(3)
「最近キナ臭いですよね」
不意に。
俺達以外に誰一人として人の姿がない駅のホームで電車を待っていたところ、隣に立つ神代がそんな事を言い出した。
「キナ臭いって、何が」
自販機で買ったカフェオレを口に含みながら問い質す。
神代は腕を組みながらひとしきり唸った末、自分でもあまり結論に納得がいっていないような、そんな口調で語り出した。
「全部――というとざっくりし過ぎていますけど、おおよそ日本で起こっている全ての出来事がキナ臭いのです」
「……スケールでかくね」
雨が降り始める。
ホームの屋根を雨粒が執拗に叩く音をバックに、淡々とした調子で神代は言う。
濡れた前髪が、額に張り付いていた。
「――数日前、○○県の収容所にいた死刑囚が脱獄したそうです。方法は不明。しかもどういう訳か拳銃を所持していたとのことなのです。
最後に防犯カメラに映っていたのは××県方面に向かう電車に乗り込むところでした。つまり
「……」
「これだけならまぁたまたまでしょうけど、他にもいくつか似たような事件が起こっているのです。
……△△県東部のある街の深さ二メートル弱の用水路で溺死体が発見されました。死亡推定時刻に雨は降っていませんでしたし、平時は水かさがくるぶしにも届かないような用水路です。
落下して頭を殴打し死亡、というなら分かりますけど外傷はなし。つまり溺死に至った原因が分からないんです。不可解ですよね。
――これと似たような事件が起こった箇所を全国で調べ上げて古いものから線で結んでつなぎ合わせていったら、南西から北東へ向かって走り抜けるほとんど真っすぐな一本の線になりました。やっぱり上住町に近付いて来ています。
ちなみに最新の事件は上住町の隣の隣町、つまりこの町で起こっているのです。
九十九パーセントみずはみくんのストーキングが目的でしたけど、もののついでにちょっと現場を見て来ました。何も残ってはいませんでしたけど、確かによっぽどの大雨でもなければ溺死出来るような環境ではありませんでした」
「……」
「□□県。マンションに住むOLさんが朝方、ベランダから見下ろしたマンション前の道路に不思議なものを見つけました。幅八十センチくらいの赤黒い線で、それが自宅前の道路の中央辺りを蛇行しながら右から左へ走り抜けていました。
言ってしまうと線の正体は細かく削れた人の肉と骨と衣服でした。
警察が確認したところ、それは長さ数キロに及んで人がアスファルトに強く押し付けられながら人が引きずりまわされた痕跡でした。クレヨンを紙に強く押し付けてびー、って線を引いたら同じようになると思うのです。
同様の事件が複数確認されています。こちらも徐々に、事件が起こった場所が上住町へ近付いて来ているのですよ」
「……」
「他にもいくつかの事件が起こっていて、そしてこれらの事件にはいくつかの共通項があります。
例えばどれも早期に警察の捜査が打ち切られていて、どの事件もマスコミは一切取り上げていません。ゴシップ系の週刊誌にさえ載っていない。当該地域のすでに削除されたSNSの記録をサルベージするのは結構苦労したのですよ。
……ねぇみずはみくん、この感じ、覚えがありますよね」
「――乗るぞ」
「はい」
電車が目の前で停車する。
俺と神代が乗り込んですぐ扉が閉まり、がたんがたんと再び電車が動き出す。
あまり人のいない静かな一両目。
真横に腰かけた濡れ鼠のままの神代を見下ろしながら俺は小声で問う。
「……結論を言ってくれ神代。お前はいったい何が起こってるって考えてるんだ?」
「……荒唐無稽と言われてもしょうがないのですけど、関連性がある以上は伝えておく必要があると思います。
「――」
思考が止まる。
神代は小さな声で続ける。
「どういう訳か上住町に集結しているように考えられる不思議なくらい同じタイミングで発生した怪異も、その怪異が引き起こしたと思われる事件への注目度が極端に低いのも、全てあの人が関わっているなら納得がいきます。
だってそういう力をあの人は持っている――私達はそれを知っているのです。だって街の半分が濁流で流されて、数えきれないくらいの人が死んだはずなのに、私たちが知る限り、私達以外どこの誰も、その事を何とも思っていないのですから」
目の前にいるはずの神代の言葉が、ずいぶん遠くに聞こえた。
脳裏で高飛車な
「所詮は憶測の域を出ませんし、本当に偶然という可能性もあります。
情報統制に関しては――あの人はそういう事件を処理する団体に所属していたんですよね? ついぞ私たちには何の説明もしてくれませんでしたけど、その団体にあの人と同じような事ができる人がいたっておかしくはありません」
「……そいつらがやったってことか」
「なのです。……そもそもあの人が死んだ事は明白。だって私もメスガキも犬もタマちゃんも大蛇さんも、全員それを目撃しています。みずはみくんが斬り殺したのを見ています。……黄泉帰りだなんて、そんな馬鹿みたいな話がある訳がない」
――それにもしもその馬鹿げた話が有り得たとしたら、あの人の性格を考えれば姿を隠したまま出て来ない、なんてことは絶対にないと断言できます。姿を現せば、その時に真偽がはっきりするのです」
話し込んでいるうち、気付けば隣町の駅に到着していた。ブレーキの高い金属音と共に電車はゆっくりと止まり、そして開いたドアから十数人が車内に乗り込んで来る。
あと五分もすれば上住町にも到着するだろう。……乾かせばきちんと動いてくれたりしないだろうかと、ポケットから湿ったカセットを取り出す。
インクが滲んだ表面はもう何が描かれているか分からなくなっていた。
「え」
「……?」
瞬間、隣で神代が息を呑むのが伝わって来た。
見れば彼女の視線は彼女の目の前に立つ男に注がれていた。
無精ひげを生やした大柄な男。そいつは、神代をじぃっと見下ろしていた。
「……どうした、神代」
「見間違い……じゃあ、ないのですよね」
「は?」
苦笑いを浮かべる神代の意図が分からない。
そして、加速し始めた電車が駅のホームを抜けた直後だった。
ぱぁん、と乾いた音が電車内に響き渡った。
「――」
……俺を含めて、誰も正しく現状を理解出来ていなかった。
あるいは、神代はこの状況を予期していたのかもしれないが。
ともかく目の前で起こった出来事はシンプルだった。
神代を凝視していた男がおもむろに、ポケットから取り出した拳銃の引き金を引いたのだ。
「――な」
着弾したのは神代の頭上の窓ガラスだった。恐る恐る後ろを振り向けば、弾丸がぶち当たったと思しき部分には穴が空き、そこから放射状にヒビが広がっている。
静寂が、一両目を包む。
「立て」
「かみし――」
「お前だお前! 女ッ!」
「きゃっ」
男は神代の腕を掴んで無理矢理立ち上がらせると、その首に腕を巻き付けるように神代を拘束し、そのこめかみに銃口を突きつけた。
何かありましたか!? という運転手の焦った声が運転席から聞こえた。
「――動くな! それから喋るなよ」
張りつめた糸か切れるように緊張が爆発してパニックが巻き起こらんとする絶妙のタイミングで、男が叫ぶ。
異様な雰囲気に包まれ始めた一両目をざっと見渡して、男は続けた。
「いいか、コイツもお前らも人質だ。殺されたくなきゃおとなしく座ってろ」
――俺はそれを冷ややかな目で見つめていた。
確かに頭上の窓ガラスを撃たれたのはちょっとビビったというか正直心臓が口から飛び出すかと思ったが、神代を人質に取るとかコイツ運が無さ過ぎるな、と心の中でこの男の不運を笑う。
だって本気を出せば神代はゴリラより腕力のある女子高生である。たかが成人男性の腕一本程度、簡単に引きはがして殴って気絶させるまで楽勝だろう。
目くばせする。さぁ神代、さっさとその男をのしてしまえ――。
「――いやぁ!」
「うるせぇぞこのアマ!」
「……えっ」
思考が止まった。
……いやあの、何してんのお前。
羽交い絞めにされた状態でじたばたと暴れる神代だが、しかし一切男の拘束から逃れられていない。
理由は見て分かった。
――コイツ全く全力を出していない……!
――は・や・く・し・ろ。
そんなアイコンタクトを何度か送るが、というか口パクすら使って伝えてみるが、神代はうるうると瞳を滲ませて俺を見るばかりで一切抵抗する様子を見せない。
全力なら銃弾を喰らっても傷一つつかないだろうし、飛んできた弾を素手で掴んで受け止める事だって出来るだろうに、彼女は押し付けられた銃口に怯えている――フリをしている。何故か。
……考えれるまでもなくすぐに分かった。
もはや明白だった。
――コイツ人質っていうシチュエーションを楽しんでやがる!
そして神代は俺へた・す・け・ての口パクののち、ウインクを一つした。
まじでどついたろかこのケモ怪力ロリ巨乳変態ストーカー。
※
以上が事の顛末である。
要するにこの状況は俺と神代にとっては一言でまとめると茶番だった。
ほかの人間にとっては知らん。
――とはいえ、“友人”がそうしたいと望むのであれば、俺にそれを断る権利はない。
解決策は既に組み上がり、後は実行するだけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます