(2)
数時間前に遡る。
五月下旬。昼前。俺――
店頭で吟味した末、購入したのはスペランカーだった。
実況プレイ動画は何度か見ていて、自分もやってみたいと店頭でソフトを見かけた時に思ったのがきっかけだ。
……鬼畜鬼畜って言われてるけど実際のところはどんなもんなんだろ。
ソフトの入ったレジ袋を片手に、昨日の豪雨で出来た水溜まりを避けて駅に向かって歩く。
歩道橋に差し掛かる。結構傾斜の急な階段を上り終えたところで、歩道橋の真ん中に立ち、道路を行きかっている車を見下ろしていた友人とばったり遭遇した。
「……あ? ここで何してんだ神代」
名前を
長い黒髪を肩甲骨の辺りでくくって束ねた可愛らしい少女で、手がすっぽり隠れてなお袖が余裕ででろんと余るくらいだぼついているパーカーから、白く肉付きのいい生足が伸びていた。
彼女はこちらに気付くとふわりと微笑み、
「ふふ、やっと見つけましたよ――こんにちは、みずはみくん」
……若干噛み合っていないような会話だ。
というか、その口ぶりからして俺を探していたのだろうか。
そう訊ねると神代は頷く。
「その通りなのです。探していました――もう、ホントに苦労したのですよ? GPSの情報取得があんまり上手くいかなくって……ざっくりとした位置しか分からず、結局街中を走り回る羽目になってしま」
「待てや」
はい。と言ってぴたりと言葉を止めた神代を見つめながら、ポケットから恐る恐るスマートフォンを取り出した。
そして訊く。
「……また仕掛けたの?」
「はい」
「わぁー」
――気の抜けた悲鳴を上げながら即座にアプリ一覧を開いて確認すると、確かに入れた覚えのないアプリケーションがインストールされている。
“神代といっしょ”という名前のアプリだ。名前は可愛らしい感じだが、恐らく内容としてはいつも通り俺の位置情報が神代に筒抜けになるというアプリである。
神代環。
彼女は俺のストーカーだった。
いやもうどうしてコイツと友達関係やってんだろうな。
アプリのアイコンは神代と俺のツーショット写真だった――遠くで背を向けている俺らしきぼやけた人影と、間近でカメラに向かってものすごい笑顔を浮かべてダブルピースをキめている神代が映った写真。
要するに盗撮だった。
こわすぎてスマホをぶん投げかけた。
とりあえず無慈悲にアンインストールを連打していると神代がちょっと涙目になる。それを見て若干罪悪感に胸を締め付けられつつ、
「というかいつ仕掛けたんだ。全然気付かなかったぞ」
「つい昨日なのです。寝込みを襲う前にインストールしておきました」
「あーあの時かぁ」
そういえば心当たりがあると言えばあった。ぽん、と手を叩きながら思い出す――つい昨日の夜の事だ。
ふと寝苦しさを感じて目を覚ますと、息を荒げた神代が俺に馬乗りになり両腕の手首をつかんでいた。
「……えっどうやってロック解除したの……?」
「指紋認証って寝ている人の指をスマホに押し当てればいいだけなのです」
「こわい」
さらりと言ってのける神代に対する恐怖心が留まるところを知らない。
「しかし残念なのです。次はどうやってインストールしましょう……あ、じゃあ私からのメールを開いた瞬間インストールされるようにするのですよ」
「そんなんほとんどウイルスじゃねーかふざけんなよ」
※
「みずはみくん手ぇきれいですよねぇ……」
「怖いぞ神代。……いやマジこわいからやめて? ねぇ」
“手を出せ”と脈絡なく言われ、断る理由も特にないのではい、と頷いて差し出した俺の手を神代はガッ、と掴んだ。それから十分ほど血走った目で指先を観察された末に言われた言葉がそれだった。
吉良吉影みたいだな、と思った。
ところで指の間の水かきの辺りはさすられるとこそばゆいのでやめて欲しい。
おもむろに神代が口を開く。
俺の爪をとんとん、と指先で叩きながら、
「そういえば爪の主成分――ケラチンは熱すると固まるそうなのです」
「よく知ってるな」
「爪を細かく砕いた粉末を加工して宝石もどきを作るっていう動画があって。……えへへ、結婚指輪の宝石はお互いの爪で作りましょうね、みずはみくん」
「ひぇっ……」
指先をとても丁寧につつつー、となぞられて、怖気が全身を走り抜ける。
――俺と神代は昼食がてら蕎麦屋にやって来ていた。
時間は少々早いが軽食を、と考えた結果、たまたま近くにあった蕎麦屋を選んだ形だった。
山葵をふんだんに入れためんつゆに蕎麦をつけ、啜る。
むせた。
「おぇっうえっふ、えうっ」
ツーン、という音で表現される独特の痛みが喉やら鼻やらで暴れまわる。
「げほっ、おえ、うえっ……」
「もー。一気に啜るからですよ? ほら水飲んで落ち着いて下さい」
「げぼ、ご、ごめん……うえっ……」
神代が差し出したコップに犬みたいに口をつける。
……あれこれ俺のコップじゃないのでは、
「余計な事は考えなくてよいのですよ」
「うえっぶぇっ」
ぐいっと傾けられたコップから一気に口の中に水が流れ込んできてもう一度むせた。
「だれも急かしたりしませんからゆっくり落ち着きましょう。ね?」
「いやこれお前のせいあぼぼぼぼ」
……そんなこんなあったもののなんとか咳は収まった。
口からテーブルの上に噴き出してしまったものを片付けようと紙ナプキンを手に取り、そこで神代が蕎麦の破片をピンセットで採取し、一つ一つ小さなジップロックに入れているのに気付いて吐き気を催した。
スポイトまで取り出して飛び散っためんつゆの一滴一滴を採取して小瓶に収め始めたのを見た時はもうマジで友達やめっかなーと思った。
……まぁそういうわけにもいかないので見て見ぬふりをしつつ蕎麦に口をつける。
蕎麦美味しいです。
「……うーん」
「ん……、神代は食べないのか?」
見れば神代は運ばれてきた蕎麦に一切手を付けず、蕎麦を啜る俺の事を凝視していた。
もちゃもちゃ、と咀嚼して飲み込んでから訊ねる。
「いやなんか啜るときに髪の毛をかき上げる仕草がえっちでずっと見てたいんだよね」
「は?」
“なのです語尾”が完璧に抜けた怪文書が神代の口から飛び出した。
ビシィ、と時が止まったように思考が働きをやめる。
茫然とする俺に向けて、心底呆れた様子で神代は続けた。
「みずはみくんは自分がとてもえっちぃという事を自覚するのです。女性を引き付けるフェロモンがやばいのです。仕草とか行動がいちいち煽情的というか」
「……良い病院を紹介するぞ」
「いや事実なのです。メスガキも犬もそう思ってますよ、いやあいつらと同じ考えとか虫唾が走るのですけど。やっぱりそれも前に行ってた妹さんのおかげでしょうなんでしょうか」
神代の発言に首をひねりつつ、んー、と顎に手を当てて実家にいた頃を思い返す。
「……いや、
「中学生の間ずっと地下の座敷牢に監禁されて妹さんにいろいろ仕込まれてましたよね?」
「そうだけど。……それがどうかしたのかよ」
「ふふ。やっぱりみずはみくんは無自覚にイカれてて最高なのです」
「……?」
「そんなんだから逆レされるんですよ!」
「それはマジで勘弁してくれ」
つーか何で俺が怒られてるの?
※
「ゲームなんかにかまけてないで私にもっと構ってくださいよッ!」
壁ドンを仕掛けられたものの、明らかに神代の身長が足りておらず神代の顔が俺の胸にうずまる結果となった。そしてヘソの辺りにやわこいものが押し付けられる。
――毎日のように逆レされ、常日頃ストーキングされ尽くし、自分の口から飛び散ったものをジップロックや小瓶に保存されようと――神代は俺の友達であり、そして非常に可愛らしい女の子である。
だからここまで密着されれば普通に興奮するというか、ぶっちゃけめちゃくちゃドキドキしていた。
ただし場所が最悪だった。
道行く人が何あれ、と若干引いた様子でこちらを見ては目をそらし、前を横切っていく。
俺が羞恥心で顔を抑えている一方、神代は叫ぶように言った。
「背丈が足りない!」
「……まだ高一だろ、成長の余地はあるんじゃないか」
「いやもう無理なのですよ、つーか完全に胸に栄養吸い取られてるのです」
神代が俺を見上げながら言う。
確かに神代の胸はパーカーを下から突き上げるような、同年代のそれと比べても大分でかいサイズをしている。蕎麦屋では卓上にぽよんと置いてあるものだから目のやり場に困っていた。
なのです遣いで怪力かつ低身長巨乳
「で、本題なのですけど――」
「そのゲームソフト捨てろって?」
「はい、だってみずはみくん新しいゲーム買うとそれに夢中になるじゃないですか」
「いやだって面白いし……」
「夢中になるのは良いのです。でも私のことをないがしろにするのはダメなのです。
覚えてますからね、春休みにSEKIROを100時間ぶっ続けでやってた時の事。私があそぼーって言っても全然聞いてくれなかったのです」
「いやだって面白かったし……」
「いやあれクソゲーでしょ」
「は???」
キレんぞ。
「……ともかく、流石にそれは神代の頼みでも聞けな」
「えい」
「あ゜あ゜あ゜ーーーーーー⤴⤴⤴」
レジ袋をあっさり奪われ脳が溶けたような汚い悲鳴が出た。
「かえ、かえっ、返せこの……!」
「ふははははは! やっぱりみずはみくんはいじめてナンボなのですよ! これは私が責任をもって処理&%$@+――」
「足早ぇなオイ……!」
脱兎のごとく逃げ出した神代と俺の距離は既に数メートル以上離れていた。こちらも全力で走っているというのに……というか途中から声聞こえなくなったぞ。
冗談だと思いたいが神代の事だからきっと冗談ではない! 俺の4000円――!
――あ。
「危ない神代ッ」
「――? ――」
「バカ立ち止まるな!」
不思議そうに振り向いて立ち止まった神代の横の道路には遠目からでも分かるほど大きな水溜まりがあった。
そこを向かい側から猛スピードで走ってきたトラックが通過する。
巨大なタイヤが水溜まりを踏み、上がった水飛沫が神代に直撃。
「わぶッ!?」
「……あちゃー……」
――悲鳴さえ水飛沫に掻き消された神代の姿は散々なものだった。
綺麗な黒髪は汚れ、パーカーはぐっちょりと濡れて肌に張り付いている。
大丈夫かと声をかけつつ、うつむいている神代に近付いたところで気付く。
――俺から奪い取ったレジ袋が消えていた。
あれ? と首を捻りながら神代の足元に視線を落とし、
「――あ」
――水溜まりに、レジ袋ごとゲームソフトが沈没していた。
絶望が、そこに鎮座していた。
「……………………」
「みずはみくん……」
その場に膝から崩れ落ちた俺に、額に張り付いた前髪の位置を直しつつ神代が駆け寄って来る。
「……いや、お前がこの後何をしようとしてたのかはともかく、これは不幸な事故ってやつだ……うん……」
「みずはみくんは優しいですね……そんなみずはみくんなら実は事故を装ってソフトを水浸しにしたらそういう風に言ってくれると思ってわざとやりました……てへぺろ」
「クソアマァ――ッ!」
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