第801話 遠方からの噂話

 クラウスさんと相談して、ベルロカの果樹園はヴォルザードの東側に作ることにしました。

 理由の一つは、発酵を終えたベルロカの種を洗浄するのに適した川が流れていることです。


 水属性の魔術を使えば洗浄用の水を確保できますが、魔術を使わなくても洗浄できる方が良いに決まっています。

 もう一つの理由は風向きです。


 ベルロカの実が熟す頃、ヴォルザード近郊では北西の風が吹くことが多くなります。

 種を醗酵する過程では独特の臭いが出るので、風に乗って街の方向に流れると不快に思う住民から苦情を訴えられるかもしれません。


 日本に比べれば、そうした環境への苦情はうるさくないですが、それでもトラブルは避けた方が良いでしょう。

 それでは、場所も決まったことですし、開墾作業とまいりましょう。


 リーゼンブルグの新しい鉱山への道路建設も終わりましたから、マンパワーならぬ眷属パワーは充実しています。


『ケント様、農園となる土地の木は根こそぎ抜いて構いませんか?』

「ちょっと待って、ラインハルト。ディーノさんに言われた通り、ベルロカの生育に適した環境を作りたいんだよね」

『と申されますと?』

「地球のカカオと同じ様な性質があるとしたら、直射日光を好まない可能性があるんだ」


 地球でカカオを栽培する時には、風除けや日除けの役割を果たす木が必要とされています。

 ただ、実験のために色々な場所に植えたベルロカの木は、日当たりの良い場所でも成長していましたので、性質が異なっている可能性があります。


「なので、敷地の半分はベルロカだけを植えて、もう半分は別の木を間引いた所に植えようと思うんだ」

『なるほど、分かりましたぞ。それでは、日除け風除けに適していそうな木を残して、他は伐採いたしましょう』


 日本で森を切り開く場合、重機を使って行いますが、ヴォルザードでは魔術です。

 まずは、送還術を使って根元から幹を切断しつつ、魔の森の訓練場へと飛ばしてしまいます。


 続いて、コボルト隊やゼータ達が土属性の魔術を使い、残った根っこを地表へと押し上げてしまいます。

 ズゾゾゾ……という感じで、根っこが土から浮き上がってくる様は、まるでタコが水面から顔を出すかのようです。


 そして、根っこの先まで地表に押し出されたら、闇の盾を通って魔の森の訓練場へと送られます。

 幹の部分は材木として、枝葉と根っこは薪として活用します。


 木の伐採が完了したら、地中に残った邪魔な石や岩を取り除いて、ベルロカの若木を植える準備を整えました。

 元々が森ですから、地面は落ち葉が朽ちた腐葉土なので、土の栄養分は十分でしょう。


 バッサバッサと伐採し、ボッコンボッコン根を抜いて、東京ドーム数個分の森の開墾作業は、わずか一日で完了です。

 明日は、リバレー峠の東斜面にあるベルロカの自生地へと向かい、若木を調達してきましょう。


 直接土に触れた訳ではありませんが、土埃が舞って髪の毛がジャリジャリしているので、自宅の風呂場へと影移動で直行しました。

 誰も入っていないのを確認して、入口の看板を男湯に替えてから、脱衣所で服を脱ぎ捨てて洗い場へと向かいました。


 正直、湯舟に飛び込んでしまいたいところですが、まずは髪と体とコボルト達を入念に洗いました。

 うん、泥っ泥っですね。


 作業を手伝ってくれたコボルト隊とゼータ達を洗い終えたら、もう夕食の時間です。


「やばっ! 急がないと!」


 コボルト隊とゼータ達を乾かして、急いで食堂へと向かいました。


「ふぅ、間に合った……」

「お疲れ様でした、ケント様」


 食堂ではセラフィマが迎えてくれたのですが、何だかいつもと様子が違っているように感じます。

 食事をしている最中は、いつもと変わらない様子でしたが、食後のティータイムになると、カミラと何やら目配せをしていました。


「ケント様、少しお耳に入れておきたいことがございます」

「うん、何かな?」

「キリア民国が滅びたという噂が届いています」

「えっ! 本当に……?」

「まだハッキリとしたことは分かっていないのですが、フェルシアーヌ皇国から来た行商人が噂を流しているそうです」


 キリア民国は、セラフィマの故郷バルシャニア帝国の西にあるフェルシアーヌ皇国の更に西に位置する国です。

 爆剤、いわゆる火薬を使って隣国のヨーゲセン帝国に攻め入り、国土の拡大を図っていたはずですが、反転攻勢を食らって敗退したのでしょうか。


「いいえ、どうやらそうではないらしいのです」

「戦争に負けたんじゃなければ、内戦とか革命とか?」

「それが……魔物に滅ぼされたらしいです」

「えぇぇぇ! 向こうでも極大発生が起こるの?」

「いいえ、どうやらダンジョンが溢れたようなのです」

「ダンジョンが溢れた……」


 旧カルヴァイン領の鉱山がダンジョン化して、武装した魔物が溢れたら危険だ……なんて話をしていたばかりなので、なんだか凄く嫌な感じがします。


「キリア民国のダンジョンって、武具が出るダンジョンなのかな?」

「その辺りの情報は分かっていません」


 セラフィマの話によると、キリア民国から多くの難民がフェルシアーヌ皇国へと流れ込んでいるようです。

 先程の行商人からの話も、そうした状況を見聞きしただけで、キリア民国の実情を完全に把握できている訳ではないようです。


「じゃあ、キリア民国が完全に滅んだという確証は無いんだね?」

「そのようですが、国としての機能は失われつつあるように感じます」


 キリア民国は、名前の通り民主主義の国だそうです。

 国王とか皇帝とか領主が治めているのではなく、民衆から選ばれた代表が話し合いで国を統治しているようです。


「日本に近い国だとすると、対応策の決定に時間が掛かって、その間に被害が増大したのかな」

「ケント様の国では、災害などへの備えもなされていると聞きましたが」

「うん、そうだけど、想定外の災害の場合には、やっぱり混乱するよ」

「そうかもしれませんが、ダンジョンが溢れるといった事態は、こちらの世界では当然考慮しなければならない事態です」

「だとしたら、ダンジョンから溢れてきた魔物の数が異常だったとか、凄く強い魔物が現れたとか、想定以上の事態が起こったのかもしれないね」


 いずれにしても、噂話を基に推論を重ねていても正しい答えには辿り着けないでしょう。


「コンスタンさんは、どうするって?」

「現状、魔物がフェルシアーヌ皇国に入ったという話も聞いていませんので、念のために西の国境線を強化するそうです」


 バルシャニアから見ても、西の隣国の更に西隣の話ですから、切迫した状況ではないのでしょう。

 ましてやヴォルザードは、バルシャニアからリーゼンブルグを挟んだ東側に位置していますので、影響が出るとしても先の話です。


「セラ、念のためにコンスタンさんとの連絡を増やしておいて、フェルシアーヌ皇国が混乱してバルシャニアまで影響が出るようなら、僕らが偵察に出るから」

「でも、ヴォルザードには関係の無い話では……」

「セラの故郷に影響が出るなら、僕にとっては無関係な話じゃないよ。こちらで緊急事態が起こっているなら動けないけど、そうでなければ協力は惜しまないからね」

「ありがとうございます。父にもそう伝えます」


 バルシャニアから国を一つ挟んでいるとはいえ、大規模な魔物の氾濫が起こっていると聞けば不安になるのも当然でしょう。

 慌てる段階ではないのでしょうが、いつでも動けるように僕も準備を始めておきましょう。

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