好きな人を殺したらヤンデレどもに命と貞操を狙われるようになった

ねなし

密室は動く (1)




「――動くんじゃねぇぞ」


 蛍光灯に照らされた電車の中は異様な空気に包まれている。


 昼過ぎ。

 七両編成の電車の一両目、その運転席に通じるドアは開け放たれていて、ちょうどそこに拳銃を持った筋肉質な男が立っていた。


 銃口はその太い腕で抱くように抱えた小柄な少女の――人質・・の、こめかみに押し当てられている。


 それを意識する度、ざりざりと蠢く・・のを感じた。


「おい。……おい!」


 静かな車両にいきなり響いた大きな音に、俺の目の前に座る小さな男の子を抱いた女性がひ、と小さな悲鳴を漏らしながら目を閉じた。腕の中の強く抱き締められている男の子は、顔をしわくちゃにしながら静かにすすり泣いている。


 二両目とこちらを隔てる扉の窓ガラスの向こう側には、何人も二両目の乗客が詰めかけ――もちろん、一両目に踏み込んでくる者は誰一人としていない――こちらの状況を固唾を飲んで見守っていた。


 運転席の背もたれを蹴飛ばした男は、荒々しい口調で運転手に告げる。


「いいか、もっとだ。もっとトバせ。出来んだろ」

「そ、そうは言ってもこのまま走り続ければ、いずれ前の車両にぶつかって――」

「――」


 無言で。

 男が発砲する。


「ひ、ひいィっ」

「――黙れッ!」


 銃声に連鎖するように乗客の間で小規模なパニックが起きる。悲鳴と嗚咽が入り混じり、混沌とし始める電車内に、男の怒鳴り声が響いてまた静寂が出来上がる。


「いいか。お前は俺の言うとおりにすればいいんだ。行き先はどこでもいい。もっと早くだ。早く走らせろ。何度も言わせるな」

「は、は、え……はいッ、あぁ頼む、前の車両をどけてくれ! このままだとぶつかってしまう……!」


 運転手が更に電車の速度を上げ、手元の無線機でどこかへ叫ぶように連絡した。

 ――車窓の外を、凄まじい速さで外の景色が流れていく。


 ……しかしさっきからずっとこんな調子だな。

 何回おんなじやり取りしたら気が済むんだこいつ。


「ったく……」


 再びこめかみに銃口を押し当てられた少女が、熱したフライパンに指先が触れたような、そんな苦痛の表情を浮かべる。

 ――発砲後の銃の温度は高い。それこそこれだけ連続して打ち続けていれば、銃口は触れれば火傷するくらいに熱くなっているだろう。


 少女の潤んだ瞳と目が合った。

 ――蠢き、軋む。喰い合う。

 衝動的に使いそうになるのを抑えつけながら、打開策を考え続ける。

 バレるような真似はするな、と釘を刺されている。

 実際にその方がいいのは分かっているが、どうにも歯がゆかった。


「な、なぁ――落ち着かないか、君……」


 そこで、俺の隣に座っていた男が不意に立ち上がった。

 二十代くらいの男性だ。焦燥と恐怖が滲む表情で、体を震わせながら、何も持ってない、何も企んでないと示すように両手を上げている。


 彼は続けた。


「こ、こんな事をしたって……君の罪が、重くなるだけじゃ」

「うるせぇ」


 ――視界に赤色が差した。

 銃声とともに男の腹に服を突き破って直径一センチほどの穴が空き、Tシャツの白い生地がそこを中心に、赤い黒に染まっていく。


 ――誰も、何も喋らなかった。

 数秒経った。それから車内に劈いた男の悲鳴で、これまでとは比にならないようなパニックが巻き起こった。

 座っていろ、という男からの命令を無視し、何人かの乗客たちが二両目へと詰めかけていく。


「うるせぇ、うるせぇ、うるせぇ……うるせぇんだよお前らァ――――!! 

 従え、従え従え従え――ッ!!」


 発砲、発砲、発砲――。

 二両目へ逃亡しようとする乗客らへ銃を向けて男が乱暴に引き金を引く度、誰かの叫びが響き渡る。運転手は奇声を上げ、二両目の方からも悲鳴が連続していた。

 まぁ――当然、二両目の人間が一両目の人間を入らせる訳がない。何人かで小さな取っ手を掴み、がっちりと必死で閉じている。


 当たり前だった。二両目に逃げ込んだ人間を銃を持った男が追いかけていけば、二両目の彼らにまで危険が及んでしまう。

 開けてくれ、頼む――と懇願し、扉の前に詰めかけた乗客らの頼みを泣きそうな顔で拒絶しているのが、人ごみの隙間から見えた。


 と――手元が狂ったのか、逃げようとしていないはずの、目の前にいた女性の足が撃ち抜かれた。もう血で汚れていない場所を探す方が難しいくらい、赤色の散らされた床の上に倒れ込んだ母親に抱かれていた男の子が縋り、ママ、ママと言いながら彼女の体を揺らす。


 そして、


「うるせぇんだよ、ガキ」


 ぱぁん、とその男の子の頭が、柘榴みたいに弾けた。

 ……混沌の坩堝と化した電車内で、俺は男の子だったものを倒れたまま抱いて叫ぶ母親を、じぃっと席に座って見下ろしながら思考していた。


 ――神代をどうやって助けよう。


 幸い銃弾は一発も当たっていないから、俺は五体満足で動くのに支障はない。

 ……というかこれ全員死んだら逆に好都合だよなぁ、なんて思いながら目の前で子供と同じように頭を撃ち抜かれて死ぬ女性を眺める。





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