第2話
「ただいま〜っ!」
勢いよく
「あら、凛ちゃん。おかえりなさい」
長くゆるいウェーブのかかった青い髪を揺らしながら、止まり木の向こうに立つ女性は答えた。
大きな銀色のアクセサリーやピアス、全身黒ずくめのパンクの衣装からはなかなか想像できない反応である。
微笑みながら彼女のを見る目はとても穏やかだ。
カウンターに近づきながら、ランドセルを肩から外した。
肩に食い込む様子からよほど重いのだろう。
カウンターチェアのひとつにランドセルを乗せるとドスンと大きな音がした。
「こんにちは、ジェディさん。パパは?」
凛香もおいた鞄の左隣のカウンターチェアに腰を下ろし、足をぶらぶらさせた。
小学生の彼女にはこの椅子は高すぎるのだ。
浅く腰掛ければ別だが、普通に座るとストッパーにすら、足が届かない。
「伊達さん?奥の事務所にいるわよ。いつもどおり」
お冷やを出しながら答えた。
まだ陽も高く、夕方の早い時間だ。
今日はバンドのライブも入っていないので、いつもよりゆっくりした時間が流れていた。
凛香は店の奥にあるドアを振り返って見た。
「寝てるの?」
「夜の開店時間まではね。今日はいつにも増して忙しかったみたいよ」
「今日も!の間違いでしょう?どうせ今日も飽きもせず秋葉原に行って、デンじゃらす学園はひはひフーフー1号店で写真撮りまくってたに決まってるし」
頬をぷくっと膨らませながら、不満げだ。
お冷の入ったグラスを握り、一気に飲み干した。
「るいるいwサイコー!!!!!!って叫んでる空耳が聞こえる…気がする…。ほぼ間違いなく絶叫してる、と思う」
「空耳じゃなくて、無意識に聴いてたんじゃない?でも、今はコンサートも自粛だからやれてないし。違った意味で忙しかったのかもね」
「ジェディさん、」
「あ、ごめんごめん。伊達さんや真壁さんに光体離脱は禁止されてるんだったわね」
「そうなんです。『まだ、早い。まだ、危ない。まずは学校の勉強をきちんとするのが先だ!』とかなんとか色々言われてて。私だって、ジェディさんや茜さんたちみたいにアヌビスの役に立ちたいのにw」
「アヌビスじゃなくて、本当は真壁さんの役に立ちたいの間違いじゃないの?」
「あははははは。どっちにしても今の私には無理なことですけどね」
愛想笑いをして、ほんのすこし顔を赤らめながら凛香は話を逸らそうと必死だった。
「学校のほうはどうなの?大丈夫?」
「今日は久々の登校日だったんですけど、何だかいつもの勝手が違うっていうか。うれしかったんですけど、悲しかったです」
「ま、まだまだ自粛自粛の嵐だからね。2ヶ月半ぶりくらい?お友達と会えたの?」
【友達】という言葉に凛香の体が一瞬だけピクッと反応した。
ほんの少しだけうつむいたように見えた。
「はい。みんな思ったよりも元気そうでした…けど、」
「けど?」
ジェディは最後の言葉をリピートした。
凛香は今日の登校日で何かが心に引っかかっているようだった。
ただそれを話していいものかどうか迷っているように見えた。
「………」
ジェディは静かに彼女を見つめたまま待っていた。
凛香は体温でぬるくなってしまったグラスを持ってた手を離して、見上げた。
「あ、あの…」
背の高いジェディは凛香の方へ顔を近づけて、耳許で囁いた。
「心配しなくても大丈夫よ。伊達さんには言わないから。女同士の内緒の話ってことにしましょう」
小さな小さな声で、彼女を安心させるように呟いて、屈めていた腰を起こした。
コツンコツンと甲高いヒールの音が微かに店内に響いた。
店の中にはBGMなど流れていなかったので、非常に静かだ。
凛香は2、3度小さくうなづいて微笑んだ。
凛香の母 希美はもういない。
伊達が男でひとつで育てているも同然である。
母として語れる人物は彼女の周りにはいないが、女性として話が出来そうな人物はジェディや茜、怜奈や蛍もいた。どちらかというとお姉さん的立場で話を聞いてもらえていた。
凛香も感の良い子なので時々の状況によって話をする相手を変えていた。
好きなタレントやインスタ映えフードの話は怜奈や蛍に、楽しい話や噂話は茜に、相談事はジェディにといった感じだ。
凛香にとっては人生相談的な事柄はジェディが最適だという思いがあった。
「うん」と聞こえない声で1度うなづくと凛香は話し始めた。
「まーくんって子がクラスにいるんですけど、なんだか怖い夢を見るんですって」
「まーくん?仲のいい男の子?」
「それほど親しいってわけでもないですけどぉ」
「まーくんの本名はなんていうの?」
「前田正紀。苗字も名前も『ま』から始まるから『まーくん』って言われてるんです」
「あら、凛香ちゃんも隅におけないわね。そろそろ高学年だし。初恋にはいい時期ね」
と言いながら青いアイシャドーが引かれた目でウィンクした。
冷やかすとか追い詰めるようではなく自然に尋ねた。
「そんなんじゃないですよ〜 ただ、まーくんは私が不思議なこと好きだから話してくれたと思うんです。そうじゃなければ、多分友達にも、ただ『変な人』って思われるだけだと思うので話さないと思う」
「最近の小学生事情は面倒くさいわね〜」
「昨夜で2回目だったらしいんですけど。2回とも同じ始まりで同じ終わりの夢なんだそうです」
「同じ夢を2回?」
「はい」
コクリと凛香はうなづいた。
「夢の内容まで彼から聞いたのかしら?」
「一応、聞きました。」
「でも、同じ怖い夢を2回立て続けに見ることはよくあることよ。夢は人間の脳が記憶を整理していく時点で取捨選択をするために見るものだし…」
「だといいんですけど」
急に表情が曇った。
凛香が直感的に感じた何かの違和感。
ここCoph Niaは神秘蔵アヌビスの本拠地。
みな通常では考えられない超常的な力を持つ者たちが集う場所である。
そういう意味でも凛香が嘘やデマを話している可能性はほぼない。
ジェディは彼女の顔を覗き込みながら、『大丈夫だから、心配しないで話してごらん』と言うように微笑んだ。
「うん。それで、怖い夢って具体的にはどんな夢だって言ってたの?」
「それが、んー。なんて言ったらいいんだろう。夜で教会みたいな所?屋内で火が燃えていて、大人が入れるくらい大きな釜がその火の上に置かれているんだって」
「何かの宗教儀式みたいね」
「でしょう?でね、鬼か悪魔でも出てきそうだから逃げたんだって。そしたら何かにつまづいて転んじゃうって。で、足元を見るとボールみたいに丸いものが転がっているんだって」
「それで?」
「で、ここからが怖いのよ。私、話してて気持ち悪くなってきちゃう。そのボールみたいなものって真っ黒らしいんだけど、よくよーく見ると人間の頭が焦げたものなんだって」
「どうして人間の頭部だってわかったのかしらね」
「それはですねw 見えたんだそうです」
「何が?」
「ここと、ここと、ここが開いているって見えちゃったんですって」
凛香は自分の顔の3ヶ所をひとつずつ指差して見せた。
ちょうどそれは目と鼻と口だった。
「頭蓋骨ってことね…」
「まだ先があります。その頭蓋骨が蹴ったら割れたらしいんですよ。そしたらその中から白く輝く水滴みたいな宝石みたいなものが黒いブヨブヨしたものに埋もれて見えたんですって。あー!もうー!思い出すだけでキモい。想像するだけでキショい。」
「……つまり、宝石が埋もれていた場所は、」
「お、お願い!ジェディさん!もうそれ以上言わないで!」
「わかった。わかった」
「私、オカルトは意外と平気なんだけど、ホラーは、もう絶対ダメぇ。吐きそう」
「血もダメよね?女の子は意外と残酷だから大丈夫じゃないの?月1の来訪者ってこともあるし…」
「月1の来訪者ってなんですか?」
真顔で凛香がたずねた。
ジェディはしまったという顔をして、まだ彼女には早すぎた話題であることを理解した。
父親である伊達が娘の凛香に生理がどうこうという話をしている様子を想像してみたが、頭まで真っ赤にしながら語るのを恥ずかしがっているギャグな姿にしかならなさそうだったので、早々に脳内妄想を消去した。
「なんでもないわ。で、頭蓋骨だったってことは分かったけど、それでどうなったの?」
「……夢から覚める寸前で何かが額にぶつかったんですって。コツ…コツ…コツ…って微かな音をたてて」
「音の正体はなんだったの?」
「額にぶつかったんだから、そのまま足元に落ちるはずじゃないですか。でも夢だし、探したけど見つからなかったんですって。で、そこで目が覚めたらしいの」
「なるほど。確かに怖い夢だと思うけど、夢なんだから見るだけでそれ以上は何も起きないわよね?」
「夢ならね…」
そう言うと凛香は青ざめた表情のまま、ジーンズの右ポケットに手を突っ込んだ。
「?」
ジェディは何が始まるのかじっと見守ることにした。
何かを掴んだ右手をジェディの前に差し出した。
「これを見てください…」
開かれた手の中には5〜6mm直径の白灰色の小石が6つ、手のくぼみに寄り添うようにあった。
「これは…」
「まーくんが夢から覚めると手に握っていた小石です。2回怖い夢を見たから、全部で6個」
「手に握っていた…か。あるいは握らされていた。なるほどね。それは怖い夢ね」
ジェディは凛香の手から石をつまみ上げると目の前に持ってきて観察した。
思ったより軽い気がした。
砂利のような感じではない。
黒くはない。礫岩や砂岩のようなものでもない。
石というよりはむしろ…
「ジェディさん、これ、どう思いますか?これって普通じゃないですよね?何なんだろう?誰かに呪いとかかけられてるのかな?」
「夢以外に何か最近起こったこととか、変わったこととか話していた?」
「夢の話だけですね。男の子たち、最近では外で集まって遊ぶことも少なくなってるしネトゲでチャットしながら遊んでいるようですけど」
「自粛自粛。休校休校だものね。家の人は在宅勤務なのかしら?」
「んー、まーくんのお父さんは出版社に勤める本を作る人でお母さんはどこかの大学の偉い先生の秘書してるって言ってた気がします。ってなると今のご時世は在宅なのかな?」
「その可能性が高いわね。その夢を見るようになったのは最近?」
「先週あたりからって言ってました。3日に1回ペース?みたいな」
「2回目の夢を見たのは?」
凛香はカレンダーを思い浮かべながら指折り数えた。
「一昨日…って言ってたかな?」
ジェディはちょっと蒼い髪をかきあげながら考え込んだ。
「凛香ちゃん、その石を私が預かってもいいかしら?」
「これですか?いいですけど、どうするんですか?」
「内緒。逆に凛香ちゃんはどうしようと思っていたの?」
「それは…」
ガチャ。
ドアが開く音がした。
それと重たい足音と大きなあくびも。
「ふあああぁぁぁ…。ジェディ、フーミンにひゃっこいアイスコーヒーくれなぁい?」
「パパ…ッ」
「あら、お目覚めね。残念ながらうちにはぬっくいアイスコーヒーはないのよ」
「お、凛香、おかえり。久しぶりの学校はどうだったん?友達とひゃっはゴーゴーゴーして来たか?」
「何それ?どういう意味?」
「え〜だから、互いの愛を確かめ合う儀式みたいなもんで、仲良しならよくやるじゃん。手と手、腕と腕とを絡ませ、腰をこう、互いに近づけながら体を密着させてさぁ」
「いつの時代の話よ?平成生まれの私たちは昭和生まれのパパみたいな意味不明なことはしないの」
「凛香、冷たい…」
「冷たくないw ソーシャルディスタンス!」
「そんな2mも離れちゃたら凛香のこと抱きしめられないじゃん」
「小学4年生の娘に抱きつく父親がどこにいるのよ!?」
「え、目の前」
真面目な顔で自分の顔を指差していた。
「あのねー。そんなことばっか言ってるとミミカキジョーズるいるいに嫌われるよ」
「そんなー悲しいこといわないの!るいるいに限ってそんなことはないの。るいるいはフーミンのことを業界の誰より愛しているのだ!」
「あー、はいはい」
「もちろん、愛娘凛香のことも同じように愛しているのだ‼︎力説」
凛香は呆れたように伊達を一瞥するとランドセルを持って、フロアにピョンと飛び降りた。
「わかりましたぁ。夜のお店の準備時間だろうから、そろそろ帰ります」
「夕飯は作ってあるから、温めて美味しくいただくように」
「パパのは?」
「帰ったら食べるから、大丈夫ん!ちゃんと宿題、やるんだよん」
「はいはい。じゃ、ジェディさん」
凛香は(さっきのことはパパには言わないでね!)と念を押すようにウィンクして店から出て行った。
「あっれ〜、凛香のやつ、珍しくあっさりと帰ったなぁ」
カウンターに近づいて来た伊達がジェディの前に座った。
巨漢であるので椅子の方が申し訳なさそうに小さく見える。
ジェディは氷を入れキンキンに冷えたアイスコーヒーに赤いストローを添えて差し出した。
「そろそろ難しい年頃じゃないの?」
「女の子の扱いはむわっかせなさぁ〜い!フーミン的には、もうちょっと凛香もおしとやかに清楚に過ごしてくれればいいんだけど」
「伊達さんの行動が清楚からはかけ離れてるから、嫌になってるんじゃないの?そのうち彼氏を引き連れてきて『もうパパなんか知らない!』って言ったらどうするの?」
「その時は晴れてその彼氏に凛香を任せて、ぼくはお役御免さ。ただ、彼氏には1回か2回血の雨が降るだろうけどね」
「殺人だけはやめてね。伊達さんの筋力じゃ、彼氏になる子、本気で死んじゃうから」
「なんて酷いこと言ってるのw ぼくは愛と平和の使者フーミンなんだからそんな野蛮なことはしないよん」
「さっきと言ってることが違うんですけど…」
「それよりさぁ、ジェディ、そこにあるそれ『ヤバい』んじゃない?」
「あら!何のこと〜って凛香ちゃんの手前、誤魔化したいけど…。そうも言ってられないか。目敏いわね、さすが」
小さな豆皿にまるで豆粒でも盛るように置かれた先ほどの小石だ。
伊達はこちらに寄越すようにとジェディに向かって指を動かした。
彼女は伊達の前に薄青い釉薬がかかった豆皿を静かに置いた。
アイスコーヒーを飲み干すとグラスをジェディに返し、伊達は両手をカウンターに置き、肩をいからせながら頭を豆皿にすり寄せてじっ…と見た。
時々、方向を変えて近くで見たり、ちょっと遠くで見たりしている。
ただ、1度としてその小石には触れなかった。
はたから見ていると変なおじさんが変な行動をしているようにしか見えない。
その様子をジェディは腕組みをしながら黙って見守った。
「これ、本当に凛香が?」
「ええ」
「はーーーーー。ほーーーーー。へーーーー。ふっふーん。フッフーン。なるほどね。やっぱりフーミンは人も羨む天才〜」
伊達はカウンターチェアから立ち上がるとバレリーナのようにくるくると一本足で回って見せた。
「何、言ってるんだこのタコは?」
さすがのジェディも意味不明の言葉に小さな声で文句を言った。
「ひっどーーーい!聞こえてるよ、ジェディ」
「はいはい。ごめんなさい。オーナーに言う一言ではありませんでしたぁ。で、何なの?」
「フーミン、難しくて、わっかんな〜い」
両手を握って胸の前に持ってくると体を左右に捻りながらイヤイヤというポーズをした。
若い女の子なら可愛くも映るだろうが、この小太りの中年男性では気持ち悪いの一点にしかならない。
「💢」
「教えてあげられないの、ごめんなさいね〜」
そう言いながらジェディにウィンクした。
「えー、何それ?どういうこと?事情を説明してよ」
ジェディは声を荒げたが、肝心の伊達は両手で耳を覆い、聞こえないフリをした。
「とりあえず〜、今晩、真壁くんが来たら二重に追儺してもらって。それまでは聖水と香の簡易結界でいいからぁ、ジェディ、よろしくねん!」
「よろしくっ!て伊達さんは?」
「僕はちょっち調べ物しに出かけてくるから、お店は任せたよー」
そう言い終わるか終わらないうちにまるで台風のように店を後にした。
ジェディは訳も分からないまま店に残され、深いため息をついた。
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