第12話 昔話と昔話
「なんつーか、色麻。悪かったな」
子供と別れた後、俺は色麻に心から謝罪をしていた。
色麻は見た目通り少食な奴らしく、早々にグロッキー状態になっている。お菓子を山盛り食べるなんて普通の人でも胃がやられそうなのに、付き合ってくれて感謝しかない。
「……いえ、手伝うと言ったのは、私だから」
色麻はそんなことを言いながら、俺の顔をじっと見ていた。それはもう不思議そうに、じっと。
「どうかしたか?」
聞くと、色麻は視線を遠くへ向けた。小学生達が歩いていった方角だ。
「亘理くんって、見知らぬ人に話しかけるのが平気なのね」
色麻は、本当に小さく笑った。自嘲的な笑みだった。
「いや、見知らぬ人に話しかけるのはどちらかというとお前の専売特許だろ」
ハートが強くなきゃ見知らぬ人に「異世界に行きましょう」なんて言えないだろうに。
「でも……私は、あんなふうに仲良くは出来なかったわ」
胸のあたりをギュッと押さえて、色麻は俯いた。
仲良く出来なかった。
当たり前だ。俺だって、色麻と最初会った時はヤバい奴だと思った。まぁ、実際本気で異世界に行こうとしているヤバい奴なのだが、それ以上に、話が通じる気がしなかったのだ。
ただ、今なら何となく分かる。
多分、コイツは単に滅茶苦茶緊張していたのだろう。異世界のことを分かってくれそうな人を前にして、気が急いていたのだろう。
何だかそれは、昔の自分を見ているようで。
「俺だって、昔は人と話すのがすごい苦手だったんだぞ」
気付けば俺は、昔話を始めていた。
「そうなの?」
「あぁ。小さい頃からずーっと、ばあちゃんっ子でさ。ばあちゃんが死ぬまでは、ずっとべったりで、誰かと遊んだりもしなかったんだよ。そんで、友達の作り方とか、全然分かんなかった」
「え……」
「それからずっと、中学二年生までぼっち。家に閉じこもるか、たまにばあちゃんと行ってた駄菓子屋に行くくらいの生活だった。人と話そうとすると心臓が痛くなったから、あの頃の俺は色麻より酷かったかもしれない」
そうだ。思い返してみれば、俺は信じられないくらい情けない奴で、事務的な挨拶さえ出来ないくらいだった。今よりずっと前髪が長かったし、死んだ目をしていた。
「……嘘をついていないでしょうね」
色麻はとても信じられないといった様子で俺を見る。
「生まれてこの方ずっと明るくて楽しい人生だったら、振られたくらいで異世界に行こうとしねぇよ」
俺は乾いた笑みを浮かべて、夕暮れに染まる空を見た。
「中二まで、と言っていたわね」
「あぁ」
「じゃあ、そこで何かがあったの?」
色麻の質問で、俺はあの瞬間を思い返す。
何時も通り、一人で駄菓子屋に来た日のこと。普段は皆部活をしているから、クラスメイトと会うことなど無いはずなのに、その日だけは、違った。
いけ好かない、人気者のサッカー部員が居たのだ。あっちも一人だったのに、俺はどうしてか自分が一人で駄菓子屋に居るのが恥ずかしくなって、彼から逃げようとした。
しかし、その試みは失敗する。
単純に、狭い店内だからバレてしまったのだ。
「あ、その駄菓子美味いよな!」
そのサッカー部員……東也は、俺にそんなふうにして話しかけてきた。話したことの無いクラスメイトである、俺に。まるで友達みたいに。
俺はひどく驚いて、そしてそれから、嬉しくなった。教室の隅で縮こまっていた臆病者の自分の存在が、認められた気がしたのだ。
そして俺と東也は、友達になった。
東也を通じて、俺の世界は広がった。東也の友達と話すようになって、一人で居なくても良くなって、俺はこの世界の違った側面を知ったのだ。
一人じゃない世界は、美しい。
それを教えてくれたのは、東也だった。
「まぁ、そんなことがあってさ。本当に、感謝してるんだ、東也には」
その時のことを思い出すと、今でも胸が熱くなる。公園に吹いた風が、俺の前髪を揺らして、視界が広がった。
色麻は黙って、俺の昔話を聞いている。
「それから俺は、生まれ変わったみたいだった。ちょっとずつ、明るくなって。人と上手に話せるようになった。そんで、諦めてたはずの恋愛とかにも、興味が出たりしてさ。仮にフラれたって、良い思い出になる気がしてたんだ。加美ちゃんって、本当にいい娘だからさ。だから、思わなかったんだよ」
俺は拳を、強く握りしめた。
強く、強く。
「俺が二人の幸せの邪魔になってるなんて、考えもしなかったんだ。でも、実際は、俺は要らない奴だった。恩を仇で返す奴だった。この世界に、望まれない奴だった……」
結局、俺を必要とする人など、居なかった。
俺が怒るべきは、東也でも、加美ちゃんでも無かったのだ。自分の無力さにこそ、怒るべきだった。
俺はこの世界にあまりに無力だ。人気者の東也には幾らでも友達が居るし、加美ちゃんを狙う男だって、幾らでも居る。
「ごめんなさい、辛いことを思い出させて」
色麻が俺の拳に触れた。彼女の中指は汗ばんでいて、少し温かい。
「いや、俺こそ変な話をして……」
「でも」
俺の返事を遮るように、色麻が俺の目を真正面から見る。
「一つだけ違うことがあるわ」
「違うこと?」
俺の問いかけに、色麻は俺の拳を両手でギュッと包み込んだ。
「私は、貴方を望んでいた。ずっと、望んでいたわ。貴方と異世界に行くのが運命なんだって、今はそう思ってさえいるの」
真顔で、なんてことを言うのだろうコイツは。
「手、恥ずかしいんじゃなかったのか?」
何だか照れてしまって、つい茶化してしまう。
「今は、良いの」
しかし今の色麻には通用しないようで、俺の手に触れている手の力は増すばかりだった。
しばしの沈黙があって、色麻が秘密を打ち明けるように、囁いた。
「私の話も、聞いてくれる?」
私の話。
きっと、色麻が異世界に行きたくなった理由ということだろう。
それについては、俺も気になっていたことだった。異常なまでに異世界に執着するのは何故かというのは、ずっと謎だった。それに、異世界へ行く方法を知った経緯も、よく分かっていない。
俺はゆっくり頷いた。
色麻は安堵した様子で小さく息を吐いて、それから顔を上げた。視線が俺から少しズレて、公園の何処かを見ようとする。
「コンビニの袋……」
色麻は殆ど無意識のように呟いた。
振り返って、色麻の視線の先を見る。そこには、大学生と思しき女性がコンビニの袋をぶら下げて歩いていた。
「コンビニがどうかしたのか?」
あれはこの町に多数あるコンビニチェーン『ビックストップ』の袋だ。そういえば昨日寄ったコンビニもビックストップだったか。
「私、コンビニ袋を見ると、お母さんを思い出すの」
俺は色麻がコンビニの袋を見ているのだと思っていた。しかし、違った。彼女の焦点は、もっと遠くに合っていたのだ。
「お母さんは稼ぎのないお父さんのために、コンビニで働いてた。ずっと、ずっとへとへとになるまで頑張ってたのよ」
遠い昔を懐かしむ表情だった。大切な宝物を誇るような、そんな声音。
「でも、十年前の、七月十三日。お母さんは消えたの。私もお父さんも置いて、何処かへ行ってしまった」
そう言えば、色麻の家に行った時、深夜にもかかわらず、居るのは父親だけのようだった。それに、あの時間が止まったような部屋。あれは、母親のものだったのだろうか。
「お父さんは何処へ行ったのか検討もつかないと言っていたわ。けれど、書庫に忍び込んで、あの本を見つけて、私は気付いたのよ」
「……七月、十三日」
「そう。十年前の七月十三日。つまり……前回異世界へのゲートが開いた日なの」
色麻は恐らく、こう言いたいのだろう。自分の母親は異世界に行ったのだと。
「私は……私は、異世界に行きたい。こんなつまらない世界より、お母さんの居る世界へ」
色麻が異世界へ行けるということを信じているのは、母親のことがあったからなのか。
今までの疑問が腑に落ちる。
そして、母親にもう一度会いたいという色麻の話には、共感できる部分があった。俺の両親は未だ健在だが、もし居なくなったら、会いたくなるだろうとは思う。たとえそれが喧嘩ばかりしている親父でも。
色麻は語り口調からして母親のことを好いているようだし、母親に会うため頑張る姿はちょっといじらしくも感じる。
「……こんな話、人にしたのは初めてだわ」
少し照れくさそうに、色麻は自らの髪を撫でた。
今までぼっちだったらしいし、仲間になったのは俺が初めてのようなので、話す機会が無かったのも当然か。とにかく、色麻の動機と覚悟は伝わってきた。
「……よく考えたら、何で仲間を募ってたんだ?」
すると、一つ疑問が浮かんだ。早朝にあそび山へ行けば異世界へ行ける、という条件ならば、色麻一人でも何ら問題はないだろう。別にわざわざ必死になって仲間を探す必要は無いはずである。
「私の勘違いでなければ、この世界で上手に生きられない……現実に向いてない人って、沢山居ると思うのよ。もし別の場所へ行きたいというのなら、手伝ってあげたいと思っていたの。それで、一緒に別の世界に行けたら、楽しそうだなぁってね」
子供が語る夢物語のような話に、俺は口角が上がる。
確かに、楽しそうだ。
「あー」
俺は大きな声を出して伸びをした。色麻が突然の行動に肩をビクリと震わせる。
驚いた色麻の顔を正面から見据えて、俺は改めて笑みを浮かべた。
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