第5話 絶望と通話
あまりにショックな光景に思わず、俺は押していた自転車から手を離してしまった。自転車は大きな音を立てて倒れる。二人だけの世界に入っていた東也と加美ちゃんも、その音に驚き、こちらを見た。
しまった。
俺は今、街灯に照らされている。
「……陸」
そして、俺は東也と目が合った。小声だったが、口の動きで、彼が俺の名前を呼んだのが分かる。
でも、俺は立ち止まらなかった。直ぐに自転車を起こし、走る、走る。サッカーをやっている時さえ、こんなに速く走れたことはないというくらいの速さだ。
そういうことだったのか。
絶望と共に、妙な納得があった。
俺が女でも、間違いなくそっちにいく。
俺が東也の立場でも、愛する人を選ぶかもしれない。
ドキドキも、幸せも、友情も。どうやら俺の青春は全部、独り相撲だったらしかった。
「あぁぁぁぁ!」
俺は近所迷惑も気にせず、走りながら叫んだ。勢いをつけすぎて、押している自転車と一緒にすっ転ぶ。
痛い。
ぶつけた脛より、擦りむいた膝より、心臓が痛かった。
その後、俺は何とか家に帰った。その時にはかなり遅くなっていて、心も身体もへとへとだった。
「……」
何も言わず自分の部屋に入り、鍵を閉める。勢いよくベッドに倒れ込んで、俺はその体勢のまま泣いた。一人きりの部屋に、泣き声が響く。高校生にもなって、あまりに情けない泣き方だった。
でも、実際俺は間違いなく情けなかった。
そして、そんな現状をどうすることもできなかった。
「夕飯食べないのー?」
それからしばらくした後、俺が帰ったのに気付いたのか、母さんが扉をノックしてきた。
「食べない」
鼻声でそう返事をすると、母さんが何も言わずに去る足音が聞こえる。返事をするために顔を上げたので、俺は改めて部屋を見る羽目になった。
勉強の机の上に、妙に派手な包み紙。
中には、加美ちゃんに渡そうと思っていた誕生日プレゼントが入っている。
ハートのティーカップ。
改めて考えると、なんてセンスの無いプレゼントだろう。慣れていないのに必至に考えた感があって、しかもちょっとした会話を暗記していたことが諸にバレていて、我ながら気持ち悪い。
俺は何を浮かれていたのだろう。
「くそっ」
俺は何の罪もないプレゼントを睨みつけ、ベッドを殴る。
「くそっ、くそっ、くそっ!」
俺はこんなにも怒っている。
何に怒っているのだろうか。
加美ちゃんに? 東也に? それとも、自分に?
全部だった。
身勝手なことに、俺は全部に怒っていた。たまたま手が届くのが自分だったから、自分をいじめているに過ぎない。この場に東也が居たら、俺は殴っているかもしれなかった。
しばらく俺は気の触れた猿のように振る舞い、それから、少しだけ冷静を取り戻した。
思えば、加美ちゃんはただ東也を好きになっただけで、俺に責められる謂れはなかった。しかし、東也は別だ。俺は東也に、幾度と無く恋愛相談をしていたのだ。勿論、加美ちゃんが好きなことも伝えていた。
加美ちゃんは可愛いから、東也が惹かれるのも、無理は無いと思う。東也は良い奴だから、二人が付き合うのも、そうおかしな話じゃない。
でも、俺に一言あっても良かったんじゃないかとは思う。正直に言ってくれれば、死ぬ程悔しがりながら祝福できたかもしれないのに。
俺は、東也に裏切られたのだ。いつから加美ちゃんとそういう関係だったのか知らないが、アイツは俺の恋愛相談をどういう気持ちで聞いていたのだろう。内心、嘲笑っていたのだろうか。
「……はぁ」
答えの出ない問に答えを出そうと、馬鹿なりに考え込む。しかし、東也の心の内など俺に分かるはずもなかった。
そうして冷静になると、自分がまだ制服だったことに気がつく。絶望的な気分なのに、どうしてか制服に皺が付くことを気にして、俺は制服のズボンを脱いだ。
すると、ズボンのポケットに何かが入っている感触がした。
取り出すと、それは色麻に貰ったメモだった。昨日から今日一日、ずっと浮かれきってぼんやりしていたせいか、捨てるのを忘れていたようだ。
「気が変わったら、いつでも連絡して良いのよ」
色麻の起伏のない話し声がリフレインする。
異世界に行きたいか。
俺は今、別に異世界に行きたいとは思っちゃいなかった。でも、ここじゃない何処かへ行きたいと、そう強く思っていた。
明日、教室でどんな顔をして加美ちゃんと会えば良いか分からない。どんな顔をしてサッカー部で東也と会えば良いかわからない。
朝起きたら別の何処かなら良いのに。
「……」
俺は、携帯電話を取り出していた。
メモに書いてある電話番号を一つ一つ、確認しながら入力してゆく。
本気で異世界に行けるなんて、思わない。でも、俺は現実逃避がしたかったのだ。とにかく、現状から逃げたかった。
電話番号を入力し終えて、発信ボタンを押す。
電話は、直ぐに繋がった。掛けてから、本当に一瞬だった。
「色麻です」
「……亘理だ」
俺が自分の名前を告げると、電話口の向こうで色麻が息を呑んだのが分かった。
「もしかして、気が変わったのかしら」
期待に満ちた声色。
「ああ」
短く肯定すると、色麻は何やらガサゴソと音を立て始めた。
「何してるんだ?」
「今から外出は可能?」
色麻は興奮した様子で問いかけてきた。
今からって、もう深夜なんだが。日付がもう変わりそうだというのに、一体何処に行こうというのか。
「可能だったらどうするんだ?」
「私の家に来て」
「……へ?」
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