駅のホームにて (1)






 登校途中、神代と一緒に山道のきつい傾斜を下りながら俺は昨日の事を思い出していた。

 要するに男をのして最寄り駅に電車が停車した後のことだ。



     ※



 俺と神代がホームに降りると、入れ替わるようにホームにいた刑事や鑑識らしい人達が一両目の中に詰めかけていった。運転手の通報で駆け付けたらしい。


 そこから簡単な聞き取りを終え、時間のかかりそうな本格的な聴取などは必要がありそうならば後日改めて、という形になった。


 一両目に乗っていた事件の目撃者――という事で順番がかなり早いうちに回ってきた俺は、全員の聞き取りが終わって解放されるまで暇を持て余していた。

 十を軽く越える数の死体に布が被せられ、担架で運ばれていく。それを横目に自販機で飲み物を選ぶ。つーか全身返り血塗れなせいでかなり人目を引く。さっさと家に帰って着替えたい……。


 ――ガコン、と落ちたコーヒー缶を手に取った折、曲がり角の向こうからざわざわと人の声が聞こえて来ている事に気付く。


 そっと角から顔を出すように覗いてみれば、立ち入り禁止のテープ奥。改札付近に大勢のマスコミが詰めかけ、さらにその向こう側にぽつぽつと野次馬らしき人達の姿が見えた。

 気付かれないうちに顔を引っ込める。


 ――大捕り物だからか大分注目されてるな。


 気絶した死刑囚の男が警官二人に拘束され、連行されていくのを見送りながらぽつりと零す。

 その右手は赤黒い液体・・・・・の染みた布で覆われている。

 彼らが角を曲がった瞬間、フラッシュとシャッター音が連続した。


「――お待たせしたのですよー」


 聞き取りを終えたらしい神代が近寄ってきた。犯人に拘束されていたという事で、ちょっと長めにいろいろ聞かれていたようだ。

 先ほどついでに買っておいたペットボトルのお茶を手渡しながらこっそりと、周りに聞こえない声量で言った。


「……上手く誤魔化せたみたいだな」

「はい。拳銃の暴発で自爆したところを私とみずはみくんでタコ殴りにした、っていう私の筋書き通りに。でもかなり急ごしらえの粗い工作でしたから、バレたらどうしようってひやひやしたのです」

「いきなり死刑囚の男の手を踏み潰したのはびっくりしたわ。――まぁ、上手くいったなら結果オーライってことで。こいつも手に入ったしな」


 手に引っ掛けたレジ袋を肩のあたりまで戦利品のように持ち上げる。中には裁断された拳銃と、男の私物であるスマートフォンが入っている。回収できるならしておきたいとは思っていたが、こうもスムーズにいくとは思わなかった。


 ――神代は狐憑きの後遺症として、何かを媒介に幻影を作り出す事が出来る。


 それを使って暴発した拳銃の破片と複数のマガジンの幻を、俺のスペランカーのカセットを生贄にして電車内に作り出し、男の手を踏み潰しその傷口を幻で他からは暴発してはじけ飛んだ風に見えるよう細工。

 そして神代の筋書き通り、拳銃が暴発して手が吹っ飛んだ隙に俺と神代の二人で男をタコ殴りした、という形に話を捻じ曲げたのだった。


 目撃者が少ないのが幸いだった。

 これに関しては乗客を殺しまくってくれた死刑囚の男に感謝している。


「けっこー緊張したのです……」

「ホントにな。つーか栂はいっつもこんな事してたのか……」


 栂に繋がっているかもしれない品を回収しておきたかったというのもあるが、それ以上に怪異の隠蔽という意味合いが強い。

 栂から口酸っぱく“怪異の存在は隠し通せ”と釘を刺されていたのを思い出す。


 怪異は“いるかもしれないしいないかもしれない”という曖昧な線の上に立っている存在だ。それが全人類にバレた時。“存在している”へ確定させてしまった時、どうなるか分からない。

 だから隠蔽することが最も望ましい選択肢だと栂は語っていた。

 ようは現状維持が最良である、ということ。


 最寄り駅が見え始めてから慌てて偽装工作を始めたため正直てんやわんやだったが、上手く事を運べて良かった――と胸をなでおろす。


「……穀潰しに迎え頼むか」


 スマホを手に取り、電話帳から“女狐”をタップして電話を発信する。

 十数回コール音。そろそろイラつき始めたころ合いになって、ようやく通話が繋がる音がした。


『しもしもー』

「おい“女狐”。今えーっと……○○駅にいる。迎えに来い」

『あいあーい。後で事情聞かせてね? “先生”』


 秒でブツンと通話の切れたスマホをポケットにしまうと、同時に着信音が鳴った。

 しかし俺のスマホのものではない。神代を見るが首をふるふると横に振って否定された。

 ――ならば一つしかありえない。


「……」

「えと、みずはみくん……」


 死刑囚の男のスマートフォンの画面に、知らない電話番号が表示されている。

 つまりこのスマホに登録されていない番号からの着信という事になる。神代が不安そうな表情を浮かべ、俺の腕にしがみつく。


 少し躊躇して――意を決してスマホを手に取った。


「もしもし」

『後ろにいるよ』

「――」


 舌足らずなその声にばっ、と勢いよく真後ろを振り返る。

 が――そこには誰の姿もない。ホームと、その向こう側にさっきまで乗っていた電車があるだけだ。


 強いて言うなら周囲には聞き取り中の乗客たちと警官がちらほらいるが、その中の誰も電話を持っていないし、別に俺の後方に立っている訳でもなかった。


 どういう事だと電話の主に聞こうとしてスマホを耳に押し当てるが、既に通話は切られた後だった。

 ツー、ツー……という音が聞こえるばかりだ。


「ど、どうだったのですか? もしかして、栂さん……?」

「いや……女の声だったけど栂のものじゃない。かなり幼かった。歳で言ったらそれこそ九石さざらしレベ――ッ」


 ――絶大なプレッシャーを感じた。


 発生源は隣の神代だった。見るからに不機嫌そうに舌打ちをしてから言う。

 ギリギリと、真顔の神代がしがみついている俺の腕から変な音が聞こえていた。


「デート中に別の女の名前出さないでよ」

「……栂はいいのかよ」

「栂さんはお友達だから問題ないのです」

「つーかデートだったんかこれ」

「男女が一緒に出掛けたらデートなのですよみずはみくん」

「いや一緒に出掛けたわけじゃないだろこの厚顔ストーカーがよぉ……」


 そんな会話をしながら着信履歴から先ほどの電話番号を探す。

 恐らく一番上にあるはずなのだが――。

 

「……」

「どうしました」

「いや、着信履歴にさっきの電話番号が残ってない――つーか電話帳にもないな」

「どういうことなのですか? 携帯に、通話履歴が残らないような細工がされているとか?」

「かもしれない。……まぁ今の段階じゃ何とも言えないけどな」


 そんな話をしていると、にわかに駅のホームがざわつき始めたことに気付いた。

 何事かと思った直後、ホームの中で待機していた乗客らが一斉に改札の方へ向かって歩いていく。


 ――聞き取りが終わったのだろうか? しかしあと三十分以上はかかる、と俺の番が終わった時に言われたのを思い出す。それからまだ十分程度しか経っていない。いくらなんでも早過ぎやしないだろうか。


 そんなことを考えていた折、俺の横を通り過ぎていった乗客の言葉を聞いて――目を剥いた。


「――なんでこんなとこにずっといたんだろ。何か警察っぽい人たちもいるし」

「――どうでもいいからさっさと行こうぜ」


「――……」

「……どういう事なのですか、これ」


 神代が横で零した声が遠い。 

 その光景は違和感の塊でしかなかった――乗客らに混ざり、先ほどまで聞き取り調査をしていたり、電車内を調べていた警官達までもが一斉に改札へと向かって歩き出し、改札付近を見ればマスコミや野次馬がいそいそと撤退を始めている。


 ……一両目を見る。まだ床は血塗れで、窓ガラスは赤く汚れている。


 だがまるでこの場にいる皆、それが見えていないかのような振る舞いをしていた。

 その矛盾に頭を抱えかけ――、


「――誰だ・・お前ら・・・


 異質な人影に気付いた。


 改札へ向かう人ごみの中に動かず突っ立っている顔の見えない黒子のような格好の三人組は、先ほどまでは影も形も無かった奴らだ。

 一体どこからやって来たというのか。


「――謝罪と、お礼を」

「は?」


 並んで立つ三人の黒装束のうち、真ん中の――声色から判断するに――女が頭を下げた。誰に対して? そんなの決まっている。こいつの目の前にいるのは俺達以外にいない。


 ホームは既に人が完全にいなくなり、残っているのは俺と神代、そして三人の黒装束のみとなっている。

 ……これはこいつらの仕業、という解釈で間違いないだろう。


 俺と神代が困惑しているのをよそに、女が両脇の黒装束へ指示を出す。


「“アカナメ”、電車内の血の掃除をお願いします。“アシアライ”はそれ以外の痕跡の処理を」

「りょーかいです!」

「ちゃちゃっと終わらせて焼肉行きましょ焼肉」


「あ、おい――」

「止めないでください。それに――このまま放置しておくことはあなた方の利益にもならないと思います」

「“にも”? ……どういう事――」


 ――怪異の存在を隠蔽し、かつ怪異がらみの事件を解決することが目的の組織に私は所属していますの。

 ……と言っても別に政府公認とかそういうものではなく、怪異がらみの次元に巻き込まれちゃった有志のボランティア団体みたいなものですけれど。


「……あぁ、そういう……」


 不意にかつての栂の言葉を思い出した。

 だとすれば――目の前の彼らが、そうなのだろう。


 神代も同じ結論に至ったらしく、黙って目の前の女を見つめている。

 とにかく説明が欲しかった。


 ――ぴちゃ、ぴちゃ。

 そこで背後から聞こえた水音のような謎の異音に、神代と一緒に振り返った。

 そこには。


「血液うめ……うめ……」

「電車……! 手垢だらけで……ハァ―――ッ⤴⤴⤴」


「「……」」


 絶句。


 一両目内に入り、飛び散った血液をべろべろと伸びた舌で舐める変態と、窓ガラスに張り付いて手形のようについた誰かの手垢を凝視している変態の姿があった。


 どちらも興奮しているのか息が荒い。

 いやどういうことなの。


「「………………」」


 説明してくれ――さっきとは違う意味で。


 そんな目でリーダーと思しき女をもう一度見ると、被り物の中からぐすぐすと涙ぐんだ声が聞こえていた。

 彼女はたった一言ぼそっと言う。


「……ごめんなさい」


 すごいしんきんかん!!





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