第865話 目覚め

※今回はベアトリーチェ目線の話になります。


「いってらっしゃい、マノン」

「いってきます」


 ケント様はマノンさんをギュっと抱き締めて、いってらっしゃいのキスを

交わした。


「いってらっしゃい、リーチェ」

「いってきますわ」


 ケント様は私も同じように抱き締めて、いってらっしゃいのキスをした。

 依頼が無く、自宅に居る時には、ケント様は今日のように門まで見送りに来てくれた。


 いつもならユイカさんも一緒なのだが、今日は体調がすぐれないので仕事も休むそうだ。

 守備隊の診療所で治癒士として活躍されているユイカさんですが、女性特有の現象には上手く対処できないそうだ。


 ユイカさんの説明によると、女性特有の出血とは、妊娠せず使われなかった子宮の内膜が剥がれて体外へと排出されることで起こるそうだ。

 現象自体が病気でも怪我でもないので、中途半端に治癒魔術をかけてしまうと悪影響を及ぼすかもしれないそうだ。


 そのため、ユイカさんよりも強力な治癒魔術を使えるケント様でも、余程出血が酷くなるなどの症状が出ない限りは手出しできないそうだ。

 ユイカさんは元々重い方なのだが、今回は傍から見ていても辛そうで、治療に影響が出そうなので休むことにしたそうだ。


 自宅の門を出た私とマノンさんは、少し歩いたヴォルザードの南西門の前で別れた。

 マノンさんは守備隊の敷地にある治癒院へ、私は街の中心部にあるギルドへと向かう。


 ヴォルザード領主の次女で、Sランク冒険者の妻ともなれば、護衛も付けずに一人歩きなどしないのでしょうが、一人に見えても護衛はちゃんと付いている。

 コボルト隊のホルトが、影の中から一日中見守っていてくれる。


 可愛い見た目とは裏腹に、ロックオーガすら倒すほどの強さの持ち主なので、町中で変な男に絡まれたとしても瞬時に取り押さえてくれるはずだ。

 そんな事が起こるとは思えませんが、万が一ホルトの手に負えない事態が起こった場合には、他の眷属が駆け付けてくれる。


 ケント様曰く、Aランクの冒険者パーティーの護衛よりも強力だそうだ。


「ベアトリーチェちゃん、おはよう」

「おはようございます、気持ちの良い朝ですね」


 街を歩いていると、道行く人たちが気軽に声を掛けてくれる。

 これは、ランズヘルトで一番領主らしくない領主と言われている父の影響だ。


 領主であるにもかかわらず、父はロートル……じゃなくて、ベテラン冒険者のような恰好を好んでいる。

 服装だけでなく、話し方や行動も冒険者のようで、街を歩く時には気軽に人々に声をかけながら歩いている。


 自分の目で確かめる以外にも、街の噂話などを集めていて、ランズヘルトの領主の中では、間違いなく一番民衆の声に耳を傾けている。

 これで書類仕事への熱意があれば、言うこと無しなのでしょうが……。


「おはようございます、お父様」

「はぁ……昔みたいにパパって呼んでいいんだぞ」

「私もケント様の妻として恥ずかしくない言動をいたしませんと……」

「はぁぁ……昔はパパのお嫁さんになるって言ってのによぉ……」


 執務室の机に向かってはいるものの、始めたばかりの書類仕事は今日も捗っていないようだ。


「リーチェ、ユイカの具合は大丈夫なのか?」

「はい、女性特有の現象で少し体調を崩されているだけですから」

「身籠ったのか?」

「いいえ、その逆です」

「あぁ、月のものか」


 私が見るに、マノンさんが妊娠してから、ユイカさんの生理は重さを増しているように感じる。

 察するに、自分が一番先に身籠りたかったという思いが重圧になっているようだ。


「リーチェは、どうなんだ?」

「まだですよ。でも、ちゃんと愛していただいてます」

「そうか……」


 夫婦の夜の生活について、父に話すのは気恥ずかしい。

 答えなければ追及するくせに、営みがあると答えれば不機嫌な顔をするのはどうかと思う。


 私が初めてケント様と出会ったのは、ケント様が庭師の見習いとして屋敷を訪れた時だった。

 一つ年上の男性としては小柄で、どちらかと言えば頼りないと感じた。


 二度目に出会ったのは、私の病を癒していただいた時だ。

 不治の病と言われる腐敗病に冒され、私は諦めかけていた。


 領主の子供ではあるものの、有能な姉と二人の兄がいるので、自分が死んでも家が傾くことはない、もう苦しむよりも楽になりたいと思っていた。

 意識が遠のき、もう駄目だと思ったのに、次に目覚めた時には体の不調は嘘のように消えていた。


 両親から私の命を救ってくれたのがケント様で、それだけでなくヴォルザードをロックオーガの群れから守ってくれたと聞かされた。

 腐敗病の治療がいかに困難か、ロックオーガの討伐がいかに危険か、私は領主の娘として教えられて育ってきた。


 ましてや、その両方をこなせる人物など、どれほど貴重な人材なのか言うまでもない。

 私は、私の命を救い、ヴォルザードを守ってくれたケント様に恋をした。


 両親の強力な後押しがあったから、私がケント様に嫁いだのは政略結婚だとユイカさんやマノンさんは思っているかもしれないが、それは間違いだ。

 政略結婚の意味合いがゼロとは言わないが、それよりも純粋に私はケント様を愛している。


 マノンさんが妊娠して、ユイカさんは重圧を感じているようだが、私はむしろ重荷をまた一つ降ろしてもらえたと感じている。

 結婚して、ヴォルザードに自宅を建ててもらった時点で、政略結婚という意味合いでの私の役割はほぼ果たし終えた。


 ヴォルザード生まれで、ヴォルザードに家族のいるマノンさんに子供が生まれれば、ケント様とヴォルザードの繋がりは更に強固になる。

 なので、私は慌てて妊娠する必要が無くなったのだ。


 誤解してほしくないのは、ケント様との子供が要らないと思っている訳ではない。

 いずれは子供を産み、育て、母となりたい気持ちはあるが、もう少し先で良いと思っている。


 はしたないと思われるかもしれないが、今はまだ男女の営みを楽しみたいと思う気持ちの方が強い。

 私は貴族の娘として育てられたので、母から知識としての男女の営みについて教えられていた。


 いずれ何処かの貴族や有力者の家に嫁いだ時、夜の生活の不和で家と家との繋がりが拗れるような事があっては困るからだ。

 なので、男女の営みはどういうものなのか、どのように奉仕すれば男性が喜ぶのか、木型を用いて練習もさせられた。


 でも、教えられたのは知識だけで、実践するのはケント様が初めてだった。

 だから、あれほどの快楽が得られるとは思っていなかったのだ。


 ケント様に嫁いだ後、ユイカさんから人体に関する知識を教わった。

 なぜ男女の営みで子供ができるのか、妊娠するとはどういうことなのか、ニホンの進んだ知識を分けてもらった。


 そして、妊娠すると激しい営みは出来なくなると知った。

 子供が産まれてしまうと、営みに対する意欲が薄れてしまうとも聞いた。


 だとしたら、私はまだ子供を授からなくてもいい。

 もっと、もっと、ケント様と激しく求め合う時間を続けたい。


 今はまだ、愛される喜びを感じていたい。

 今夜は私の順番だから、いつもよりも大胆に乱れてしまおうかな。


「そう言えば、どうして私が報告するよりも先にユイカさんの体調不良をご存じだったんですか?」

「そ、それは……あれだ、ケントの所に何か異変があったら知らせるように、ヴォルルトに命じておいたからだ。ケントはヴォルザードにとって最重要人物だ。何か心配事を抱えて万全の働きが出来ないと困るからな」

「なるほど……本当にそれだけですか?」

「な、無いぞ、それ以上は何も無い」

「そうですか……ヴォルルト」

「わぅ? な、な、な、何でしょう」

「私の部屋は覗き見しないように……いいですね?」


 さっきまでアンジェお姉ちゃんにお腹を撫でられて、だらしなく寝そべっていたヴォルルトは、背中をピンと伸ばしたお座りの姿勢でガクガクと頷いてみせた。

 今夜はヴォルルトが覗きに来ないように、ホルトに見張りを頼もうかしら。


 それよりも、ヴォルルトに一部始終を報告させた方が良いかしら……。

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