第822話 成長

 人間とは、残酷な生き物である。

 他人の成功を喜ぶ者ばかりではなく、他人の失敗や不幸を喜ぶ者がいる。


 例えば、多数の死傷者を出すような大きな事故が起こった場合、マスコミは報道の自由や理念を振りかざし、責任者を吊るし上げ、悲しみに暮れる遺族を無遠慮に映し出す。

 そして世間の人々はマスコミ報道を通して、被害にあった人達を可哀そうと思う反面、他人の不幸を見て自分の幸せを再確認していたりするのだ。


 ヴォルザードの南の城壁の上に集まる人の中には、そうした少し邪な気持ちを抱いている者が少なくない。

 そこから見える光景に、ある種の期待をしているのだ。


「見ろよ、あのへっぴり腰を」

「うははは、完全にゴブリンに舐められてるぜ」


 城壁の上に集まった人々が眺めているのは、足下に広がる実戦訓練場の光景だ。

 今は、四人組の若手の冒険者がゴブリン討伐の訓練を行っているが、槍や剣を構えた体はガチガチに強張り、すっかり腰が引けてしまっている。


 ゴブリンは、ヴォルザードの周辺では雑魚に分類される魔物だが、それまで薬草採集などの依頼ばかりで、初めて討伐を行う者にとっては強敵だ。

 包囲したつもりが、あっさりとゴブリンに逃げられて、訓練場を右往左往している。


「ぎゃはははは、逃げられてやんの」

「用意してもらったゴブリンすら倒せないなんて、才能ねぇなぁ!」


 訓練を見物に来ている者の内の何割かは、こうして新米冒険者が失敗するのを楽しみにしている。

 ヴォルザードに生まれた男性ならば、殆どの者が大人になるまでに一度は冒険者を志す。


 強力な魔物を倒し、馬車を盗賊から守り、ダンジョンに潜り、一攫千金を手にする……そんな冒険者生活を夢見るものの、多くは色々な事情から断念せざるを得なくなる。

 冒険者としての才能の限界を感じたり、病気や怪我で万全の状態で動けなくなったり、家庭の事情から剣を置く。


 そうした者達は、かつての自分のような若者たちが、自分と同じか、自分よりも劣っている姿を見て溜飲を下げるのだ。

 ただし、四人の名誉のために言うならば、確かに用意されたゴブリンだが、そのゴブリンはケントが厳選した活きの良いゴブリンだ。


 おそらく、城壁の上で管を巻いているオッサン達では、四人と同様にあしらわれるだけだろう。


「止まれ! 一旦止まって立て直せ! 魔法で削って動きを止めろ!」


 指導役のペデルの言葉を聞いて、四人は足を止めて顔を見合わせた。

 四人の内の二人が詠唱を始めて、作り出した火球を投げ付けるが……当たらない。


 狙いが外れている訳ではなく、火球の速度が遅いために避けられてしまうのだ。

 その上、失敗しないように念入りに詠唱しているから、余計にゴブリンに逃げる余裕を与えてしまう。


 二度、三度と失敗するうちに、火属性の魔法を使っていた二人は肩で息をし始めた。

 過度に緊張した場面で魔法を使ったことで、余分な魔力を消費してしまったのだ。


 見かねたもう一人の冒険者が詠唱を始めて水属性の魔法を撃ち出したが、やっぱり当たら

ない。

 火球と同様に速度が遅いし、そもそも水球では当たったところでダメージを与えられないだろう。


「うはははは、火遊び、水遊びか、それじゃ虫も殺せねぇだろう」

「ゴブリンに教えを請うた方がいいんじゃねぇの?」


 四方を高い壁で囲まれた訓練場では、上から降ってくる声が反響して良く聞こえる。

 見物人のヤジが、経験不足の冒険者達の動きを一層固くしている。


「魔法で動く方向を限定するか、槍で追い込んだ所を魔法で狙ってみろ!」


 倒しきれないまでも一矢報いられるように、ペデルは四人に指示を飛ばすが、経験だけでなく実力も足りていない。

 一時間ほどゴブリンに遊ばれたところで、ペデルは四人に訓練の中止を命じた。


「お前らは、魔法が実戦で使い物になるまで練習を積んでこい。そんなんで討伐なんかに行けば、殺されて食われちまうぞ」


 ペデルから細かく駄目出しを食らって、四人組は肩を落として訓練場を後にした。


「よし、次の組、このまま訓練に入るぞ。さっきの連中の失敗を参考にして、きっちり倒してみせろ」

「はい!」


 訓練場に出てきたのは、二人組の女性の冒険者で、二人とも髪をポニーテールに束ねている。


「おいおい、今度は女かよ、ゴブリンにヤラれちまうんじゃねぇのか?」

「ちょっと待て、一人は黒髪だぞ」

「えっ、てことは……」


 一人は青い髪、もう一人は黒い髪、二人の女性冒険者はさっきの四人に比べると落ち着いて見える。


「ミリエ、私は危なくなるまで手を出さないからね。練習通り、落ち着いてやりなさい」

「はい、ミドリお姉様」


 女性二人の冒険者は、ケントの同級生、本宮碧と、ケントの後の下宿人、ミリエだ。

 訓練場に足を踏み入れたミリエは、パッと右手を上に向けて振る。


 水しぶきが舞い上がり、それが流れる方向を見て、ミリエは風向きを確かめた。


「行きます!」


 ミリエは腰に下げた革袋に右手を入れて何かを掴むと、ゆっくりとゴブリンに向かって歩を進め始めた。

 落ち着き払ったミリエの姿に何かを感じ取ったのか、さっきまで四人の冒険者に対して舐めた態度だったゴブリンが身構えた。


 ジリジリと距離を縮めながらミリエはゴブリンの風上に回り込み、同時に右手を後ろに回して何事か呟いた。

 四人に追い回されていたゴブリンは逃げに徹していたが、相手がミリエ一人になると唸り声を上げて威嚇を始めた。


 周囲に他の人間が居るので、簡単には逃げられないとゴブリンは察しているが、同時に一人ならば襲い掛かって倒せるかもしれないとも考えていた。

 ゴブリンは唸り声を上げながら、両手を地面につけて腰を落とし、飛び掛かるタイミングを測り始めた。


 ミリエは緊張した面持ちだが、慎重に一歩一歩距離を詰めていく。

 距離が十メートルを切り、七メートルを切り、五メートルを切った直後、ミリエとゴブリンは示し合わせたように動いた。


 地を蹴って飛び掛かって来るゴブリンに目掛けて、ミリエは背後に隠していた右手を突き出す。

 次の瞬間、ゴブリンを包み込むように真っ赤な水飛沫が降り注いだ。


「グギャァァァァァ……」


 真正面から水飛沫を浴びたゴブリンは、悲鳴を上げながら倒れ込み、顔を押さえながら転げ回った。

 ミリエがゴブリンに向けた放ったのは、かつて八木が考えついた唐辛子の粉を混ぜ込んだ水属性魔法だ。


 唐辛子の粉をたっぷりと含んだ水を真正面から食らったゴブリンは、目や鼻に強烈な痛みを感じ、逃げることも戦うことも考えられなくなってしまった。

 一方のミリエは腰に下げていた剣を抜き、転げ回るゴブリンに慎重に近付き、狙いすまして剣を首筋に突き入れた。


 切っ先は皮膚を突き破り、筋肉を切り裂き、頸椎に食い込んで止まった。

 ミリエは柄を捩じるようにして剣を引き抜きながら、大きく後ろへ飛ぶ。


 剣が引き抜かれたゴブリンの首筋からは、勢い良く血飛沫が噴き出した。


「あの女、何をしやがったんだ」

「マジかよ、瞬殺じゃねぇか」


 ゴブリンの首から噴き出す血の量は、見物人の目からも致命傷であることが見て取れた。

 首を刺されたゴブリンは、更に苦し気な悲鳴を上げながら転げ回っていたが、程なくして動かなくなった。


 ゴブリンが動かなくなっても、ミリエは警戒を解かずに身構えている。

 呼吸が止まっているか良く観察した後、慎重に回り込んで、ゴブリンの足を剣で突き刺した。


 更に数回剣で突き、ゴブリンが完全に死んでいること確かめて、ようやくミリエは緊張を解いた。


「お姉様、終わりました」

「まだよ。剣についた血を丁寧に拭って鞘に納めなさい。その後は、魔石の取り出しよ。さぁ、落ち着いて、手早く終わらせなさい」

「はい、お姉様!」


 ミリエの見事な腕前に、城壁上からは感嘆の溜息が聞こえてきた。

 全く危なげの無い討伐に、ペデルも指摘する所が無く黙ったままだ。


「我ながら、よくぞここまで育てたものだわ」


 本宮碧は魔石の取り出し作業を行うミリエを見守りながら、困難を極めた指導の道程を思い出して会心の笑みを浮かべた。

 ミリエは指示を受けながら魔石を取り出し、水属性魔法で手に着いた血を落とすと、本宮碧と腕を組んで訓練場を後にした。

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