第867話 カミラとサヘル

※今回はカミラ目線の話になります。


 ふっと目を覚ますとカーテンが払暁の明かりに照らされていた。

 十歳の頃から続けてきた習慣のせいで、この時間になると目が覚めてしまう。


 手早く着替えを済ませて、足音を忍ばせて部屋を出る。

 この時間、家族のみんなは、まだ夢の中だ。


 いや、それは正解ではなかった。

 厨房では料理人が朝食の仕込みを始めているし、使用人たちも起き出している。


 そして、玄関から庭に出ると、コボルト隊やギガウルフ達が私の様子を確かめに来る。

 ケント様にとっては、みんなが家族だから、既に家族達も活動を始めているのだ。


 私が何をしに庭に降りたのかと言えば、木剣の素振りをするためだ。

 十歳の頃から、早朝の素振りを日課として続けてきた。


 一国の王女としては、あるまじき習慣と言っても過言ではないが、その当時から頼りない兄達にとって代わるなら……と考えて始めたから、周囲に何を言われようと止めなかった。

 ケント様を召喚した頃も、ラストックの駐屯地で続けていたし、王城に戻った後も続けていた。


 だが、弟がリーゼンブルグ王国の国王になると決まり、私もケント様の下へ輿入れすると決まった時から、剣の鍛錬は止めてしまった。

 一国の王族としてではなく、一人の女性として妻になるには剣術は必要ないと考えたからだ。


 剣の鍛錬を止め、その代わりに裁縫や刺繍などの練習を始めた。

 女性らしく、配偶者らしくという思いで始めたのだが、正直に言うと自分に向いているとは思えなかった。


 それに、剣の鍛錬を止めても、早朝に目が覚めてしまう習慣は治らなかった。

 ヴォルザードに輿入れした後も、やはり素振りをしていた時間になると目が覚めてしまった。


 ある日、ケント様と床を共にした朝も夜明け前に目が覚めて、二度寝が出来ずにいると、ケント様も目を覚ましてしまった。


「申し訳ございません、起こしてしまいましたか?」

「ん? カミラ、眠れなかったの?」

「いえ、昔からの習慣で……」


 剣の鍛錬を止めても、この時間に起きてしまうと説明すると、ケント様はジッと私の顔を見つめて問い掛けてきた。


「カミラは、剣の鍛錬は嫌い?」

「好きか嫌いかと聞かれたら好きですが、今の私には必要ないかと……」

「カミラは、必要じゃなければやらないの?」

「そういう訳ではありませんが……」

「カミラ、やりたいならやっても良いんだよ。やりたくないなら無理してやる必要は無いけど、やりたい事を止める必要も無いんだよ」

「よろしいのですか?」

「うん、奥さんらしくとか、元王女らしくとか、考えなくて良いからね」

「ありがとうございます」


 正直、明け方に目が覚めてしまってからの時間の使い道に悩んでいた。

 それに、私は剣の鍛錬が大好きだ。


 心を落ち着け、無心で剣を振るっていると、私自身が一本の剣のように思えてくる。

 アルダロスの王城で王位継承争いに巻き込まれていた頃も、傾いた国を何とかしようと異世界召喚をした頃も、木剣を振れば頭から雑念を追い出す事が出来た。


 今になって思えば、自分にとって好ましくない事情を忘れるために木剣を振っていた気がする。

 ヴォルザードに来てからは、毎日が幸せで、木剣を素振りして頭から追い出したい嫌な事など何もない。


 それでも、無心で剣を振るっていると、自分の背中にピンっと一本筋が通るような気がするのだ。

 ケント様の勧めもあって、私は早朝の素振りを再開した。


 最初は何事かと集まってくる眷属に驚いて、素振りに没頭出来ない日が続いたが、徐々に集中して没入出来るようになった。

 早朝の素振りが日課となり、私が集中して取り組むようになると、眷属の皆も徐々に興味を失って現れなくなってきた。


 素振りを終えて集中を解くと、近くにいるのは私の護衛をしているハルトだけになっていた。

 ところがある日、素振りを終えてふと振り返ると、とある眷属がジッと私を見ていた。


 サンドリザードマンのサヘルだ。

 時々ケント様の横にチョコンと座り、頭を撫でられてクークーと甘えた声で鳴いている姿は可愛らしい。


 ただ、私の知るサンドリザードマンと比べると、随分女性らしい体型をしている。

 特に胸の辺りが……。


 そのサヘルにジッと見詰められているのは、怖い……とは感じないのだが、なんでだろうとは思った。

 本気で戦っているところを見たことは無いが、眷属のみんなは私なんかよりも遥かに強いはずだ。


 私も身体強化の魔術を使えばオークならば倒せるとは思うが、実際に戦った経験は無い。

 だが眷属のみんなは、オークどころか複数のオーガだろうと危なげなく倒せると聞いている。


 サヘルから見れば私なんて、変な踊りをしている女だと思われているのだろう。

 だが、三日経っても、五日経っても、サヘルはジッと私を観察していた。


「一緒にやってみるか?」


 試しに木剣をもう一本用意してサヘルに差し出してみると、コクコクと嬉しそうに頷いてみせた。

 私が素振りを再開すると、後ろから木剣が風を切る音が聞こえてきた。


 鏡が無いので後ろを確認できないが、どうやら私の動きを真似してサヘルは木剣を振っているらしい。

 ただし、木剣が風を切る音が尋常ではない。


 私も女としては鋭く振れていると自負していたが、サヘルの振りは音を聞いただけでも段違いだと分かる。

 私が素振りを終えると、サヘルは木剣を差し出してペコリと頭を下げてきた。


 差し出された木剣を受け取った後、思わず頭を撫でてしまったのだが、サヘルはクークーと上機嫌に喉を鳴らした。


「サヘルは剣が好きなんだな」


 そう尋ねると、サヘルはコクコクと頷いた後、ふっと影に潜って姿を消したかと思うと、黒いククリナイフを片手にすぐに戻ってきた。

 何をするのかと思って見ていると、サヘルは何度か小首を傾げた後で、私から少し離れた場所でククリナイフを構えた。


 サヘルが私に見せたのは、私が毎日繰り返している剣術の型をベースにして、片手で振るうククリナイフに応用したものだった。

 私が最初に剣を習った師匠からは、剣は避けられ弾かれるのが前提で、いかにその後の攻撃に繋げられるかが重要だと教わった。


 それ故、私が使う型は、振り切って止まるのではなく、振り切ってからも次の一撃に繋げるように止まらずに動き続ける。

 サヘルの披露した型もまた、止まらず動き続けるものなのだが、息を飲むほどの美しさだった。


 流れるような緩の動きと、空気を切り裂く急の動きが組み合わさり、極上の舞でありながら、背筋が凍るほどの殺気が込められている。

 そう、素振りは単なる素振りではなく、斬るという意思が込められていなけば意味が無い。


 私を真似たサヘルの動きに、明確な斬る意思が込められているのは、私がおざなりに剣を振っていたのではない事を証明してくれていた。

 素晴らしい、剣はやはり素晴らしい。


 一通りの型を終えたサヘルに、私は心からの拍手を送った。

 その日の晩、夜を共にした後にサヘルの話をすると、ケント様は自分の事のように喜んだ。


 ケント様にとって、サヘルも大切な家族なのだ。

 勿論、私も家族だと感じているが、その一方でサヘルがアンデッドであるという動かしようの無い現実がある。


 私がケント様と夜の営みをしている時、眷属のみんなが姿を現すことは無い。

 サヘルを含め、元々メスの個体であっても生殖能力が無いことを眷属のみんなは気付いているのだろう。


 ケント様と一緒にいる時、サヘルからは単なる家族という以上の愛情を感じる。

 でも、それが満たされることは無い。


 だからこそ私達五人は、ケント様の寵愛を受け止められる幸せを噛みしめないといけない。

 この身を開き、包み込むように……。

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