第9話 屋上と悩み

 四階にある図書室へ着く。扉を開くと、他に人は居なかった。一先ず、誰にも気付かれること無く色麻と会うことは出来るらしい。


「そんなに慌ててどうしたの?」


 カウンターで何かの書類に目を通していた司書さんが、こちらへ目を向ける。確

かに、こんなに急いで図書室に来る人間はそう居ないだろう。


「人を待つので、ちょっと早めに来たんです」


 急いだ理由は別のところにあるが、嘘は言ってない。


「へー、待ち合わせねぇ。……彼女だ」


 自信有りげに司書さんがにやりと笑う。女子っていうのはどうも色恋沙汰に関心がありすぎるきらいがあるが、大人の女性でもそれは変わらないらしい。

 しかし、残念ながら。


「違います」


「なーんだ、つまんない」


 司書さんは頬杖をついて、ため息を吐く。俺はその姿を見て、薄く苦笑いを浮かべた。


 きっとこういう類の人からすれば、今の俺みたいな状況は大好物だろうなぁ、なんて、そんなことを思う。


「亘理くん」


 すると、引き戸が強めに開き、色麻は唐突に図書室へやって来た。彼女も急いで来たのか、頬が微かに赤らんでいる。肌が白いのもあるが、色麻は顔色が変わりやすいのかもしれない。


「お、おう」 


 一直線にこちらへやって来る色麻へどう対応していいか分からず、取り敢えず力無く右手を上げてみる。


「行きましょう。時間は有限だわ」


 上げた右手をすぐさま捕まれて、俺はリードを付けられた犬のように色麻に引き摺られる。


「行ってらっしゃい」


 図書室を出る瞬間、司書さんが俺にそう言って、笑顔を向けた。

 きっと、下らない誤解を受けている。

 まぁ、司書さんにどう思われようと、関係無いか。


「色麻」


 人気の少ない図書室から音楽室へ続く廊下を歩きながら、俺は色麻の先を行く背中へ声を掛ける。


「なに?」


「流石に手をずっと繋いでいるのは目立たないか?」


 言った瞬間、彼女の手が妙な熱を帯びる。


 そういや、昨日手を触られて驚いてなかったっけ、こいつ。


 少し間があって、それから、手は離れた。俺は晴れて自由の身である。


「……そうね。ちょっと気が急いていたみたいで、申し訳ないわ」


 色麻は平静を装っているが、動揺しているのが見え見えだった。色麻の方に焦る理由など無いはずだが。


 そうして二人で歩くと、割と直ぐに目的地に着いた。


「さて、屋上だ」


 四階から階段を上がった先。そこには、屋上がある。昇降口の案内図によれば、そういうことになっている。


 実際のところ、俺は屋上に行ったことはないのだ。屋上と言うと告白とか果たし合いとか秘密のデートとか不良の溜まり場とか、創作において重要な役割を担うことの多い素敵プレイスだが、実際の高校生が行く機会があるかと言うと、あまりに少ない。


 学校での未練ということで、憧れの屋上に行ってみたい、というのが今日の目的だった。


「……施錠されてる」


「……そうね」


 しかし、屋上は普通に施錠されていた。丈夫そうな南京錠が、絶対に生徒を通さないといった雰囲気を醸し出している。


 その様子を見て、俺と色麻はがっくりと肩を落とした。


 考えてみれば、当然である。屋上なんて自殺志願者のメッカになりそうだし、事故だって起きそうだ。生徒に自由に開放するなんて、正気じゃない。


 何だかつまらない現実に気付いてしまった。

 やっぱりこの世界はままならない。なんて結論づけるのは、流石にこじつけじみているだろうか。


「先生に相談すれば、入れるかしら」


 色麻が南京錠をじっと見つめる。まぁ、鍵は間違いなく職員室にあるだろう。しかしただ入ってみたかったという理由で開けてくれるかは怪しい。


「そうだな……」


 折角だから、屋上には入りたい。何か理由をつけるとすれば……。




「あんまり長居するなよ。あと、職員室に居るから。出る時は必ず、俺に一言言ってくれ」


 屋上の風景を見回す俺たちに、遠田先生が声をかける。


「はい。ありがとうございます」


 俺が返事をすると、先生は下へ戻っていった。


「さて、何とか屋上に入れたな」


 何となく地上よりも強い気がする風を感じながら、俺は腕組みする。


「屋上から見る景色って、どうしてか新鮮だわ」


 色麻が屋上から見える町並みを見て、感嘆の声を漏らす。

 確かに、見慣れたはずの羽佐間市中心部が、学校の屋上からはやけに小さく見えた。自分の行動範囲って狭かったんだなぁ、なんてそんなことを思う。


「無駄にテンションが上がるな……」


 ぼーっと景色を眺める。


 眺める。


 眺めて、眺める。


 なんと、もうすることが無くなってしまった。考えてみれば、屋上は確かに色々なイベントが起きる場所ではあるが、俺と色麻だけでは何も起こしようがない。


 そうなると、屋上なんてただの高い場所である。馬鹿と煙は何とやら。自分が突然間抜けに感じてしまう。しかし憧れというのは、得てしてこういうものなのかもしれない。


「そういえば、何て言って先生を騙したの?」


 色麻がフェンスから軽く身を乗り出して下を覗きながら、俺に質問をしてきた。


「騙すとは人聞きが悪いな……。単に俺は、写真同好会を作りたい。活動の実績が欲しいから屋上で写真を撮りたいんです、って言っただけだ」


「いや、それ嘘でしょう?」


「志半ばで異世界へ行くから嘘にはならない」


 同好会の申請には一週間ほどかかったはず。申請を本当に出すとしても、認可された頃には会員は0人だ。


 色麻がくすくすと笑い出す。口元を手で軽く隠す仕草は、妙に上品だ。

 俺も少しだけ笑って、また景色を眺める。


「……あ」


 ふと、自転車置き場の近くに、加美ちゃんの姿を見つけた。遠くて顔も見えないが、バッグや髪色で何となく分かってしまったのだ。


 俺は、この期に及んでまだ彼女を目で追っているのか。


 自己嫌悪。


「どうかしたの?」


 隣の色麻が、俺の顔をちらと見る。


「……いや、別に」


 俺は目を逸らして、校庭へ目を向ける。

 そこでは、サッカー部が練習をしていた。


「……っ」


 酷く胸が締め付けられる感覚。


 彼らはもう、俺が辞めたことを知っているのだろうか。それとも、知らずに「遅いなぁ」「サボりか?」とか話しているのだろうか。


 しかし、俺は既にサッカーよりももっとやりたいことをするのだと決めてしまったから、もう戻ることはない。


 責められるだろうか。

 根性なしと罵られるだろうか。


 原因の東也はともかく、後輩達にはかなり罪の意識を感じてしまう。自分で決めたことの癖に、なんて無責任なんだろう、俺は。


「はぁ……」


 景色を見る気は失せた。

 街の方を見ても、いちいち嫌なことを思い出してしまいそうな気がする。だから、もう止めよう。


 俺はふと、空を見上げた。

 周りに邪魔なものが無いせいか、空は地上で見るそれを比べて、妙なほどに広く見える。

 何か良くわからない衝動に駆られて、俺はざらついたアスファルトに思い切り寝そべってみた。


「……急に寝転がらないで貰える?」


 色麻は右手でスカートの裾を押さえる。しまった。隣に居る人物の服装まで考えていなかった。


「……屋上で寝てるのって、不良っぽくて格好良くないか」


 沈んだ気持ちを誤魔化したくて、適当なことを言ってみる。


「背中が痛そうね」


 色麻がぽつりと呟く。

 確かに、アスファルトの上に寝るのは痛かった。我慢できないって程じゃないが、熟睡するのは無理だろう。


 やっぱり不良ってのはその是非は別として、根性が無いと出来ないんだな。


「広い空を見ると、自分の悩みがちっぽけに思えて気が楽になるって、よく言うだろ?」


 流れる雲をじっと見て、俺は独り言のように話し始める。


「そうね、聞いたこと、あるわ」


 色麻が相槌を打つ。


「でも、俺は別に気が楽になったりしない。むしろ、ちっぽけな悩みにこれだけ苦しめられる自分の弱さに、ほとほと嫌気が差すだけだ」


 そもそも、悩んでも仕方がないことなのに。


 加美ちゃんと東也がキスするような関係なのは明らかな事実であって、俺が頭でどれだけ考えてもそれを覆すことは出来ない。


 女性なんて星の数ほど居るし、きっと客観的に見れば、俺の抱えているものは大した問題じゃないのかもしれない。ちっぽけなもんだ。もっと深刻な悩みを持つ人は、幾らでもいるだろう。


 でも、だからといって悩んでいる自分が消えるわけではなくて。

 自分の情けなさだけが浮き彫りになる形だ。


「悩みの深刻さなんて、感じ方によるでしょう」


 淡々と言うので感情が読めないが、色麻が慰めのような言葉を吐く。

 俺は返事もせずに、しばらく空を眺めた。


「それで、屋上への未練は無くなった?」


 それから数分後、色麻が俺に難しい質問を投げかけてくる。


 ううむ。


 一生分の屋上を堪能出来たかと言われると、何だかそうじゃない気がする。しかしだからといって、他にすることも思いつかなかった。

 取り敢えず、だだっ広い空を見れたのは、良かったと思う。


「先生に言い訳するために、写真を数枚撮っておくか」


 俺は起き上がって、携帯を取り出す。写真のことなどよく知らないし興味もないので、周りの風景を撮ってみる。


 目で見ると結構良い景色だったのに、写真にすると陳腐なことこの上ない。いや、俺に写真のセンスが無いからなのかもしれないが。


 人物が居るとまた違うのだろうか。

 思い立って、色麻の撮影を試みる。


「やめて」


 両手で顔を隠す色麻。どうやら写真は嫌いらしい。まぁ、好きじゃないだろうなぁ、とは何となく思っていたけれど。


 そして俺たち二人は、人生初にして恐らく最後であろう屋上を後にした。

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