第5話 異世界の訪問者
ユウキの自殺未遂から二週間が経っていて、彼は、ステラの献身的な介護によって心身の元気を取り戻し、職場復帰を果たしていた。
ユウキは、正常な判断が出来るようになると、ステラに失恋して、命を捨てようとした自分が情けなく惨めに思えた。
彼は、自分はこれからの人生を、どう生きればいいのかと真剣に考えだした。そして、その答えを見つけようと、寸暇を惜しむように、哲学書、宗教書等を読み漁った。
その中で、彼の心を引き付けたのは、仏教の因果論と利他という考え方だった。
前世で積んだ因が、今世に結果として現れるという因果論。世の中に偶然という事は無く、この世で自分に起こる事は全て、過去世と、今の自分の行動で決まってしまうと言うのだ。
ユウキは、この因果論を、出会いという観点から考えてみた。
ステラとの出会いも単なる偶然ではなく、過去世において、彼女と何らかの関係があったのかも知れないと思った。本来会えるはずもない、次元を越えて巡り会った二人に、不思議な縁を感じない訳にはいかなかった。
もう一つの利他は、この大宇宙には、生命を慈しみ育む、慈悲という本然の力が備わっていて、その大宇宙のリズムに合わせた生き方が、人間としての最高の生き方であると説かれていた。そして、小さな自分にのみ固執する利己を突き抜けて、他人を慈しむ利他の実践こそが、自分の人生を充実させる最高の生き方だと示されてあった。
ユウキは、ステラへの恋心に固執していた小さな自分を思わない訳にはいかなかった。そして、尊極の自分の命を自分で殺すという愚かな行動は、絶対にしてはならないと猛省した。
ユウキは、自分にとって最高の利他の行動とは何かを考えてみた。
ステラと別れて、地球で、人の為のボランティア活動に人生をかけるのか、もしくは、ステラの世界へ行って、戦士となって異世界の民衆の為に戦うのか、彼は、この二択しか無いと思った。
前者は、現実的な選択で、それなりの人生は約束されるだろう。だが、後者は、異世界からの迎えが来たらという条件付きだが、命の保証も無い過酷な選択となる。
ユウキは自分自身に問いかけた。
ステラに振られて自棄になってはいないのか? 仮に異世界へ行っても、ステラが他人に抱かれるのを我慢出来るのか? それでも異世界へ行く意味はあるのか? 悔いは残らないのか……。
再び、悩み苦しみ始めたユウキを見て、ステラは心配になっていたが、彼はよく食べ、よく話し、元気に会社へも行った。
彼は、数日考えに考えて、一つの結論に達した。
「よし! 一度死んだ命だ。自分やステラの為ではなく、戦争で苦しむ異世界の民衆の為にこの命を使おう!」
ユウキは決意し、拳を握った。
次の日の早朝の事である。ステラとユウキが出会った山の上の池に、再び閃光が走り、銀色の球体が突然姿を現した。球体は静かに着地すると、そこから二つの人影が降り立ち、何処かへ消えていった。
ステラがユウキを送り出して、家事が一段落した頃、玄関のチャイムが鳴った。
「はーい」ステラがドアを開けると、そこには、二人の男が立っていた。
「レグルス! サルガス!」
ステラは、辺りを見回してから二人を招き入れた。二人は、ステラの守護役で、長身の方がサルガス、知的な方が親衛隊長のレグルスだ。二人共、サファイヤ星では最強クラスの戦士である。
「ステラ様、よくぞご無事で、私達が居ながら申し訳ありません……」
レグルス達が跪くと、ステラは涙を流しながら彼らの手を取って、半年ぶりの再会を喜んだ。
ステラは、彼らを客間に招き入れると、はやる心を押さえて、彼らと向き合った。
「博士が次元移動装置を完成させたのね?」
「はい。ステラ様が消えた場所から痕跡を辿って来ました」
「それで、向こうの戦況はどうなの?」
ステラの顔が、戦士の厳しい顔に変わった。
「予断を許せません。ステラ様の死亡説が流れ、兵士達が弔い合戦だと奮起したため、何とか持ち堪えていますが……」
「そう、早急に帰らなければいけないようね」
「お願いします。実は陛下もお見えになっているんです」
「お母さまが!?」
「はい、ステラ様が行方不明になってから、ご心労で体調を崩されていたのですが、今回どうしても同行するとおっしゃって。もうすぐお着きになります」
レグルス達との話が一段落した頃、母アンドロメダが、軍の大佐であるハダルを従えて現れた。ステラは、玄関で待って母を出迎えた。
アンドロメダは、ネーロ軍との戦いで戦死した、夫シリウス王の後を継ぎ、ライト王国を、今日まで懸命に支えて来た女王である。その女王としての辛労の為か、五十代の年令の割には、老けて見えた。
「ステラ! よく無事で。よかった、本当によかった」
母は、わが子の無事を確かめるように、何度も何度も抱きしめ、その頬を撫でた。ステラは抱きしめた母の細さに驚いて、ソファーに座らせた。
「お母さま、お痩せになられて……ご心配をおかけして申し訳ありません」
「大丈夫よ、あなたの元気な顔を見て、私も元気が出てきたわ」
ステラは、母を気遣いながら、地球での出来事を簡単に説明し、ユウキという青年に救われ、共に暮らしている事を伝えた。
「一緒に暮らしているって、どういう事なの?」
「夫婦のまねごとをしています。もうすぐ帰ってくるから紹介するわね」
「夫婦? あなたにはデネブ大佐と言う婚約者がいるんですよ。まさか、その人を好きになったのではないでしょうね?」
アンドロメダは驚いた様子でステラを見つめ、レグルス達も驚きの表情を浮かべた。
「いえ、そうではありません。ただ、彼は私を愛してくれています。私がその愛には応えられないと言って家を出ると、彼は自殺を図りました。そこまで私を思ってくれる彼の願いを、今は、叶えてやりたいと思っています」
「その願いは何なの?」
「私達の世界で死にたいというのです」
「……話がよく分からないわね、その話は彼が帰ってからにしましょう。ステラ、何かご馳走してくれる」
ステラは「はい」と答えて台所で支度を始めた。レグルスが、そんな彼女を目で追いながら感慨深げに言った。
「お元気そうで何よりです。こんなに嬉しい事はありません」
「あなたは、ステラの戦いの師匠だったわね。これからも守ってあげて頂戴」
「はっ! 十剣士の名にかけてお守り致します」
レグルスとサルガスが女王に頭を下げて敬礼し、誓いを新たにした。十剣士は、十人の剣の達人で、レグルス率いるステラの親衛隊である。
夕刻となって、ユウキが帰宅した。彼は、玄関の見慣れぬ靴を見て、異世界からの迎えが来たと悟った。
「ユウキさん、お帰りなさい。国から母が迎えに来てくれたの」
「そうか、来てくれたのか……」
ユウキは、「よかったね」と言おうとしたが、言葉が続かなかった。
客間の方に歩いていこうとした時、ステラが耳元で囁いた。
「母は女王でもあるの。挨拶して下さる」
ユウキは「えっ」と驚いてステラを見たが、彼女は微笑んでユウキの背中を押した。
ユウキは緊張した面持ちで、アンドロメダの前に進むと、正座して頭を下げた。
「初めまして、ユウキと申します。縁あって、ステラさんと一緒に暮らしています。宜しくお願いします」
「母のアンドロメダです、娘が大変にお世話になりました。心からお礼を申します」
女王はユウキに頭を下げてから、サルガス、レグルス、そして坊主頭のハダル大佐を紹介した。
六人は、小さな食卓を囲んで、ステラの手料理を食した。若いサルガスが、感激したように言った。
「うまい! ステラ様に、こんな料理が出来るとは思いませんでした」
「あら、私だって料理くらい出来るわ。といっても、地球に来て初めて作り始めたんだけどね」
と、ペロッと舌を出した。
好評の食事も終わり、コーヒーを飲みながらアンドロメダが話を切り出した。
「ユウキ殿、明日ステラを連れて帰ろうと思いますが、よろしいですか?」
アンドロメダは、ユウキの反応を確かめるように言った。
「ステラは私の大事な人です。帰す訳には行きません」
「えっ」
アンドロメダが厳しい表情になってユウキを見た。
「お母さま、ジョークです。この人は、そんな分からず屋じゃないわ」
ステラは、ユウキの顔を見て微笑むと、彼の腕を抓った。
ユウキは「痛っ」と腕を引いてステラを睨んだ。
「まじめにやって」
ステラに言われるとユウキは居住いを正した。
アンドロメダ達は、そんな二人のやり取りを見ていて、ステラの心の変化に気付き始めていた。
「すみません。ステラへの未練がまだ残っているようで、本音が出てしまいました。
私は、ステラの苦悩も、彼女の帰りを待ちわびる人達がいる事も、分かっているつもりです。連れて帰って下さい。
それで、陛下にお願いがあります。私は、彼女に振られて死のうとした不甲斐ない人間ですが、今は、個人的な感情は捨てて、純粋にライト王国の為に戦士となって戦いたいと思っています。あなた方の世界に連れて行ってもらう事は可能でしょうか?」
「ユウキ殿、ステラには既に婚約者がいます。向こうへ行っても、あなたの居場所はないと思うのですが……」
「構いません、ステラの事は忘れます。ただ、次元を越えて巡り会った不思議な縁にはこだわりたいのです。そちらの世界で戦わせてください」
「ユウキ殿がその気なら、軍で訓練を受けてみてはどうですか?」
ハダル大佐がユウキに言った。
「その件は、私が手配します。戦闘スーツも作ってもらわなければいけないし、師匠を誰にするかも決めねばなりません。だから、少し待って頂戴。お母さま、この話を進めてよろしいですね?」
ステラが念を押すように言うと、アンドロメダも頷いた。
「分かった。待つ事にするけど、何年も先という事は無いだろうね?」
「今は何とも言えないけど、私を信じて」
「……信じるよ」
ステラの神剣さにユウキも納得するしかなかった。
その夜、ユウキに別れを告げて、ステラは彼の家を後にした。愛情が無いとはいえ、ユウキは半年間一緒に暮らした恩人である。ステラは何度も振り返り、手を振って、夜の闇に消えていった。
ユウキは、ステラからの便りを待ち続ける事しか出来ない、無力な自分が歯がゆかった。
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