第839話 苦労人ジョーは依頼される(後編)

 握手を拒否されたホネスト金融のルデロは、一瞬眉間に皺を寄せたが、すぐに上っ面な笑顔を浮かべてみせた。


「しかし、さすがはオーランド商店の主人ともなると、護衛も厳重ですな」

「最近は『消える馬車』とか物騒な話が多いからな」

「さようですか……本日は、ナザリオさんの借入金の返済だと伺っておりますが……」

「過剰金利分を除いた全額を返済する。異論は無いな?」


 デルリッツさんは、俺と話をする時とは違い取り付く島もない。


「異論は無いなと申されましても、私どもはナザリオさんから醜聞が広まるのは困る、その利息で構わないから貸して欲しいと頼まれました。それを今になって過剰な金利を支払わないと申されましてもねぇ……」

「法によって禁じられている金利を支払うとなれば、こちらも法を破ることになる。それこそオーランド商店にとっては醜聞だ」

「それでは、ナザリオさんの醜聞が表沙汰になっても構わないとおっしゃるのですか?」

「醜聞か……その相手はどこにいるのだ。魔物使いケント・コクブに組織ごと潰されたと聞いているぞ」

「ちっ……」


 ルデロは笑顔を消して舌打ちした。


「無知な者たちを利用して、随分と稼いでいるのだろう? あまり欲をかくと全てを失うことになるぞ」

「御忠告は有難く聞いておきますが、こちらからも忠告して差し上げましょう。あんまり舐めてもらっちゃ困りますね。いくら人数を揃えようが、そんな若造に護衛が務まると思ったら大間違いですぜ」


 若造とは、言うまでもなく俺と鷹山のことだ。

 その鷹山に視線をむけると、ニヤっと笑ってみせた。


「それは、私の目が節穴だと言いたいのか?」

「ほほう、それでは、この二人が役に立つとでもおっしゃりたいので?」

「当然だ。二人の容姿を見て、何とも思わない貴様の目こそ節穴だ」

「随分と言ってくれるじゃないですか」

「ふん、この年頃で黒髪黒目……それでも、何とも思わないのか?」

「黒髪黒目! まさか……このどちらかが魔物使いなのか?」

「なんだ、魔物使いの顔も知らんのか? 話にならんな」


 俺達は国分の顔など見飽きてるが、ヴォルザード以外の街の人が国分の顔を見る機会など殆ど無いのだろう。


「そ、それで、どちらがケント・コクブさんなので?」

「今現在のケント・コクブは、黒髪黒目ではなく、銀髪銀眼だ」

「それじゃあ、どちらもケント・コクブじゃないのかよ」


 イライラしているからか、徐々にルデロぼ言葉遣いが乱れてきている。


「貴様はケント・コクブについて、どの程度の知識を持っている?」

「史上最年少のSランク冒険者で、強力な魔物を使役し、嘘かホントかクラーケンやギガースまで倒すんだろ?」

「それだけか?」

「他に何があるってんだ?」

「ケント・コクブは、リーゼンブルグによって召喚された異世界人だ」

「はぁ? 何をふざけた事をぬかしてる」

「ケント・コクブが暮らしていた国は、ほぼ単一民族で、殆どの者が黒髪黒目だそうだ」

「それじゃぁ……この二人は……」

「ケント・コクブは、家族、友人、知人をとても大切にする。一緒に召喚され、捕えられていた仲間を助け出すために、たった一人でリーゼンブルグという国に戦いを挑んだそうだ」


 本当に、国分が居なかったら、俺達は魔の森の開拓作業を強制され、野垂れ死にしていたかもしれない。


「そ、その戦いはどうなったんだ?」

「彼らがヴォルザードで冒険者をやっているのが何よりの証拠だ」

「つまり、この二人に危害を加えたら、ケント・コクブは敵に回るってことなんだな?」

「その通りだが、それだけが理由で彼らを雇っている訳ではない。彼らは、いずれAランクどころかSランクにも手が届く冒険者となるだろう」


 俺達も、そう在りたいと思っているが、冷徹に他人を評価するデルリッツさんからも認められたのは正直に嬉しい。


「もし我々が、この場で実力行使に出た場合、どうなると思っている?」

「それは、そちらの二人の腕前次第だが、一人でロックオーガを倒す程度の実力がなければ、居ても居なくても結果は同じだ」

「その歳で、それほどの力を持ってるって言うのか?」

「ケント・コクブを含めて、彼らは我々の常識には囚われない。もし、そこらの同年代の若者と同じ枠に含めようと思っているなら、早々に考えを改めるんだな」


 最初は作り笑いを浮かべていたルデロは、徐々に本性を現し、そして今は額に脂汗を滲ませている。

 一方のデルリッツさんは、俺の位置からは表情を見れないが、声の調子は全く変わらず自信に溢れている。


 ここまでの話を聞いただけでも、二人の情報収集能力には大きな隔たりがある。

 窮鼠猫を噛むような事態にさえ気を付ければ、交渉の結果は動きそうもない。


「少し前の話になるが、ヴォルザードの歓楽街を牛耳っている三人のボスの一人、ボレントがケント・コクブの知人に手を出して、返り討ちにされた事があった。ボレントは裏帳簿を調べ上げられ、過去数年分の所得隠しを暴かれ、膨大な追徴金を支払う羽目になったそうだ」

「お、俺を脅すつもりか!」

「脅す? 私は別にホネスト金融を潰そうなどと考えている訳ではない。息子の借金を正当な金利で清算しようと思っているだけだ」


 ルデロは苦々しげな表情を浮かべて、少しの間デルリッツさんを睨み付けていたが、一つ大きく息を吐くと提案を受け入れた。


「いいだろう。今回は折れてやる。ただし、次はねぇぞ」

「心配は要らない、次など無い。もし、このバカ息子がまた金を借りに来たら、回収できないと思って貸すことだ。私が尻拭いをするのは今回が最後だ」

「懲りずにアドバイスさせてもらうなら、次とは言わず、今すぐ親子の縁を切っちまった方がいいんじゃねぇのか」

「だろうな。だが私にも、ほんの少しだが親心って奴が残っているらしい。もっとも、今日で使い果たしてしまうがな……」


 結局、デルリッツさんの要求通り、法律で決められた利率を超える分の金利を除いた金額で清算が行われた。


「差し引いた分は、あんたへの授業料だ。勉強させてもらったよ」

「だとしたら、それが無駄にならないように祈っておこう」


 デルリッツさんは、ルデロが差し出した右手を今度は握り返した。

 剣とナイフを返してもらい、デルリッツさんと共にホネスト金融を後にする。


 事務所を出て少し歩いたところで、デルリッツさんがナザリオに話し掛けた。


「さっきも言ったが、次は無いぞ」

「はい……」

「リーゼンブルグとの往来が楽になった今、借金を返せない者が行き着く先は奴隷だ。お前のように労働に向かない男が行き着く先は、悪趣味な男色家だ」


 ナザリオは顔を蒼ざめさせて、ブルっと体を震わせた。


「リーゼンブルグの法律では、奴隷にも最低限の人権が与えられているが、そんなものは建前に過ぎない。お前が想像する数倍、数十倍、数百倍悲惨な生活が待っていると思え。短期間で衰弱死できたなら運が良かったと思うような待遇だからな」


 ナザリオは、無言でガクガクと頷いているが、どれだけ反省したのかは疑わしいところだ。

 俺達もラストックに捕まっていた頃は悲惨な生活を強いられていたが、それでも魔の森の開拓要員として使う予定があったから、見せしめとなった船山を除けば、最低限の食事は与えられていた。


 衰弱死するのが幸運と思えるような生活なんて想像もしたく無いし、日本の倫理観では許されない事だ。

 だからと言って、リーゼンブルグの法律を変えて奴隷制度を廃止させるような権限や影響力は俺には無い。


「結局、地に足を付けて生活するしかないって事だ」


 不意に考えていた事を言葉にされて、一瞬考えを読まれたのかと思ったが、鷹山が顎で示したのはナザリオだった。


「そうだな、人の振り見て我が振り直せだ」


 いずれSランクにも手が届くとデルリッツさんから認められても、浮ついた気持ちで努力を怠れば、ナザリオやギリクのようになるだろう。

 まずは一歩ずつ、デルリッツさんを無事に宿へ送り届けるまで、気を抜かず護衛を続けよう。

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