第4話

「あれが、まーくんの家か〜い?」

「うん。多分。ちょっと待ってね」

微かな電子音とクリック音が響いた。

凛香は携帯を取り出すと住所録からGPSで場所を確認した。

間違いなくまーくんの家だ。

中心部から少し離れた閑静な住宅街に佇むコンパクトな2階建ての一軒家だった

おそらくまーくんの子供部屋は2階であろう。

闇に紛れていても彼ら親子のこの組み合わせ異様でしかない。

フーミンの筋骨隆々の巨漢に凛香の可愛らしさ。

近くで見れば逃げ出したくなるか近くまで行って事情を聴きたくなるかどちらかであろう。

2人は家が見える通りの一本向こう側に立っていた。

等間隔に配置された街灯のちょうど中間地点に立っていた。

街灯の下では目立ちすぎる。

影が二重になり、程よい暗さ、程よい明るさの場所に佇んでいた。

凛香はこんな夜にもサングラスを外さない父親の顔を下から見て、声を掛けた。

「パパ、これからどうするつもり?」

「おいおい。それは僕のセリフだよん。凛ちゃんはどうしたいのさ?」

「え?私?」

「そうだよ。僕は凛ちゃんのボディガード兼お目付役。あくまで凛ちゃんのバックバップです〜」

「聞いた私がバカだった…」

「う〜ん?凛ちゃんはまーくんが怖い夢を見てないか知りたいんだろう?」

「う…ん」

「でも、光体離脱はやっちゃだめーーーってなると、使えるアイテムは2つになるんだけどぉ」

「アイテムぅ?」

「はい。ブラックミラー」

大きな伊達の右手には黒くて丸い円盤のような物体が握られていた。

鏡とはいえ黒く塗り込められいるので、輝きもしなければ映しもしないのだが。

「何これ?」

凛香は受け取ると表と裏をひっくり返して不思議そうに見た。

どちらの側もマットに塗ってあるので、ただ黒いだけだ。

「え、これで何するの?」

「何って、あなた。視るに決まってるでしょーう〜?まーくんの夢を」

「これで夢を見るの?」

「視るというか、本来はシンボルをここに映し込んで視るんだけど。今日はちょっと違う使い方だね。凛ちゃんの心のスクリーンに映すっていった方が早いかぁ。本当は何かに立てかけて使うんだけどぉ、ま、ね」

「ふーん」

「要領的には自分の視点をこのブラックミラーの向こう側に持っていく。そうすると視えてくるよ」

凛香はブラックミラーを両手で大事そうに持ったまま一旦両眼を閉じ、集中しはじめた。

呼吸がゆっくりになっていく。

その動作が始まると伊達は凛香の周りに小さな結界を張った。

本来、何か術を行うときにはその場を念入りに清めなければならない。

それは術者の安全を保障するものであり、行うことに対する敬意でもあるのだ。

夜とはいえ、普段ならこんな人通りの多いところ、通りの片隅で行うなど考えられないが、自宅から勝手に光体を飛ばされるよりはいくらかマシだと思った。

無論、結界を張るとはいっても、伊達が立っているだけでその体の大きさで凛香がすっかり隠れてしまうので必要ない気もするが。

凛香は眼を開けるとブラックミラーを見つめた。

(まーくんが夢を見ているのなら、ここへ…見せて……お願い…)

黒いミラーの中心に光が灯りはじめた。

小さな光はいくつもいくつも生まれ、互いに集まりはじめ、やがて一つの光を形成していった。

傍らの伊達は凛香の意識レベルが下がり、瞑想状態に入ったことを確認すると自分も意識を二つに分けることにした。

ここにいて結界を維持する自分と凛香と共にまーくんの夢に入り込む自分とに。



「あ、れ?」

凛香は気がつくと暗い建物の中に立っていた。

さっきまでブラックミラーを視ていたはずなのに、自分の手の中にあの円盤はなかった。

自分の肉体を行使しているのと同じ感覚。

自分の光体を行使しているのと同じ感覚だ。

映像として見ているのではない、経験として体験しているのだ。

足元を見ると自分の影が黒い炎のように左右に揺らめいていた。

顔には熱気が感じられる。

何かが燃えているような焦げた匂い。

こんなに五感が普通に働いていることに驚いた。

「まーくんが言ってた夢⁉︎」

辺りを見回した。

どこかにまーくんがいるはずだ。

怖い思いをしないうちに彼を探さなければならない。

「まーくん!どこ?いたら返事してー!」

凛香は炎の周りを走り回った。

確かにこの炎は大きい。

何で燃えているのかわからないが、もうもうと黒煙を上げながら燃え続けている。

黒煙を上げているので視界も悪い。

何か刺激臭…油のようなにおいが鼻についた。

煙たい…。

咳が出てきた。

「まーくんっ」

「凛ちゃん⁉︎」

正紀はぼんやりと炎を見つめながら魂が抜け落ちたように立ち尽くしていた。

そこに勢いよく凛香が駆け寄った。

「やっと見つけたw」

肩に抱きつかれて、正気を取り戻したように彼女を見た。

「ど、どうして、凛ちゃんが?これ、僕の夢だよね?それとも僕が凛ちゃんの夢を…?」

「どっちでもいいけど、この炎の前から少し距離を置こう」

グイッと彼の手を引っ張って、暗闇の方へと導いた。

「暗いとこに行くのやだよ」

「私は逆にあの炎のそばにいるのがダメだと思う。真っ暗な中でも私がいるから大丈夫だよ」

握っていた手にぐっと力を入れた。

彼はすぐうなづいて、彼女の後に続いた。

普通の教会ならチャペルチェアは整然と規則正しく並んでいるが、この場所のチャペルチェアは見るも無残だった。

破壊されている物も多く、瓦礫のように見えた。

その中でも近くにある比較的まともなチャペルチェアに陣取って座った。

「ありがとう。心配して来てくれたんだね。夢でもうれしいや」

照れくさそうに彼は笑った。

そんな正紀の顔を見て凛香はちょっと安心した。

「やっぱり同じ夢なの?」

「うん。今夜はまだ頭蓋骨は出てきてないけど、始まりは同じだったよ」

「じゃ、悪夢のやつをやっつけよう!この夢の中を2人で探検すれば、きっと原因がわかるかもしれないわ」

「え?」

「いつも、怖がってたんでしょう?だったら今夜は逆に反撃してやろう!私も力を貸すから!」

「凛ちゃん…」

「大丈夫。私も1人じゃ怖いけど、隣にまーくんがいれば大丈夫!」

にっこりと凛香が微笑んだ。

その笑顔を見て、彼も安心したようだった。

「そうだね。反撃。いいかもしれない。うん。反撃しよう!」

「うんっ」

そう言うと2人は立ち上がった。

「とりあえず、どこから、何をしようか、凛ちゃん?」

「釜の中身って入ってるの?」

「いや、何も入ってなかったよ。空っぽ」

「それにしても大きいよね?」

「うん。何かに支えられてるわけでもないのに火の上に浮いてるんだ」

「釜の向こう側ってどうなってるの?」

「さあ?行ったことないから。僕がいつも逃げる方向はここから見えているあの出入り口のドアの方へ行くんだ。釜の向こう側はそれとは逆方向だから、行ったことはないよ」

「2回見た夢の中ではいつも同じ行動をしてたの?」

「…んー。あんまり考えたことなかったけど。そうだね。何かをなぞるみたいに同じ行動だったね」

「壁際の方には行ってみた?」

「ううん。見てるだけ。影が映り込んで怖くって」

「そうすると、この部屋以外の場所にも行ってはいないんだよね?」

「うん」

凛香は考え込んだ。

この現象を引き起こしている根本的な原因が夢の中にあるはずだ。

まーくんの夢に入ってみて、夢そのものに違和感は感じない。

『何』がこの夢を見せているのだろう?

しかも同じ夢を。

同じ…夢?

同じ夢?

同じがあった。

この夢と同じことが以前、どこかであった。起こったんだ。

があった』

そのことを夢として連続再生している?

それはこの夢と同じことを『記録』しているではないか。

夢を見るということは人間の無意識の領域と関係すると誰かが話していた。

難しい話だったから、よくわからなかったが、意識の壁が下がり、夢を見やすくなる。

つまり『記録』を再生しやすくなるということではないか。

インターネットと同じかもしれない。

一度繋がってしまうとキャッシュが残って、繋がりやすくなる。

それと同じなのでは?

ずっと黙り込んで考える凛香に正紀は声を掛けた。

「凛ちゃん?」

「まーくん、あの釜の向こう側に行ってみよう。あっちはちょうど教会のステンドグラスの前になるし、教会だと説教台や聖書なんかが置いてあるところだから、もしかしたら『何か』があるのかもしれない…」

「何かって何!?」

「わからないけど…」

「………」

「………」

2人は顔を見合わせた。

正紀は両手で頬をパァン!と叩いて気合いを入れると凛香の手をとった。

「行こう!凛ちゃん!」

「うん!」

2人は炎の脇をステンドグラス前へと走りはじめた。

正紀が内側、凛香が外側を走った。

走りながら辺りの様子を再度観察した。

おかしな八角形をした内部。

おかしなことにこの建物には窓がない。

ステンドグラスのように見えていたのは天井に向かって真っ直ぐに伸びる組み木の壁だった。

それが揺らめく炎でステンドグラスのように見えていただけだった。

窓がない。

窓がない場所で燃える炎。

こんなに燃えていたら室内の酸素なんてあっという間になくなってしまうだろうに。

この息苦しいまでの閉塞感は何だろう?

上から重く重くのしかかる鉛のようなプレッシャー。

「凛ちゃん、あれ!」

礼拝台というよりは学校でよく見る小さい演台が2つ組み合わさったような立方体が見えた。

ちょうど正紀が立っていた場所から180度向こう側だ。

黒い立方体の上には白い箱が置いてあるのが見えた。

2人はその場所まで走り込んだ。

煙を吸い込んだために息が苦しい。

何度か咳をしながら、鼻や口を手で拭った。

けれどつないだ手は離さなかった。

離してしまったら、永遠に離れてしまう気がしていた。

箱の表面には金箔で鮮やかな金色の文字が反射している。

「『ば…ふうめ…しゅう』読めないや、なんていう意味?当て字?こんな組み合わせの漢字なんて知らないよ」

「『神託の書』 って書いてある。何かの魔術の本かもしれないわ」

「えーっやめてくれよ!気味が悪い!」

「気味悪いかどうかなんて関係ないわ!開けてみよう」

凛香が蓋に手をかけてるといとも簡単に吹き飛ばされた。

「あ、何これ?」

なかにあった蛇腹折りの横長の白い紙だった。

凛香が持ち上げるとバラバラと蛇腹が広がった。

ふっと、墨の香りがした。

そこには達筆な行書で書かれた文字がずっと続いていた。

小学生の彼らには何が書いてあるかさっぱりだが。

フォオオオオォォオォォォォォ

突然大きな音が耳をつんざいた。

まるで龍の遠吠のようだ。

空気が振動し、骨にまでその振動が伝わってくる。

目の前の炎が太い柱になって、大釜を吹き飛ばして天井まで到達した。

炎はグルっと一周回って、天井から凛香達の方へ降り落ちてきた。

「熱っ!!」

「まーくん!」

「凛ちゃん!」

繋いでいた手が離れてしまった。

凛香は左手に折本を持ったまま、反射的にあまりの熱さに右手で顔を覆ってしまった。

指の隙間から目を開けてみると目の前は火の海だった。

「あっ‼︎‼︎まーくん!どこ?まーくん!」

「凛ちゃん!」

渦巻く火炎の壁の向こうから声がした。

「まーくん!」

「これは、僕の夢だ!僕のことはいいから、早く逃げてっ」

「でもっ!夢だって何だってこんなんじゃ焼け死んじゃうよ!こんなに熱いんだよ!!」

「大丈夫。もうこの夢も3回目なんだから」

そう言うと正紀は微笑んだ。

「まーくん!」

叫んだ途端に正紀のいる位置に八角形の天井の一部が轟音と共に焼け落ちてきた。

凛香は炎の中に駆け込もうとした。

その瞬間。

再び彼女の頭上から何かが降り落ちてきた。

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