第836話 甘い?厳しい?
今日のクラウスさんは、領主らしい服装をしているのですが、それとは対照的な冒険者が使うような大きなドラムバッグを下げています。
「クラウスさん、それ預かっておきましょうか?」
「そうか、影の中に置いておけるんだったな。頼むわ」
バッケンハイムの学院近くにクラウスさんを送還し、僕は影の中から付いていくことにしました。
クラウスさんが向かったのは学生たちが使う寮で、受付に声を掛けて暫くするとヨハネスさんが迎えに現れました。
「御足労をおかけして申し訳ございません」
「よせよ、お前の責任じゃねぇ」
「ですが……」
「バルディーニも、もう成人として扱われる歳だ。不始末は自分で責任を取らせる」
「かしこまりました」
ヨハネスさんの案内でクラウスさんが向かったのは、バルディーニが使っている部屋でした。
一般の学生とは違い、貴族用の部屋とあって、リビング、書斎、寝室、使用人の部屋と、いくつも部屋があるようです。
クラウスさんは部屋の中を見て回った後で、リビングのソファーにドッカリと腰を落ち着けました。
「ケント、バッグを出してくれ」
今はバルディーニは授業を受けている時間のようで、僕が表に出ても問題なさそうです。
「こんにちは、ヨハネスさん。ご無沙汰してます」
「ケント様、ご面倒をお掛けします」
「クラウスさん、バッグはどこに置きますか?」
「あぁ、ここに置いてくれ」
「随分と重たいですけど、何が入ってるんですか?」
「まぁ、色々だ……まだ授業が終わらないから、茶でも飲んでいけ」
クラウスさんが指差した向かい側のソファーに腰を下ろすと、ヨハネスさんがお茶を淹れてくれました。
「クラウスさんの頃も、こんな部屋だったんですか?」
「あぁ、そうだな。この部屋じゃなかったと思うが、似たような作りだった」
「でも、二ヶ月で脱走したんですよね?」
「良く覚えてやがるな、その通りだ。折角、入学金やら何やら金を掛けたのに二ヶ月で抜け出したから、後で親父に散々嫌味を言われたもんだ」
「それが今では、立派なヴォルザードの領主様なんですから、無駄じゃなかったんじゃないですか」
「どうだかなぁ……」
お屋敷に迎えに行った時、なんだかクラウスさんが思い詰めているように感じたので、昔話でも聞いて気分を和らげようとしたのですが、やっぱりいつもと感じが違って見えます。
「そもそも二ヶ月しか居なかったし、冒険者やってる時間の方が遥かに長かったからな、ここには余り思い入れは無いな」
「なるほど……」
「おっ、授業が終わる鐘だ。ケント、影に戻っていてくれ」
「了解です」
明日は安息の曜日なので、今日の授業は午前中で終わりだそうです。
僕が影に潜って暫くすると、廊下から近づいてくる足音が聞こえてきました。
「ヨハネス、戻った……父上?」
「ドアを閉めろ、バルディーニ」
声を荒げた訳ではありませんが、クラウスさんの言葉には凄みのようなものが感じられ、バルディーニはぎこちなく頷いた後で振り向いてドアを閉めました。
ドアを閉めたバルディーニが振り返った時には、もうクラウスさんはソファーから立ち上がっていました。
「バルディーニ、何で俺がここに居るのか心当たりがあるよな?」
バルディーニは、ドアの前に突っ立ったまま、何て答えようか言葉を探しているようです。
その顔は蛇に睨まれた蛙のように強張り、夏でもないのに額には汗が滲んでいます。
「どうした、言葉を忘れたのか? 心当たりがあるよな?」
一歩、二歩と歩み寄りながら問い掛けるクラウスさんに向かって、バルディーニは本当に言葉を忘れたかのようにガクガクと頷いてみせました。
体の横で握った拳がブルブルと震えています。
「お前がチョロまかした金は、どこの金だ?」
「ヴォルザード家のお金……」
「そうじゃねぇだろう! あれは領地の金だ! お前は、その程度の事も分からないポンコツなのか?」
またバルディーニは言葉を忘れたように、俯きブルブルと首を横に振ってみせました。
こめかみを伝った汗が、顎の先から滴って落ちていきます。
「歯ぁ食いしばれ……」
ビクっとバルディーニが顔を上げた時には、鋭く踏み込んだクラウスさんの左のロングフックが目の前まで迫っていました。
ゴスっという鈍い音を立ててクラウスさんの拳が右の頬を捉え、バルディーニは捻じれた首に引っ張られるように回転しながら床に倒れこみました。
「ぐぅ……」
頬の内側が切れたのか、四つん這いになったバルディーニの口許からは血が滴っています。
「こっちに来て座れ」
クラウスさんは何事も無かったようにソファーに戻ると、ヨハネスさんに合図をして書類らしき紙とペン、インクを用意させました。
ヨロヨロと立ち上がったバルディーニの右の頬は、すでに腫れ上がってきています。
でも、クラウスさんって右利きだから、これでも手加減してるんだろうね。
向かいのソファーにバルディーニが座ると、クラウスさんは革袋を取り出してテーブルの上に置きました。
「お前への処分を伝える。ここに十五万ヘルトの金がある。お前が横領したのと同額だ」
クラウスさんが横領した金を立て替えてくれると思ったのか、バルディーニは顔を上げてホッとしたような表情を浮かべてみせました。
「一年間時間をやる、こいつを元手にして、お前の才覚で倍にして返せ。出来なかったら、勘当する」
喜びかけていたバルディーニの顔が、再び強張りました。
テーブルに用意されていた書類は、学院に提出する一年間の休学届けでした。
大きなドラムバッグの中身は、平民の着るような古着と駆け出し冒険者が使うような革の防具、それに片手剣でした。
「休学届けにサインをしたら、そいつを持ってバッケンハイムのギルドに行って登録しろ。駆け出しには、下宿や安宿を紹介してくれるから心配すんな。それと、別に冒険者になれと言ってる訳じゃねぇからな。真面目に働けば、一年で十五万ヘルトは稼げる」
クラウスさんの言う通り、ギルドに紹介してもらった下宿に住むなら、十五万ヘルトは一年で貯められる金額です。
ただし、真面目に働いて、無駄遣いをしなければという条件付きです。
しかも、十五万ヘルトの元手まで貸してくれるのですから、むしろ甘すぎじゃないですかね。
「バルディーニ、俺はお前がどうしようもないクズ野郎だとは思っていないが、お前は金の有難味が分かっていない。領主家の一員という地位を捨て、バルディーニという一人の人間になって、金を稼ぐ大変さ、面白さを覚えて来い」
「分かりました……」
「分かったなら、さっさと休学届けにサインして、着替えてギルドに行け。もたもたしてっと、夕方の混雑に巻き込まれて、宿の紹介もしてもらえなくなるぞ」
「はい……」
「元手の金は、一部を手元に置いて残りはギルドに預けろ。でないと、脅し取られるか、騙し取られるぞ」
「はい……」
「準備が出来たら、さっさと行け!」
クラウスさんに尻を叩かれて、バルディーニは支度を整えると、追い立てられるようにして部屋を出て行きました。
「はぁぁ……ヨハネス、茶を淹れてくれ。いや、やっぱりいい……ケント!」
「はい、お呼びですか?」
「ヴォルザードに戻る。ヨハネス、あとは指示した通りに頼む」
「かしこまりました」
「クラウスさん、お屋敷に送ればいいですか?」
「んー……いや、お前の家に送れ。風呂に入って、一杯やる」
「はいはい、かしこまりました」
本当はどこかの酒場にでも繰り出したいのでしょうが、領主らしい格好だから諦めたみたいです。
「お前、処分が甘いとか思ってんだろう?」
「そうですね。甘々ですね」
「お前みたいに逞しくないんだよ」
「いやいや、僕だってヴォルザードに辿り着いた頃は、いたいけな少年でしたよ」
「鬼強いスケルトンを三人も引き連れてる奴は、いたいけとか言わねぇんだよ」
「あぁ、そうでした……まぁ、愚痴の続きは家でゆっくり聞きますよ」
「こいつめ……まぁ、今日のところは頼むとすっか」
この後、クラウスさんを僕の自宅に送り、一緒に風呂に入ってから昼酒、夜酒、翌朝のお説教のフルコースを堪能していただき、お帰りいただきましたとさ。
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