第823話 紙一重

※今回は本宮碧の目線の話です。


 馬鹿と天才は紙一重だと良く言われているが、出会った頃のミリエは申し訳ないが前者にしか思えなかった。

 ミリエは隣の領地マールブルグから、冒険者を目指してヴォルザードに家出同然で出て来たらしい。


 家出の原因は冒険者になることを家族から大反対されたからだそうだが、あの頃のミリエならば家族が反対するのは当然だろう。

 出会った頃のミリエは、冒険者として戦うどころか普通に運動することすら出来なかった。


 剣の素振りをしただけでギックリ腰になるなんて、私には理解不能だった。

 ミリエと出会ったのは、同級生の国分君が開催していた魔の森での魔物討伐訓練に参加した時だった。


 魔の森の中に作られた訓練場で、実際の魔物と戦える機会は、冒険者を志す者にとっては得難い機会だ。

 もっとも、その日の訓練では新田君と古田君は、ミリエに良い所を見せようとし過ぎて失敗の連続だった。


 鷹山君、近藤君が危なげない戦いぶりを披露した後で、私も思い描いた作戦通りにオークを討伐できた。

 その戦いぶりを見ていたミリエが、私をお姉様と呼んで懐いてきたのだ。


 なし崩し的に指導をすることになったのだが、剣はまともに振れないし、魔法もまともに発動させられない。

 これで、どうやれば冒険者になれるんだと頭を抱えてしまった。


 ただ、これほどまでに何も出来ないと、逆に開き直れるというものだ。


「ミリエ、最初の指導をするけど、これを守れないなら今後一切の指導はしないわ」

「えぇぇ……わ、分かりました。何をすれば良いのでしょう?」

「やるんじゃないわ、やらないの」

「えっ、それじゃあ冒険者になれないんじゃ……」

「ちゃんと最後まで話を聞きなさい。あなたは出来ない事までやろうとするから、混乱して余計な失敗を繰り返しているの。だから、出来ない事はやらない。出来る事から始めるの」


 とにかく、ミリエは基本スペックが低すぎる。

 その低すぎるスペックで、人並以上の事をやろうとするから失敗し、失敗しそうになるから慌てて更なる失敗を繰り返している。


 だから、出来ない事をやろうとしない。

 他人を基準にして、自分も出来ると思わない。


 出来ない事は、出来るようにレベルを下げる。

 そうして、まずは出来る事から始めさせた。


 冒険者の活動は体が資本だが、いきなり筋トレなんて出来ないから、最初はストレッチから始めさせた。

 とにかく、何の負荷も掛けない状態で、体の可動範囲を増やしていくように命じた。


 日常生活でも、他人と同じレベルで動こうとするのではなく、自分が出来るスピードで物事に取り組むようにさせた。

 それでも、最初は失敗の繰り返しだった。


 要するにミリエ自身が、自分がいかに出来ないのかを理解していなかったのだ。

 自分の能力が、他人よりも低いと自覚するのは楽しい作業ではない。


 だが、自分の能力を見極められなければ、死の危険と隣り合わせの冒険者なんてやっていけない。

 だから心を鬼にして、ミリエがいかに駄目なのかを自覚させた。


 ただし、それだけではイジメになってしまうので、可能な限りのフォローもした。

 駄目な自分を認めるのは、出来る自分になるための第一歩なのだと教え込んだ。


 ミリエは本当に駄目な子だったが、諦めない根性だけは一級品だった。

 これまで上手く成長出来なかったのは、自分のレベルを自覚せず、正しい鍛錬の方法を知らなかったからだ。


 基礎の基礎のそのまた基礎から始めると、まず最初に失敗が減っていった。

 これまで失敗ばかりだったミリエにとって、レベルを落とせば自分にでも出来る、ゆっくりならば失敗しないと理解できたのが大きかったようだ。


 小さな、ほんの小さな成功体験だけど、それはミリエにとって大きな喜びだったようだ。

 諦めない、サボらない、継続する……これまで空回りしていた歯車が噛み合い始めると、ミリエの成長は加速を始めた。


 例えば魔法の発動も、最初は詠唱を噛み倒して失敗の連続だったが、他人の何倍もの時間が掛かっても良いから、間違えないように丁寧に詠唱させる事から始めた。

 それで成功したら、少し速度を上げる。


 失敗したら、また速度を落として練習を繰り返す。

 ミリエは練習を命じると、私が止めるか魔力切れを起こすまで止めようとしなかった。


 これは私も想定していなかったのだが、ゆっくりと詠唱をすることで魔力を留める練習にもなっていたようだ。

 丁寧に詠唱して、丁寧に発動させる。


 ギルドの練習場では、馬鹿にしてくる同年代の冒険者がいたが、私が睨み付けて黙らせた。

 もっとも、練習に集中し始めたミリエの耳には届いていなかったようだ。


 ミリエの魔法は、飛躍的に安定度を増した。

 そして、一度コツを掴んでしまえば、人並の速度で魔法を発動させるのは、さして難しい事ではない。


 基礎がガッチリと固まっていれば、応用にも移りやすい。

 八木君が考えた、水球に唐辛子を混ぜて目潰しを食らわせる魔法も、最初は土で練習させたが覚えるまでにさして時間は掛からなかった。


 出来ない尽くしで駄目駄目だったミリエとは、同一人物とは思えない成長ぶりだった。

 むしろ、難しかったのは剣の扱いだ。


 真剣は、見た目よりも遥かに重い。

 身体能力は劣っていたが、魔力は人並かそれ以上のレベルを持ち合わせていたので、やり方さえ覚えれば魔法は上手くなった。


 だが木剣の素振りだけでギックリ腰になっていたミリエが、まともに振れるようになるには時間が掛かる。

 なので、最初は本当に軽い棒を振ることから始めさせた。


 筋力の付き具合を確かめながら、徐々に棒を重くして、やがて木剣も振れるようになったが、まだ真剣を扱うのは難しい。

 ヴォルザードの南側に一般の冒険者も利用できる訓練場が出来て、ミリエに実力を試してみたいと言われたが、すぐに許可は出せなかった。


 上手くなったとは言っても、魔法だけでゴブリンを倒せるほどの威力は無い。

 安全かつ確実に倒すには、やはり剣も使えるようにしておきたい。


 刃引きした剣を振れるように鍛錬を続けさせると同時に、ミリエには一つの技を習得するように命じた。

 それは、突きだ。


 唐辛子入りの水球を使えば、魔物の動きを止められる。

 そして、動きが止まった相手ならば、狙いすました突きで大きなダメージを負わせられる。


 唐辛子入り水球の魔法と、動きを止めたところへの突き。

 これが一定レベル以上になるのが、ミリエが訓練場デビューするための最低条件とした。


 ミリエは鍛錬を重ねて、大きな声を出さない素早い詠唱でも確実に魔法を発動出来るようになり、刃引きの剣を使って三段突きを繰り出せるようになった。

 ここまで出来るようになれば、足場の良い訓練場で、ゴブリン一匹だけを相手にするのであれば勝てるだろう。


 鍛錬の成果を見て、ミリエに訓練場の使用申し込みの許可を出した。

 大丈夫だとは思ったのだが、ミリエに同行した訓練場で、四人組の冒険者パーティーが苦戦する様子を見ていたら、少し不安になってしまった。


「ミリエ、大丈夫?」

「はい、駄目だったら、また訓練してから挑戦します」

「そうね」


 以前は失敗する事を過度に恐れていたミリエだったが、失敗と克服を繰り返してきた事で失敗を恐れなくなっている。

 それは、冒険者の実戦の場では新たな不安要素になりかねないとも思ってしまうが、少なくとも訓練場においては頼もしい考え方だ。


 結局、四人組の冒険者は国分君いわく活きの良いゴブリンに遊ばれて、訓練中止を言い渡されてしまった。

 そして、ミリエの順番となった。


 正直に言うと、自分でゴブリンを討伐する時の何倍もドキドキしているけど、お姉様として動揺を見せる訳にはいかない。


「ミリエ、私は危なくなるまで手を出さないからね。練習通り、落ち着いてやりなさい」

「はい、ミドリお姉様」


 そして、ミリエは城壁上から見物している野次馬どもを黙らせる、見事な腕前でゴブリンを討伐してみせた。

 もうポンコツだった少女はいない。


 もしかしたらミリエは、前者ではなく後者なのかもしれない。

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