第800話 先達の話
旧カルヴァイン領の様子を確かめた翌日、ブルーノさんのリーブル農園を訪ねました。
リーブル農園では、一年で最も忙しい秋の収穫と新酒の仕込み作業が終わり、ほっと一息ついているところのようです。
「こんにちは、ご無沙汰しています」
「おぉ、ケントじゃないか。よく来た、よく来た、さぁ中に入れ」
満面の笑みで迎えてくれたのは、農園主であるブルーノさんの父親のディーノさんです。
このリーブル農園は、僕がヴォルザードに来てから初めて働いた場所で、本当にお世話になりました。
こちらの世界に召喚されてチートな能力を身に付けはしたものの、日本にいた頃の僕はポンコツだったので、何をするのも自信がありませんでした。
農園で働き始めた初日には、他の人と比べると半分も仕事が出来なかったどころか、二日目の朝には酷い筋肉痛に襲われていました。
実際、初日の働きぶりを見ていたブルーノさんにもディーノさんにも、雇ったのは失敗だったかなぁ……といった顔をされてしまいました。
ただ、二日目の休憩中に自己治癒魔術を使ったストレッチをすると筋肉痛が治ることを発見してからは、状況が一変しました。
僕自身の働きぶりも改善しましたが、それよりも農園で働いている人達の動きが良くなった影響の方が大きかった。
マッサージと称して農園で働く人たちの筋肉痛や肩こり、腰痛などを治癒魔術で癒したおかげで大幅に効率があがったのです。
その時、最初に治療したのがディーノさんでした。
ディーノさんは剪定作業の最中に梯子から落ちて腰を痛め、それが原因で現場から離れていましたが、僕の治癒魔術で腰痛が治り、現場の手伝いができるようになりました。
そのおかげで、訪れる度に笑顔で迎えてもらっています。
ディーノさんには感謝されっぱなしですが、感謝しているのは僕も同じです。
このリーブル農園で、頑張れば僕にも出来ることが有るのだと教えてもらいました。
ポンコツだった僕でも誰かの役に立てるのだと、少しだけ自信を持てたのですから、本当に感謝しています。
「ケント、今日は何の用で来たんじゃ?」
「農園の話を聞かせてもらいたくてお邪魔しました」
「うちの農園の話か?」
「はい、実はヴォルザードの近郊に果樹園を作ろうと思っているんです」
手土産に持ってきたチョコレート菓子やベルロカの種を醗酵、乾燥させた物などをテーブルの上に広げ、ベルロカを栽培する意味を伝えました。
「ほぉぉ……ベルロカの種が、こんな風に変わるとは思ってもいなかったわい」
「はい、使い方の幅が広いですし、なにより美味しいので、ヴォルザードの新しい産業にできればと思っています」
「ケントは本当に良い男じゃなぁ、その歳でこれほど街のことを考えてくれる者など他にはおらぬぞ」
「いえいえ、僕や同級生のみんなはヴォルザードに本当にお世話になりましたから、少しでも恩返しが出来ればと思っているだけですよ」
「何を言っておる、ケントがおらんかったら魔物の群れに飲み込まれて、ヴォルザードは滅んでおったのかもしれんのだろう。感謝するのは我々の方じゃ」
「あれは、僕らが生き残るためでもあったのですから、お互い様ですよ」
「まったく、変なところで頑固じゃな」
頑固というか、僕がお世話になっているのは本当のことだし、アマンダさんやメイサちゃんを始めとして、ヴォルザードで知り合った人たちには感謝しています。
「それでですね、ベルロカを栽培する果樹園を作ろうと思っているのですが、何しろ初めてのことなので、どんなことに注意すれば良いのかと思いまして……」
「なるほど、リーブルの栽培で得た知恵が欲しいのじゃな?」
「はい、厚かましくて申し訳ないです」
「何を言うか、分からないことは知っていそうな者に聞くのは当たり前じゃが……リーブルとベルロカでは異なる部分も多いじゃろう、ワシの言うことが全部正しいとは思わん方が良いぞ」
「それでも、ディーノさんの経験を分けていただけませんか」
「お安い御用じゃ」
ディーノさんは、ドンと胸を拳で叩いて姿勢を改めて話し始めました。
「ケント、木を育てるには、木を知らねばならんぞ」
「それは、自生している場所の環境を知るってことですか?」
「うむ、それは正しい。木は元々生えている場所に適した性質を持っているからな。じゃが、それだけでは正解とは言えぬ」
「他にも知ることが有るんですか?」
「ケント、うちの農園の様子を思い出してみろ」
「農園の様子……すごく整備されていて、普段から手入れされているんだと……」
「それは自然の姿か?」
「あっ! 違います。リーブルが良く育つように作られた環境です」
「そうじゃ、もう一つ付け加えるならば、収穫に適した環境だ」
確かに、ディーノさんの言う通り、リーブル農園にはリーブルを育てて収穫するための環境が整えられている。
「いいか、ケント、果樹を育てるならば、自生している環境よりも更に育ちやすい環境を整えて自然のものよりも良いものを育てなければならん」
「それは、肥料とか日当たりとかですか?」
「そうじゃが、それを整えるためにはベルロカにとってどんな環境が良いのか知らねばならん。木によっては湿気の多いところを好むものや、少し乾燥した土地を好むもの、強い日差しを好むものもあれば、逆に日差しが強すぎると葉が傷むものもある」
「なるほど、単に育てるだけでなく、より質の良い実がたくさん生る環境を作らないといけないのですね?」
「その通りじゃ。そして、もう一つ忘れてはならぬのは、収穫しやすい環境を作る必要もあるぞ」
「そうか、ただ実が生れば良いってものじゃなくて、収穫しないと意味が無いですもんね」
言われてみれば、自然に生えているリーブルの木は、二階建ての家の屋根を越えるような高さになりますが、農園の木は高さを抑えてあります。
収穫の時も三段ほどの脚立に載れば、一番上の実にも手が届くようになっています。
使われていない森を切り開いて、ベルロカの若木を植えればいいだろう……なんて考えでは大失敗していたでしょう。
事業として成立させるには、育てて、収穫して、出荷するまで、いかに効率良くするかが問われるのだと気付かされました。
「ケント、このベルロカの種は加工して乾燥してあると言っておったな?」
「はい、収穫した後で、ひと手間掛けてこの形になります」
「では、加工所も農園の近くに作った方が良いじゃろう」
「そうですね。あまり離れた場所では運ぶ手間が掛かりますからね」
まぁ、運搬に関しては闇の盾を使えば、どんなに離れた場所でも運べちゃうんですけどね。
それでも、ベルロカの果樹園の運営をヴォルザードに譲渡するかもしれないので、その辺りも考慮して場所を選定した方が良さそうです。
ディーノさんからは、この他にも果樹園の運営について色々とアドバイスをもらいました。
「今はワシの農園も城壁の内側になっておるが、昔は何にも囲まれていなかったから、農園の周囲には風除けの木を植えておったのじゃ」
「そうか、嵐の時の対策なんかも考えておかないといけないんですね」
「他にも、害獣や害虫の対策も必要じゃぞ。人が美味いと思うものは、獣や虫にとっても美味いものじゃからな」
ベルロカは種を加工してチョコレートの材料にするつもりですが、果実には多くの糖分が含まれています。
木の実が甘くなるのは、動物に食べてもらって、種を遠くに運んでもらうためだと聞きます。
ベルロカが密集して実っていれば、その実を目当てにして獣が集まってきてもおかしくありません。
まぁ、うちは眷属がパトロールすれば大丈夫ですけど、将来的なことを考えるならば、パトロール無しでも大丈夫な体制を整えておいた方が良いのでしょう。
「ケント、木というものは自分では動くことが出来ぬ。それだけに手を掛けてやれば、それに応えて多くの実をつけてくれるし、手を抜けば実りが悪くなる。かと言って、手を掛け過ぎれば木が弱くなったり根腐れを起こしたりもする」
「難しいですね」
「そうじゃな、気難しい子供を育てるようなものじゃ。木が何を欲しているのか良く見て、何をするのが木にとって本当に良いことなのか考えるのじゃ」
「そうすれば、木は応えてくれますか?」
「大丈夫じゃ、必ず応えてくれるぞ」
笑顔で頷くディーノさんからは、長年に渡ってリーブル農園を守ってきた自信や風格が感じられます。
四十年、五十年先、僕もディーノさんみたいな風格を身に着けられるでしょうか。
この後も、ディーノさんからは農園を営む上での苦労話を色々と聞かせてもらいました。
やはり、その道のベテランに話を聞くのは勉強になりますね。
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