいだよ」という意味を込めて、こう返事をした。自分の声に怒気が含まれていることに気付く。


 東也を責めてもどうにもならないのは分かっている。

 それでも、俺は東也を睨んでいた。


「だからって辞めることないだろ」


 東也は縋るような目で俺を見る。しかし、俺の敵意ある視線に気がついたのか、直ぐにハッとした後、目を逸らした。


「そんな程度だったのかよ」


 東也の口調が、段々荒くなる。焦って、苛立っているような口調だった。後ろに居る後輩達は、俺達の様子を黙って見ていた。間違いなく何の話をしているか分からないだろう。


「そんな簡単に捨てられるものだったのかよ! サッカー部は!」


 東也は俺を怒鳴りつけた。

 最初、俺は東也が冷静だと思った。しかし、それは違ったのだ。コイツは、ただ堪えていただけで。本当は、腸が煮えくり返っている。


「……俺は」


 何か、言葉を返さなければ。

 そう思った瞬間、俺の頭に浮かんだのは色麻の顔だった。


「俺は、やりたいことが出来た。だから、サッカー部には戻らない」


 そうだ。俺は、異世界へ行く。この世界を捨てる。その前に、やりたかったことは出来る限り全部やる。

 部活動は、俺の優先順位でそれより下位だった。それだけのことだ。


「それが本当なら応援する。でも、違うだろ!」


 しかし、東也には俺の本心が嘘のように感じられたらしい。更に怒りを加速させ、東也は声を荒らげる。


「女に振られたくらいで、女々しいんじゃねぇのか!」


 東也が、俺の胸ぐらを掴んだ。


 瞬間。

 

 視界が白くなって、脳がくらりと揺れた。


 気付くと、俺の拳は、東也の顔面に叩き込まれていた。


「てめぇがそれを言うなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 俺は、叫んだ。人を殴ったのなんて、初めてだ。でも、後悔はなかった。だからといって、気持ちのいいものでもない。拳が痛いし、肩もおかしな感じがする。


 でも、止まらない。


「本当に振られただけで俺が落ち込んでるとでも思ってるのか! だったらお前は大馬鹿だ! 好きな人と親友をどっちも失ったから落ち込んでんだよ! 教えてくれりゃあ死ぬほど悔しがりながら祝えたかもしれないのに、結局信用されてなかったことに気付いたから落ち込んでんだよ! 親友だって思ってたのが自分だけだったから、恥ずかしくて会わす顔がねぇんだよ!」


 倒れた東也へ馬乗りになって、俺は声が掠れるほど大声を出した。

 椅子や机が倒れている。遠くの方で「先生呼んでくる!」という声がした。


 東也は俺の叫びを聞いて、じっと俯いていた。身体に力も入っていないようで、死体のように地面に寝転っている。


「……なんとか言えよ。それとも、今まで通り肝心なところは全部だんまりか?」


 俺は東也の髪を掴んで、顔を無理やり上げさせた。

 これがアドレナリンってやつなんだろうか。激しい怒りと共に、謎の高揚感がある。止めようと思っても、身体の方が止まってくれない。


「言えるわけねぇだろうが!」


 東也が髪を掴まれたまま突っ込んでくる。馬乗りになっている俺を持ち上げて、東也は立ち上がった。俺は体勢を崩し、頭から床に落ちる。全身を貫くような痛みが走った。


 今度は東也が上になる番だ。直感的にそう感じる。こんなに怒った東也は初めて見た。それに、こんなにも攻撃的な自分も、初めてだ。


 東也が拳を振り下ろそうとする。

 俺は思わず目を閉じて……。


「亘理くん」


 拳は、俺の顔に届かなかった。代わりに、淡々とした声がする。


 目を開くと、俺の前には色麻が居た。


 色麻は、東也をビンタしたようだった。頬を打たれて東也は呆然としているし、教室に居る俺を含めた全員が、彼女の登場に驚いている。


「誰……?」


 東也が怒りを忘れ、純粋な疑問を呟く。


「色麻 真結」


 色麻は堂々と名乗りを上げた。東也は別に名前を聞きたかったわけじゃないと思うんだが。


「お前ら、何やってんだ!」


 沈黙が訪れた教室に、先生がやって来る。


「喧嘩です」


 何故か、色麻がいの一番に答えた。

 無敵かよコイツ。



 



 その後、俺と東也は個別に説教を受けた。色麻は喧嘩を止めてくれたということでビンタについては不問のようである。


 生徒指導室なんて初めて入ったから、異世界に行く前に行けて良かった。いや、嘘だけど。あんなところ二度と行きたくない。


「今度から気をつけなさい」


 しかし、説教は思っていたよりか直ぐに終わった。殴りかかったのは俺からだし、もっと何か言われるかと思っていたのだが。

 もしかしたら、先生には俺の心からの後悔が伝わったのかもしれなかった。


「はい、気をつけます」


 あれだけ暴れておいて何だが、俺は物凄く反省していた。

 何故あそこまで激昂してしまったのか。


「今日はもう帰りなさい」


 教室に戻っても、空気を乱すだけだと思われたのだろう。先生は俺に帰宅を促した。


「……はい。失礼しました」


 頷いて、俺は生徒指導室を出た。きっと親にも連絡が行っているだろう。どう説明したものか。まさか正直に女の子と親友に振られましたなんて言う訳にもいかないだろう。


 既に授業中になっており、校内は静まり返っていた。


 東也も帰宅を命じられているんだろうか。

 明日以降、異世界に行くまでにアイツに出くわしたら、俺はどんな顔をすれば良いのだろう。


 困った。本当に、困った。


「……ん?」


 昇降口で靴を履き替えていると、柱の裏に人影があることに気が付く。風でふわりと揺れた髪に、見覚えがあった。


「色麻、どうしたんだ」


 不自然に思われるからサボりは厳禁なんじゃなかったのか? しかし、色麻の今の様子を見るに、そんな余裕も無さそうだった。

 顔は見るからに青ざめているし、肩の震えが止まらない様子だ。


「私、完全にやらかしたわよね」


 色麻は自分の右手を見つめる。東也にビンタを食らわせた手だ。


 思えば、不思議だった。あれだけ人馴れしていない様子だった色麻が、教室中の注目を受けつつ大立ち回りなんて、普通じゃ考えられない。

普段からそうなら、小学生に話しかけられて助けを求めるなんてこと、ありえないはずなのに。


「やらかしたというか、注目の的にはなったんじゃないか」


「教室に帰りたくないわ……」


 伏し目がちになり、口だけへらっと笑う色麻。もう笑うしか無いといった心情なのだろう。

 まぁ、確かに色麻のクラスにも話は行っているだろう。興奮していたから記憶が定かじゃないが、結構ギャラリーが居た気がするし。


「そんなに後悔するなら何であんなことしたんだよ」


「多分、貴方と同じ」


「俺と?」


 首を傾げると、色麻はこくりと頷いた。


「あの人に腹が立ったから、衝動的に、ね」


 色麻は東也のことを思い出したのか、眉間に皺を寄せた。


「あまりに勝手な言い分だと思うわ。隠してたことがバレて、貴方が思い通りにならなくなったから怒っているのよ。私、傲慢な人が一番嫌い」


 色麻は俺達の喧嘩を聞いて、東也のことをそう評した。正直、俺もそう思えなくもない。


 でも。


「そうかも知れないけど、俺が怒った理由は、きっと図星だったからだ。俺は女々しいやつだよ。一つの失敗で、何もかも嫌になっちまった。東也の力を借りて、人生が急に上手く行って。望むものが全部手に入るような錯覚を起こした。傲慢なのは、俺も同じだ。東也無しの本当の俺は、何も出来ない奴だったのに」


 東也が初めに友達になってくれたから、俺は友達が作れた。好きな人が出来た。


 仮に駄菓子屋で俺達が出会わない未来があれば、今みたく絶望しない代わりに、何もない人生が待っていただろう。


「本当でも嘘でも、あんな言い方って無いでしょう」


 色麻は結構怒りが長続きするタイプのようで、まだ唇を尖らせている。

 自分のためにここまで感情を見せてくれる人が居るのは、素直に嬉しかった。


 もしかしたら俺と色麻は、友達と呼んで差し支えない間柄なのだろうか。話し始めたのは二日前だが、色々な秘密を打ち明けた。仲がいいと言っても、おかしくないと俺は思う。


 とするならば、色麻はもしかすると、俺が東也に頼らず初めて作った友達なのかもしれなかった。


「ありがとうな」


 心の底から、すっと出てきた言葉だった。

 色麻は大きく目を見開いて、三度瞬きをすると


「衝動的って言ったでしょう。私が勝手にやったことだから、気にしないで」


 そう言って、目を逸らしたのだった。

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