(4) (了)
この世界には化外の獣が存在している。
妖怪あるいは都市伝説の怪物、モンスターと言い換えると分かりやすくなるだろうか。とにかくそれらはこの世のどこかに確かに存在していて、成り立ちとしては、大多数の人がその存在を認知する事によって世界に浮かび上がる――らしい。
つまり綺麗に言い表すなら、人の思いや願いの集合体。
それを総じて怪異という。
――ところで“オボウ力”というもの知っているだろうか。
怪談で語られる妖怪・
諸説あるがおおむね産女は道端に立つ赤子を抱えた女性の姿をした妖怪であり、彼女は道行く人に「自分が髪を結っている間、この赤子を持っていてくれないか」と頼む。
それに応えて赤子を受け取ると、どんどんその赤子が重くなっていく。
重さに耐えきれず落としてしまったり持てなくなって赤子を地面に置いてしまうと殺されたり、あるいは産女が赤子ごと消え去ったりするそうだが、ここで重要なのは持ち続けた先の話だ。
――伝承によると、髪を結い終えた産女に無事赤子を手渡すことが出来た者は、五十人力とも百人力とも言われる無双の怪力を手に入れるそうだ。
それが“オボウ力”。ちなみにオボウはオバレウ、つまりおんぶする、という言葉が語源らしい。要するに“おんぶする力”である。そのまんまだった。
……スサノオは八岐大蛇を倒すことによって草薙の剣を手に入れ、ジークフリートは悪竜を殺し、その血を浴びることで不死身となった。
つまり人の思念により構築される怪異には、押し並べて俺達人間の認識によって、ある一つの特性が付加されている。
――打倒すれば、その力の一端が手に入る。
昨年の暮れ、俺はそれを成し遂げた。
生きるため、大好きなひとをこの手にかけたのだ。
※
「――」
トンネルに差し掛かった。
隣町に行くときはいつも通る、山の中にある長いトンネルだ。
ようやくかと、小さなため息を吐いた。
「……もっとだ、もっと上げろ」
「む、無理だ! これ以上は本当に上げられない! 今だってカーブで脱線してしまうかもしれない速度で、」
「うるせぇ! こんなんじゃ、こんなんじゃ簡単に追いつかれるんだよ――!」
――また運転席を蹴り飛ばした男の背後には地獄絵図が広がっている。
二両目への入口に重なって倒れ伏している乗客らの中には、どれだけ息絶えたものが混ざっているのだろう。最初は聞こえて来ていた呻き声も、徐々に小さくなっている。
血溜まりに埋め尽くされた床にはもう足の踏み場もなく、呼吸をするたび充満する鉄錆臭い空気で肺がいっぱいになる。
掃除が大変そうだな、と思った。
今のところ、一両目で銃弾を浴びていないのは男と運転手、それから俺と神代の四名だけだった。
扉の窓ガラスが撃たれた乗客らの血液で真っ赤に染まっているから、二両目の様子は伺い知れない。
――ゆらりと立ち上がった俺に銃口が向けられる。
「……何してんだ。座ってろガキ!」
「――」
――こっち見てたぁーッ。
正味めちゃくちゃビビっていた。ほとんど物音だって立てていなかったし、背中を向けていたはずなのに何故気付かれたのか。
「ほら言った通りでしょ、あの人こっそり逃げようとしていたのです……」
――テメェーッ!
どうあっても俺とこの男の対立構造を作りたいらしい神代がフツーに俺を売っていた。
予想するにこの状況に陥ってから結構経っても一切俺がアクションを起こさないからしびれを切らしたのだろう。誰か一人にでも見られたらアウトなのはお前だって分かってるだろ。
――速度がかなり出ているせいか、想定していたよりもかなり早くに電車はトンネルを抜けた。
暗いところからいきなり明るいところに出ると、暗いところに慣れていた目は必要以上の光を取り込んでしまう。だから一瞬目が眩む。
蛍光灯のある電車内はたいして暗くもないが、それでもそこそこの時間トンネルの中にいれば、出た時に一気に日光にさらされて同じようなことが起きる。
つまり誰にも見られない時間が出来上がる。
タイミングはそこだった。
「――」
男が目を細めた瞬間――俺の影から飛び出した流動する刃が尻尾のように伸び、拳銃の銃身に巻き付いてそれを無数の破片に裁断した。
一秒だってかからなかった。
「――は」
「間抜け面ぁッ!」
ばらばらと血溜まりに落下していく破片を茫然と眺める男の顔面に拳を叩き込んだ。たたらを踏んだそいつをタックルで押し倒し、馬乗りになって何度も顔面を殴りつける。
しばらくの間、拳を振り下ろし続けた。
そろそろ手も痺れてきた頃、男が完全に沈黙したのを確認してから立ち上がる。
「……」
静寂。
仰向けに倒れ、血に塗れた顔面をさらしている男を見下ろしていると、いつの間にかするりと男の腕の中から抜け出していた神代が俺の右腕に抱きついた。ぎゅむ、と押し付けられた胸の柔らかくもこそばゆい感触に若干、恥ずかしくなる。
「いやー結構楽しかったのですよみずはみくん。ありがとうございました!」
「俺は全然楽しくなかったけどな。……あ。運転手さん、もう大丈夫ですよ」
「え、……え?」
振り返って様子を確認し、そこでようやく運転手も事態が収束したということを理解したようだった。すぐにキィー……、という聞きなれた耳障りなブレーキ音が車内に響き渡る。
「と、とりあえず……こ、この車両は最寄りの駅に停車いたします。恐らく警察からの事情聴取などがあると思いますので、乗客の皆様方はお手数ですが降車後、ホームにてお待ちいただけると――」
運転手が無線を片手に車内にアナウンスするのを横目に、俺は神代に小声で話しかけた。
「つーかこいつって……」
「はい。脱獄した死刑囚です」
「やっぱりか……」
顔を見下ろしながらぼそっと言った。この男を目にしたときの神代の反応と、事前に彼女から聞いていた情報でおよそそうなのだろうな、と察してはいたものの――、
「こいつ普通の人間だよな?」
「はい。何かに憑かれているような感じもしません。憑かれていたらあの程度で気絶するはずないのですよ」
「普通の脱獄囚なのか? だとしたらなんで俺らの街の方に向かってたんだ……?」
俺や後輩に
そもそも
しかしただの偶然と片づけるには少々難しい。何故ならこの男がただ偶然こっちに逃げてきた脱獄囚だとするのなら、この男の存在が誰かの手によって事件ごと隠蔽される理由が見当たらないからだ。
「――あれ?」
「どうした」
見れば神代が血だまりからバラバラになった拳銃のグリップを拾い上げていた。死刑囚が握っていた部分だから裁断するのを躊躇した部分だ。だから原形をとどめている。
「これ、何か妙な感じがするのですけど……」
「――あ」
ぽん、と手を叩いた俺を不思議そうに神代が見る。
「どうしたのですか?」
「銃弾だよ」
「?」
「不思議だったんだ。あんだけバカスカ撃ってるのにどうして弾切れしないのか。最初は弾切れしねぇかなって待ってたんだよ。でもその様子が一切ないからおかしいなって。いやでも、まさか……」
血まみれの床には男が発砲する度に拳銃から排出された薬莢がいくつも転がっていて、その数は優に五十を超えている。
……とてもじゃないがこの小さなグリップに収まる数ではない。
そしてグリップからマガジンを取り出してみると――そこにはぎっしりと弾丸が詰まっていた。
まるで一発も発射されていないみたいに、だ。
「“尽きない弾丸”ってやつか」
「え?」
「アイツが“水槽”で培養していた都市伝説の一つだ。屋敷にそういう資料があった」
「……えっと、もしかして」
「あぁ」
男の服をまさぐり、見つけたスマートフォンの電源ボタンを押す。
ロックはかかっていなかった。メールや通話履歴にざっと目を走らせる。
そしてある一点で、俺は大きく目を見開いた。
「……」
「どうしたのですか?」
「見ろ、これ」
「――え」
気にはなっていたのだ、どうして神代をああいう形で人質にする必要があったのか。
そもそも乗客全員を人質に取るならあんな風に神代を羽交い絞めにする必要なんかなかったはずだ。
だが違った。男にはそうしなければいけない理由があった。
ショートメールの一覧を開くと、そこには一通だけ“人質”というタイトルのメールがあった。タップして画像を開く。
神代の写真だった。
その真下に、“コイツをメインに。あとは任せる。目的達成頑張れ”という文章がある。
……文面の意図は良く分からないが、とにかくコイツは誰かの指示でこの事件を起こしたらしい。
そして死刑囚を無理やり脱獄させ、拳銃を持たせて逃亡させる――そんな人並外れた外道を俺は一人しか知らない。
「……」
「――これ、マジで生きてるのかもな。アイツ」
――会いてぇなぁ、
ちょっと嬉しくなって来た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます