第870話 立ち上がる男(後編)
※今回も引き続き、新旧コンビの新田和樹目線の話になります。
「そんじゃまぁ、行くか、和樹」
「あぁ、行こう」
出掛ける支度を終え、達也と共にシェアハウスを出る。
目的地はギルド、今の時刻は依頼争奪戦が終わる頃だ。
今からギルドに向かうと、ちょうど訓練場で講習が始まる頃だろう。
講習に参加するならば、もう少し早い時間に行く必要があるが、俺達は既に講習は終えている。
このギルドの講習は、何の知識も技術も無しにダンジョンに潜って、犬死する冒険者を減らすために開設されたと聞いている。
まぁ、講習を終えたからといって、すぐにダンジョンで稼げる訳でもないし、死なない保証をされる訳でもない。
それでも冒険者としての基礎知識を身に付けるにはもってこいだし、実際に講習で習ったことは役に立っている。
「和樹、やっぱ少し早かったんじゃね?」
「そうかもしれないけど、逆にこの時間に居なかったら、立ち直る脈無しなんじゃね?」
「あぁ、確かに……」
ギルドの講習が始まる時間は、世間一般で仕事が始められる時間でもある。
この時間から訓練を始めていないなら、やる気もその程度……とは必ずしも限らないが、それでもやる気の度合いを測る目安の一つにはなるだろう。
ギルドの建物に入り、訓練場へ向かう途中でドノバンさんと鉢合わせになった。
「さっそく汗を流す気になったか?」
「あんまり期待しないで下さいよ」
「分かってる、だが知らぬ仲でもないんだ、少しぐらいは手を貸してやれ」
「それも、当人が望むかどうかじゃないんですか?」
「そうだな、押し売りまではしなくていいぞ」
そう言い残すと、ドノバンさんは講習を始めるために訓練場へと出て行った。
少し距離を置いて俺達も訓練場に出る。
この時間に訓練場にいるのは、講習に参加する者を除けば、熱心に訓練をする少数の者に限られる。
「おい、達也、走ってるぜ」
「だな」
講習が行われている場所から一番離れた訓練場の端をジョギングするギリクの姿があった。
端から端までジョギングペースで走り終えると、百八十度向きを変え、今度はダッシュを始めた。
「バランス悪いな」
「だな」
右腕を肩から失った影響なのだろう、走り方がぎこちなく見える。
人間の腕の重さには個人差があるが、重さ自体はゴツいギリクでも五キロ程度だろう。
重さのバランスが崩れたというよりも、無くした右腕の分を左腕でカバーしようと考えすぎて余分な力が入っているように感じる。
「てか、相当鈍ってやがるな」
「だな」
達也の言う通り、ダッシュを始めたものの全力疾走が持続したのは三十メートル程度で、そこからはガクーンと速度が落ちた。
それでも、もがくように走り続けていたから、全力での走りだったのだろう。
訓練場の隅まで走ると、ギリクはまた百八十度向きを変え、ジョギングペースで走り始める。
そして、訓練場の隅まで辿り着くと向きを変え、大きく息を吸い込んで全力疾走を始めた。
「なんだあれ……どこのオッサンだよ」
「ぷっ……あれじゃゴブリンにも逃げられるぜ」
講習の準備運動としてドノバンさんから素振りを命じられている参加者から、ギリクの全力疾走に対する嘲笑が洩れ聞こえてくる。
だが、それも仕方ないと思えるほどギリクの走りは無様だった。
「他人を笑う余裕があるなら、もっと腰を入れて振れ! ただ振るんじゃなく、仮想の敵を斬るつもりで振らないなら意味ないぞ! 百本追加!」
「うぇぇぇ……」
「なんだ、少ないか、もう百本追加だ! 返事!」
「はいっ!」
講習の参加者にとっては、とんだとばっちりだとは思うが、ギリクが笑われているのを見て、ちょっとムカついていたからスっとした。
ギリクのこれまでの行いを考えれば、笑われても仕方ないのだろうが、それでも真面目にもがいている姿を笑われるのは気分が悪い。
「さて、達也、俺らも走るか」
「おうよ、俺らの華麗な走りを見せてやろうぜ」
俺達も一時期訓練をサボりがちになった時期があった。
ちょうど娼館通いにのめり込んでいた頃だが、ジョーたちと合同で訓練をした時に、体力的に差が開いているのに愕然となってトレーニングを再開したのだ。
いくら魔術のレベルが上がっても、動けなかったら冒険者は死ぬ可能性が高まる。
ましてやパーティーを組んでる近藤と差が付いて、足を引っ張るようになるのは情けない。
まぁ、正直に言えば、モテるジョーを見習って、モテるために鍛え直したというのが実情だ。
「五割から始めるぞ、達也」
「おうよ、和樹」
ギリクがダッシュを始めた場所までジョギングして、そこから一気に速度を上げる。
全力疾走の五割程度の速度だが、ギリクを軽々と追い抜いて訓練場の隅まで走り抜けた。
ターンして、ジョギングしながら戻っていくが、一応全力疾走しているギリクは喋る余裕は無いようだ。
「次、六割な」
「おぅ」
今度はこっちが速度を上げた状態ですれ違うが、ギリクはムッツリと黙ったままで通り過ぎて行った。
俺達が強度を上げつつダッシュを四本走った時点で、ギリクはダッシュを止めてバーピージャンプを始めた。
真っ直ぐ立った状態からしゃがみ、腕立て伏せの姿勢を取ったらしゃがんだ姿勢にもどしてジャンプ。
勿論、こんなトレーニングはヴォルザードには無かったもので、俺達との合同訓練の時に学んだものだ。
体をバランス良く動かす、倒れた状態から素早く態勢を立て直すのに必要な筋肉が鍛えられるので、冒険者のトレーニングとしては有用だ。
「へぇ、マジみたいじゃん」
「だな、俺らもアゲていくか、和樹」
「だな!」
黙々とトレーニングを続けるギリクの横で、俺達も同じ種目を強度を上げてこなしていく。
暫くの間は黙ってトレーニングを続けていたギリクだが、とうとう我慢出来なくなったらしく声を掛けてきた。
「手前ら、何のつもりだ!」
「そいつは、俺らのセリフですよ、なっ和樹」
「そうっすよ、そんなブクブク鈍りきるまで、なにやってたんすか」
「うるせぇ、手前らには関係ねぇ!」
「だったら、俺らも勝手にトレーニングするだけっすよ。なっ達也」
「おうよ、俺らバリバリ現役の冒険者だから、鍛錬してなきゃ死ぬからな」
「ちっ、勝手にしろ……」
実際に、一緒にトレーニングして分かったのだが、今の俺達とギリクでは大きな差がついてしまっている。
自慢する訳ではないが、俺らは既に中堅上位ぐらいの実力はあるはずだ。
一方のギリクはと言えば、駆け出しの冒険者にも劣っているだろう。
この状態で手を貸すのは、俺達が一方的に援助するという事で、それは変にプライドの高いギリクの望む事ではないだろう。
だとすれば、やるべき事は優しく手を差し伸べる事ではなく、ギリクの過去を知り、今を知っている俺達が見ていると知らせる事だ。
かつて見下していた俺達が実力をつけて認められ、今の情けないギリクを見ていると知らせる事で反発心を煽るべきなのだろう。
木剣の素振りを始めたギリクの横で、俺達も素振りをする。
「振りが鈍いっすねぇ」
「うっせぇ!」
「それじゃゴブリンも倒せないっすよ」
「黙ってろ!」
達也も俺も、ニヤニヤしながら素振りを続ける。
ふっと視線を向けると、珍しくドノバンさんがこっちを向いて笑っていた。
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