第864話 正直な思い
※今回は浅川唯香目線の話になります。
「ユイカ、おはよう」
「おはよう、マノン」
「んっ? 僕の顔に何かついてる?」
「ううん、何でもない……」
洗面所で顔を洗っていると、マノンが起きてきた。
近頃のマノンは、どんどん綺麗になっている気がする。
以前よりも髪を伸ばしたり、妊娠したことで女性らしい体形になったのも一つの要因だと思うけど、それよりも内面から滲み出てくるような美しさを感じる。
初めて会った頃のマノンは、服装にも無頓着で、自分に自信が持てず、上手く気持ちを伝えられない女の子だった。
それでも、健人のことが好きで好きでたまらないのが、傍から見ても伝わって来た。
そこには桁違いな能力や将来性、経済力などを目的とした不純な気持ちはなく、眩しいぐらい純粋な愛情しか感じられなかった。
ヴォルザードで暮らすようになって、私はマノンと一緒に過ごす時間が多くなった。
私は召喚された時に授かった光属性の治癒魔術を活かして、守備隊の敷地にある治癒院で働き始めた。
マノンも水属性の治癒効果の活用を目指して、私と一緒に働き始めたからだ。
治癒院で働き始めた当初も、マノンは自分の意見を主張できずにいたのだが、一つ一つ出来る事が増える度に自信を深めていった。
健人に相応しい人間になるため、健人を支えられるようになるため、マノンは貪欲に周囲の人達に教えを請い、知識を吸収していった。
マノンは、私にも日本の進んだ医学知識を教えて欲しいと頼んできた。
恋のライバルだから追い抜いてやろうとか、足を引っ張ってやろうといった邪な感情は微塵も感じられず、全ては純粋に健人のためだった。
そんなマノンだから、私も嫌いにはなれず、逆に応援したいとさえ思ったのだ。
でも正直に言うと、今のマノンを見るのは辛い。
健人に愛されて、幸せという言葉を体現しているような姿が眩しすぎる。
私が、不幸だからではない。
私だって健人に愛されて、治癒院でも頼りにされて、ヴォルザードの家族にも囲まれて、他の人から見れば恵まれすぎているくらいだ。
でも私は心のどこかで、健人の本妻は自分だと思い込んでしまっていたみたい。
私以外のマノン、ベアトリーチェ、セラフィマ、カミラは、こちらの世界で生まれ育って、一夫多妻は珍しいことではないと思っている。
特にマノン以外の三人は貴族階級の生まれで、自領や自国のためになるなら政略結婚は当然だと考えている。
三人とも健人の才能を得たいだけではなく、ちゃんと愛情を抱いているのは分かっている。
でも、私の根っこの部分には、日本の一夫一婦制の考えが根付いている。
ヴォルザードの制度を否定する気はないけど、一人だけ健人と同じ日本で生まれ育った私こそが本妻だと、無意識に思い込んでいた気がする。
洗面所から廊下に出ると、まだ半分寝ぼけている健人がいた。
私を見つけると、フニャっと笑みを浮かべてみせた。
「おはよう、唯香」
「おはよう……んっ」
朝一番に顔を会わせると、健人は必ずキスしてギュっと抱き締めてくる。
そして唇を離すと、必ず耳元で囁いてくる。
「愛してる……」
「私も……」
地球でも、こちらの世界でも、代わりが務まる人などいない才能の持ち主なのに……。
自分を犠牲にしてでも他人を助けようとする優しい人なのに……。
甘い愛の囁きには、悲しいほどの必死さを感じてしまう。
目を閉じていると、まるで健人が迷子の幼子のように感じてしまうほどだ。
お互いの体温をじっくりと確かめると、ようやく健人は腕を緩める。
「唯香、疲れてる?」
「えっ、どうして?」
「んー……なんとなく疲れているように見えたから」
まったく、どこまで他人の心配ばかりしているのだろうか。
疲れていると言うなら、ここ数日山賊退治に飛び回っていた自分の方が疲れているだろうに。
「大丈夫よ。昨日もぐっすり眠ったから」
「それならいいけど、無理しちゃ駄目だよ」
「それを健人が言っても、説得力無いと思うけど」
「ふふっ、それもそうか」
「ほら、早く顔を洗って朝ごはんにしよう」
「おっと、そうだね。みんな出掛ける時間になっちゃうもんね」
こんなにも、健人は私を必要としてくれている。
パートナーとして、家族として、本当に大切にしてくれている。
それなのに、贅沢だと分かっているのに、私だけを愛して欲しいと思ってしまうのだ。
マノンよりも先に妊娠していたら、こんな気持ちにはならなかったと思うが、まだ子宝を授かれずにいる。
夜を共にするのは順番で、健人が不在の時はスライドして、全員に均等に機会が与えられている。
タイミングが合うかどうかは、それこそ運次第だ。
インターネットで妊娠しやすい体位とか、行為の仕方を調べて実践してみたが、まだ結果には結びついていない。
自分の年齢を考えれば、焦る必要なんて全く無いのだけれど、早く妊娠してドロドロした負の感情から解放されたい。
昨夜はマノンの順番だったから、今夜は私の番だ。
今夜こそ、今夜こそ健人の子供を身籠らなければ……と思っていたら、仕事で小さなミスを連発してしまった。
それでも、どうにか一日の治療を終えて帰宅すると、健人はマールブルグでの残務を終わらせて帰って来ていた。
「お帰り、唯香」
「ただいま、もうマールブルグの件は片付いたの?」
「うん、取り調べとかは守備隊に任せているから、僕の出番はもう終わりかな」
「それじゃあ、暫くはゆっくり出来そうね」
「うん、呼び出しが掛からなければね」
いつもと同じように振舞っているつもりだけど、夜のことを考えると変なプレッシャーを感じてしまう。
それを悟らせないように、普段通りを装って夕食や入浴を済ませ、いつもとは違う香水をつけて、健人を寝室に誘おうとしたのだが……。
下腹部に鈍痛を感じてトイレに入ると、生理が始まっていた。
周期的にギリギリで、妊娠は難しいとは思っていたが、これでは行為すら無理だ。
やって出来ないことは無いのだろうけど、健人は絶対にしない。
例え私から望んだとしても、無理しない方が良いと言うのだ。
「ごめんね、健人、始まっちゃったの……」
「いいよ、いいよ、それは仕方ない事だから……どうする、一人で寝る?」
「一緒にいてほしい」
「分かった。気分が悪いときは遠慮しないで言ってね」
子作りは出来ないけど一緒に居て欲しいと言うと、健人は嫌な顔もせずオッケーしてくれた。
「健人、胸でしてあげようか?」
「えっ、いいよ、いいよ、無理しないで」
「無理じゃなくて、私がしてあげたいの……駄目?」
「えっと、それじゃあ……お願いします」
すっかり準備万端になっている健人の強張りを胸で挟み、唇と舌で包み込んで解放してあげる。
健人は自分のためだと思っているけど、本音を言うと明日のベアトリーチェに繰り越したくない。
これは私の分だから渡したくない……自分でも嫌な女だと思うけど、ほろ苦い思いを飲み下す。
「唯香、やっぱり無理してるでしょ?」
「無理はしてない……けど、意地は張ってるかも……」
「もう、早くシャワー浴びて寝よう」
「ちょっと疲れたから、このまま寝ちゃっていい?」
「いいよ、じゃあ寝巻に着替えて、早く横になって」
「うん……」
健人は私の着替えに手を貸し、ベッドに横になると明かりを落としてくれた。
「お腹、痛い?」
「うん、ちょっと……」
「ごめん、病気じゃないから僕には治せない」
そう言いながらも、健人は私のお腹を優しく摩ってくれた。
「気持ちいい、もうちょっとお願いしていい?」
「もちろん」
健人にお腹を摩ってもらいながら、ゆっくりと夢の世界へと落ちてゆく。
ドロドロした思いに沈まないように、早く健人の赤ちゃんが欲しいな……。
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