第7話 あそび山と扉
「心が決まったのなら、準備をしましょうか」
色麻は心から嬉しそうに微笑み「ちょっと待ってね」と言って部屋を出た。立ちっぱなしも何なので、俺は置かれているソファに座って色麻を待つことにした。
それから何かドタドタと音を立ててしばらくした後、色麻は二冊のノートを抱えて部屋に戻ってくる。一冊は、使い古された薄ピンクのもの。もう一冊は、新品で青の色違いだった。
「貴方に、これを渡すわ」
色麻が俺に向かって新品のノートを差し出す。表紙には『未練ノート』といかにも女子らしい丸文字で書かれている。
「未練ノート?」
「そう。異世界に行く前にこっちでしておきたい事を記すノートよ」
色麻がまるで当然のことのように言う。
まぁ、言わんとしていることは分かった。仮に異世界へ行けるのならば、あと一週間でこの世界とはおさらばするという訳だ。その前にこの世界での未練を無くしておこう、という話だろう。
「私は長いこと未練ノートを書いて、実行しているから、もうあまり未練は無いのよね」
色麻がピンク色のノート、恐らく、彼女のものであろう未練ノートをパラパラと捲る。
「参考までに、お前のノートを見せてもらうってことは可能か?」
中身が気になってしまって、俺は色麻にそんな事を問いかけた。ただでさえ色麻が何を考えているのかは分かり辛いのだから、せめて望みくらい知りたいものだが。
「だめ」
色麻は未練ノートをパタンと閉じた。
「駄目なのか」
「プライバシーの侵害だから」
何だか小難しい言葉を使っているが、耳が赤くなっているところを見ると、とどのつまりは恥ずかしいのだろう。
ならば、無理して見るわけにもいかない。
しかし、未練、未練か……。
「まぁ、気が向いたら書いてみて」
悩んでいる俺の様子を見て、色麻は薄く笑う。
「それともう一つ。私の話だけじゃあ、本当に異世界に行けるかまだ半信半疑ってところだろうから、証拠を見せてあげるわ。ちょっと出るから、着いてきてくれる?」
そして俺と色麻はこっそりと家の外に出た。
目的地は、なんとなく分かっていた。
羽佐間市の子どもたちに大人気の、羽佐間市自然公園。通称『あそび山』だ。色麻の話ではあそこが異世界へ行くための場所になっている色麻は恐らく、俺に異世界への行き方を詳しく説明するため、移動しているのだろう。
「そういえば、心変わりの理由、聞かせてもらってなかったわね。まぁ、言いたくなければ、それでも良いけど」
色麻は俺の前を歩き、こちらを見ることもせずに口を開いた。
瞬間、事情を話すべきか否か、少し考える。
俺は、今日知ってしまった真実を相談する相手が居ない。友達がそう多くないものあるが、その少ない友達が大抵東也とも知り合いだからだ。
だが色麻は違う。加美ちゃんの話を信じる限り、ぼっちらしいから、俺の相談がどこかへ流れる心配はゼロである。
「……じゃあ、話すか」
誰かに話すだけで、少しは楽になるかもしれない。
俺は東也と加美ちゃんのことを、掻い摘んで話した。
本当に大切な二人が居たこと。
でも、結局それは、俺の思い込みだったこと。
改めて話してみると、本当に俺は自分のことばかり考えていて、情けない奴だったんだなぁ、と、そんな風に思う。
話している間、俺はゆっくりと歩いて、色麻の反応を見ることはしなかった。どんな風に思われるか、怖かったのだ。
「まぁ、こんな感じで……」
俺は粗方話し終えて、それから初めて、色麻はこちらを振り向いた。
「……辛かったのね」
色麻の顔を見て、俺はぎょっとした。
彼女は、泣いていた。鼻水だらだらの、子供みたいな泣き顔だった。
「幾ら何でも感受性豊か過ぎないか!?」
目の前で女子が泣いているシチュエーションなんて初めてのことだったので、俺はかなり慌てた。どうすべきなのか、分からない。
「だって。どんなに悲しかったんだろうって思うと……」
鼻を啜って、色麻は顔も知らないだろう東也を虚空に見て、睨みつける。単純すぎるだろうと驚く反面、俺は色麻の態度が嬉しくもあった。
あぁ、分かってくれるんだ、と、そう思った。
「私、決めた」
色麻が小さな握りこぶしを益々固くする。
段々と、あそび山の入り口が見えてきた。
「貴方の未練を無くす手伝いをする。そして二人で異世界に行って、こんな世界忘れて、楽しくやりましょう」
色麻が俺へ手を差し伸べる。
その時の彼女は、妙に凛々しい表情で。
この手を取ったら、もう戻れない。なんとなく、そんな気がした。
「……ああ。行こう、異世界!」
俺は、色麻の手を取った。
「ひゃっ!?」
色麻が肩をびくりと震わせる。
覚悟を決めて取った手を外されてしまった。
「……え、何で驚いたの」
「急に手を触られたから……」
「いや、そういうつもりで手を差し伸べたんじゃないのか」
手を向けられたら普通そういう意味だと思うんだが、よく考えると色麻を常識で考える方が間違っていたのかもしれない。
「いや、合ってるのよ。それで合ってるんだけど……思ったより、恥ずかしかったっていうか」
俺と触れた右手をじっと見つめる色麻。何ていうか、人馴れしてない感じが半端じゃないな。
何とも締まらない誓いである。
「と、とにかく、山頂まで行きましょうか」
色麻はあそび山の入り口に目を向ける。入り口の門は施錠されているようだが……。
「よいしょ」
色麻は当然のように塀をよじ登っていた。
まぁ、だろうとは思っていたけども。これ、誰かに見られたら一発アウトなやつだよな。
とはいえ、今更躊躇ったりはしない。
悩みを話したおかげだろうか。俺の頭には加美ちゃんと東也以外のものが入る余地が生まれたようで、もし異世界に行くならば、その前に何をしようかという妄想がちょっとずつ浮かんだ。
異世界に行くならば、この世界の海を見ておきたい気がするし、食べたいものも沢山あった。考えてみると、一つの世界を捨てるのに、一週間という期間はあまりにも短い。
「学校に行く時間さえ無駄な気がしてくるな」
山頂に向けて歩きながら、ふと呟く。
この世界でずっと生きるのでなければ、学校に行くことは無駄だ。だって別に、俺は望んで勉強している訳じゃない。きちんと勉強しないと碌な未来が待ってないと言いつけられているから勉強しているだけだ。
「でも、あまり怪しまれるような行動は控えたほうが良いわ。何処で計画がバレるか分からないでしょう」
「いや、お前色々な人に『異世界に行かない?』って言ってたんじゃないのか」
加美ちゃんの話では、確かそうだったはずだが。
「口先で言っているのと実際に徒党を組んで学校をサボるのとではワケが違うわ」
綺麗に切り揃えられた髪を弄りながら、色麻は自信満々にそう答える。
「そうは言っても、捨てる世界でどう思われようと構わないんじゃないか?」
立つ鳥跡を濁さず、というやつだろうか。色麻がそんな殊勝な心がけをするとは思えないが。
「でも、私達の活動が問題視されるようなら、当日に外出を禁じられる可能性もあるでしょう? これから二人で五日間学校をサボったら、間違いなく色々勘繰られるに決まっているわ」
色麻は腕組みして、ふんすと鼻息を荒くする。
自慢げな表情。
素直に感心する気持ちもあるにはあるが、仲間ができた時のために色々な対策をずっと考えていたんだなぁと微笑ましく感じてしまった。
「……なに」
俺の反応が思っていたのと違っていたらしく、色麻は俺を半目で睨む。
「いや、よく考えてるなぁ、と」
そう思ったのも、決して嘘ではない。
正直に伝えると、色麻は少しだけ目を大きくして、それからまた、前方に視線を戻した。どうやら、機嫌は治ったようである。
とにかく、学校をこれからずっとサボるというのは難しい、ということは分かった。なら、まずは学校でやっておきたいことを考えるのも良いかもしれない。
そんなことを考えつつ歩いていたら、いつの間にか俺達はあそび山の山頂に着いていた。山とは言っても所詮は公園。草木は多いし坂も急だけど、そこまで険しい道な訳ではない。
「向こうにある獣道からも山頂に来れるから、もし追手が居たらその道を行くのも良いかもしれないわね」
色麻が来た道と反対にある、本当にただ草をかき分けただけのような道を指差す。
「いや、追手ってなんだよ……」
「異世界の情報を狙う組織とかがあるかもしれないじゃない」
中二病かよ。とツッコミを入れたくなったが、異世界に行きたがっている時点で俺も同類だった。
「覚えとく」
脱力してそう返事をすると、色麻は満足げに頷く。
「さて……」
色麻は山頂にある地蔵の前に立った。この地蔵はいつ出来たのかよく分からず、子どもの付添で来た人や散歩をするご老人が置いたのか、周りには十円の山ができている。
「このお地蔵さまがどうかしたのか?」
「これは、ただの地蔵じゃないの」
色麻は部屋着のポケットから何かメモを取り出した。
どう見てもただの地蔵だけどな。どう見ても石で出来ているし、小さい頃から見ているから、何かおかしな部分が無いことも俺は知っている。
「我、異世界を志す者なり」
色麻が地蔵の頭に手をかざすと、辺りは青い光に包まれた。俺はあまりに驚いて、尻餅をつき、物凄く情けない体勢でその光景を見る。
色麻と地蔵から出る青い光は、明らかに手品か何かのようなちゃちなものではなかった。視界の全てが薄く切ったサファイアで透かしたようだった。
光は益々強くなっていき、そしてその光の向こうに、扉が見えた。金と宝石で装飾された、白い両開きの扉。
そのあまりの美しさに手を伸ばそうとすると、瞬間、光は跡形もなく消えていた。そして目の前に広がるのは、夜の寂しい景色だけ。
「なんだったんだ、今の……」
俺が呆然としていると、色麻が俺に笑いかける。
「見たでしょ? 異世界へは行けるわ! 全部古書の通り。七月十三日に、あの扉は必ず開く!」
色麻は興奮した様子で、俺の袖を掴んでブンブン揺らした。
しかし俺はというと、現実からかけ離れた体験をしたせいか、未だに実感が湧かない。
ただ、ぼんやりと、何かすごいことが起こってしまったということだけは、なんとなく分かっていた。
「私達は一緒に、この世界を旅立てるのよ」
色麻は恋する乙女のような表情で、真っ暗な空を見上げた。
本当に、そんな世界があるのだろうか。でも、あの青い光と、美しい扉。あれが異世界への入り口なのだとすれば、きっとあの向こうには素晴らしい景色が広がっているだろう。そんな確信めいた予感が、俺の中にはあった。
「うん、そうだな。決めた」
俺が一人頷くと、色麻が首を傾げる。
「どうかしたの?」
「いや、退部届ってどこで貰えるのか、思い出してた」
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