第6話 お宅訪問と古書

 電話をした後、色麻は俺に自分の家の場所を懇切丁寧に教えてくれた。幸い、そう遠い位置ではなかった。寧ろ、結構近いくらいだ。


 制服で外に出ると補導されるかもしれないので、俺は適当な部屋着を着て家を出た。既に寝ている両親を起こさないように、足音を殺しながら、ゆっくりと。


 そして、俺は夜道を歩いた。

 こんな時間じゃ誰も居ないだろうと思っていたが、サラリーマンや大学生みたいな人達が、思ったよりもちらほら見える。


 俺は何をしているんだろうか。


 好きな人を親友に取られ、昨日初めて話した、どうかしている同級生の家に行こうとしている。


 ここまで来たら、とことん堕ちてみるのも面白いかもしれない。


 そんな事を考えつつ歩いていると、十五分くらいで『色麻』とある表札が見えた。かなり立派な家だ。暗くて家の全体像はぼんやりしているが、とにかく大きい。瓦屋根が綺麗だし、塀で隠れているが、庭には立派な松の木があるようである。有処正しい名家、といった出立だ。


「これ、本当に色麻の家なんだよな……」


 豪華絢爛な和風の家と、異世界がどうのとか言っていた色麻の姿がどうにもミスマ

ッチな気がしてならない。いや、裕福な家庭で自由に育てられたからああなったとも考えられるか。


 一人で納得しながら、取り敢えずインターホンを鳴らしてみた。すると、扉が直ぐに開いた。中には色麻一人だけである。もしかして、ずっと扉の前で俺が来るのを待っていたのだろうか。


「お邪魔します」


 色麻の家は、外観だけでなく、勿論内装も立派だった。てっきり俺は古い家なのかと思っていたが、建て替えたのか新しいのか、全体的にピカピカ。こんな家に入ったことなど無かったので、どうしても恐縮してしまう。


「気にせず上がって」


 色麻は慣れた様子で、長い廊下をずんずん進んでいく。俺はそれに着いていくのみだった。


「どうして貴方が心変わりをしたのかは、まぁ、追々聞かせてもらうとして。まずは歓迎するわ」


 色麻は振り返って、こちらをちらと見た。


「まぁ本当に異世界に行けるとは思わないが、興味が出てきてさ」


 俺が何気なくそう言うと、色麻は立ち止まり、身体を俺の方へと向けた。


「異世界へは、行けるわ」


 色麻は、真顔だった。冗談を言っている感じは、一切ない。


「行けるのよ。信じていないようだから、たっぷり言ってあげる。異世界は、行けるもの。それは揺るがない事実なの」


 大した自信だ。何か根拠でもあるのだろうか。そこら辺を聞いてみようとすると、家の何処かで扉が開く音がした。

 その音に反応して、色麻が俺の手を取る。


「隠れて!」


 色麻は俺の手を引いて、一番近くにあった部屋に入った。


「隠れてって、一体どういうことだ」


「お父さんが離れから戻ってきちゃったみたい。年頃の娘が男子を家に連れ込むなんて、まともな親なら許すわけないでしょ」


 色麻が至極当然のことを言っていた。

 普通に「私の家に来て」なんて言うから、てっきり家に一人なのかと思っていたが、どうやら違ったらしい。まぁ離れがあったりするらしいし、ここまで大きい家ならバレない可能性もあるか。


「……あれ」


「どうかしたの?」


「いや、俺思いっきりインターホン鳴らしたんだけど」


 そうなのだ。確か、俺はこの家に入る前、インターホンを鳴らしている。宅配業者にしては非常識な時間だし、色麻のお父さんが違和感を覚えてもおかしくないと思うのだが。


「それは大丈夫、お父さんは作業中何も聞こえなくなるから」


 色麻が当たり前のように答える。作業って、こんな深夜に一体何をしているというのだろう。

 そこのところを聞こうと口を開くと、色麻に口を塞がれた。


「静かに」


 色麻が身体を寄せてくる。どうやら、俺が動いて余計な音を立てないように注意しているようだったが、思い切り逆効果だ。


 太ももや胸が当たっているし、今にも逃げ出してしまいたいくらいだ。

 気を紛らわせようと、俺は部屋を観察することにした。入ったときには真っ暗のように思えたこの部屋も、次第に目が慣れたのか何があるのかくらいは見える。


 本棚と、机。歌手のポスター。凄く一般的な女性の部屋といった感じだ。一瞬色麻の部屋なのだろうかとも思ったが、どうやら違うらしい。何となくだが、この部屋には生活感が無いのだ。綺麗にされてはいるが、人が居るような感じがしない。


 まるで、この部屋だけ時が止まっているような……。


「……そろそろ、大丈夫かしら」


 色麻がそーっとドアを少しだけ開き、外の様子を見る。それから彼女は振り返って、頷いた。どうやら父親は離れに戻っていったらしい。


「それじゃあ、行きましょう」


 色麻と、再び長い廊下に出る。また歩いている途中に父親が来たら嫌だなぁなんて思っていたが、目的地は隠れた部屋から直ぐそこだった。


 その部屋は、書庫のような部屋だった。全面に天井まで付きそうなほど大きな本棚がある。よく観察すると、その本は全部、羽佐間市の異世界伝承についての本だった。


「これよ」


 色麻がその中から取り出したのは、とても古そうな一冊の本だった。見た目だけで言えば、博物館にでもありそうな雰囲気の本だ。


「これは、江戸時代に書かれた本で、ここら一帯の地主だった色麻家に代々受け継がれてきたものなの」


「江戸時代!?」


 色麻の淡々とした説明に、俺は思わず目を剥いた。

 本当に博物館に展示されるべきものなんじゃないか、これは。


「そもそも家の蔵には色々と古い物があったんだけど、私のお爺さんが随分昔に土地を売り払った時、その殆どは羽佐間市博物館に渡したのよ。でも、これだけはずっと家に残っている」


「なんで、これだけ残ってるんだ?」


 俺が首を傾げると、色麻は貴重な本を慣れた手付きでパラパラと捲る。


「……危険だからよ。ここには、別の世界へ行く方法が記されている。もし、この本が世に出回ってしまったら、この世界を出ようとする人がきっと大勢現れるでしょうね」


 どうやら色麻は、この本に書かれている「異世界へ行く方法」とやらを完全に信じ切っているらしかった。

 しかし、どうしてそう無条件に信じきれるのだろうか。


「本当に、この本の通りやれば異世界に行けるのか?」


「ええ。私は、実際に異世界に行った人を一人知っているから。間違いないわ」


 パタンと本を閉じ、色麻は真剣な瞳で俺を正面から見つめた。

 何となく、俺も見つめ返す。

 ……。

 色麻は耳をちょっと赤くして、目を逸らした。


「まぁとにかく、情報が確かなことだけは信用してもらっていいわ。今日から五日後の七月十三日、早朝。あそび山の頂上で、日の出の瞬間、私達は異世界へ行ける」


 咳払いをしてから、色麻は異世界へ行くための条件を話し始めた。


「五日後? それって、決まっているのか?」


「この機会を逃したら、次に行けるのは十年後ね。だからこそ、私は異世界へ行く仲間が直ぐに欲しかったのよ」


 色麻は「貴方が来てくれてよかったわ」と言い、薄く笑った。こうして見ると、普通に美少女なんだが、言動がアレだからなぁ。まぁ傷心中とはいえその口車に乗せられる俺も相当アレだけど。


 江戸時代の伝承で、しかも色麻の話が本当なら実際に行った人が居る。そう言われると、妙な説得力があった。本当に、ここではない何処かに行くことが出来るのではないか。そんな想像が頭をよぎる。


「そういえば、色麻は、どうして異世界に行きたいんだ?」


 急に異世界に行くことがリアルに感じてしまったことで、俺は色麻がこの世界を脱そうとしている理由が気になった。まさか色麻の方も男に振られしましたとかじゃないだろうな。


 すると、色麻は口元に手を当てて、しばらく思案した。理由が思いつかないと言うよりかは、どう話そうか迷っているというような様子。


「亘理くん。貴方は、この世界で上手くいった事と上手くいかなかった事、どちらが多い?」


 色麻が質問してくる。

 そんなこと、考えるまでもなかった。


「上手くいかなかった事の方が、多いよ。間違いなく」


 俺は確かに駄目なやつだけど、上手くいかなかった事が多い理由は、それだけじゃないと思う。


 子供の頃なんて、何にでもなれる気がしていたけれど。人は大人になるにつれて、自分の限界を知ってしまって。自分にはどうしようも無い事があると、理解してしまって。


 例えば、他人の気持ちなんて、自分がどうも出来ない最たる物だ。加美ちゃんに好かれようと努力は出来ても、結局誰を好きになるかは、加美ちゃんの自由で俺に決定権は無い。つまり、俺にはどうしようもないってことだ。


「私もそうだわ。というか、大体の人は、上手くいかなかった事の方が多いと答えるでしょうね。そしてこれからの人生も、大して上手くいかないことは、分かりきっているのよ。私には才能も、努力する気力も無いから」


 色麻は古書をぎゅっと抱き締める。


「古書にね、書いてあったの。こことは違う遠い世界は、魔法と愛に包まれていて、悲しみや苦しみの少ない世界だって。……私は、こんな先の見えた、つまらない世界で生きるのは、もうまっぴら。私は、もっともっと夢のある世界で生きたい。こんな上手くいかない世界に、これ以上居たくない」


 それは、色麻の心の一番奥から掬ってきたような言葉だった。


 何ていうか、俺は、色麻の言うことに酷く共感してしまって。


 俺は加美ちゃんと東也の一件で、改めて思い知ったのだ。自分は選ばれる側の人間では無いということを。

 そしてこれから先もずっとそうなんじゃないかと、そう思っていたのだ。


「色麻」


 俺は気付けば、目の前の彼女の名前を読んでいた。


「何?」


「行こう、異世界」


 俺は、この時確かに、異世界に行きたいと、そう思った。


 もっと楽しい世界。もっと上手くいく世界へ。


 もし行けるなら、誰だって行きたいはずだ。

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