第788話 駆け上がっていく者

※今回は近藤に弟子入りしたオスカー目線の話になります。


 ピピッ……ピピッ……ピピッ……


 耳慣れない音に眠りに沈んでいた意識が浮かび上がってくるが瞼が重い。


 ピピピッ……ピピピッ……ピピピッ……


 耳慣れない音は大きさを増し、否が応でも僕を眠りから引き戻そうとする。

 薄っすらと開けた目に映る天井は、見慣れた自分の部屋のものだ。


 ピピピピピピピピピピピ……


「うわぁ! これ、どうやって止めるんだっけ!」


 寝ぼけた頭で、黒い板状の道具のボタンを押すと耳障りな音はピタリと止んだ。


「ふぅ……なるほど、確かにこれなら起きられるな」


 黒い板状の道具は、居候させてもらっているパーティーのタツヤさんから貰ったものだ。

 異世界のタイマーという高価な道具らしい。


 スベスベした手触り、不思議な感触の小さなボタン、そして異世界の数字が表示される部分など、ヴォルザードでは見たこともない材質で出来ている。

 まだ駆け出し冒険者の域を抜け出させていない僕では、数年働いても買えない代物だそうだ。


 俺は新しいのを買ったから……なんて言って、こんな高価な品物をポンとくれるのだから、タツヤさんは本当に気前が良い。

 僕と同じ土属性だからだろうか、何かにつけて世話を焼いてくれるので本当に感謝している。


「おっと、急がないと遅れる」


 顔を洗って髪の寝癖を撫で付け、トイレを済ませてから身軽な服装に着替えて家を出る。

 ここは第二街区にある父の持ち物の一家屋で、幼馴染三人とパーティーを組んで活動を始めた時に借りたのだが、今は僕一人しか住んでいない。


 特に盗まれるような物は無いが、一応戸締りをしてから歩き出す。

 第一街区との間に残されている城壁の上へと昇り、ヴォルザードの南側を目指す。


 時刻はようやく空が白み始めた頃で、街はまだ眠っている感じだ。


「うー……ちょっと酒が残ってるのかなぁ」


 僕が居候しているパーティーは、昨日ラストックからヴォルザードに戻って来て、昨晩は打ち上げが行われた。

 ジョーさん、タツヤさん、カズキさん、シューイチさん、全員揃っての打ち上げは珍しいそうだ。


 そして、今日はパーティーとしての活動は休みなのだが、トレーニングをすると言っていたジョーさんに頼み込んで、一緒にやらせてもらう予定だ。

 場所はヴォルザード南側の城壁の上、ここは外側は魔の森と実戦訓練場、内側は守備隊の敷地なので早朝から少々音を立てても迷惑にならないのだ。


 約束の場所に行くと、もうジョーさんは来ていて、体を解しているところだった。


「おはようございます」

「おはよう、よく起きられたな」

「はい、タツヤさんにいただいたタイマーのおかげです」

「あぁ、百均のタイマーか」

「ヒャッキン……?」

「あぁ、こっちの話だ。それより酒が残ってんじゃないか?」

「はぁ、少し……でも大丈夫です」

「まぁ、動けば抜けるだろう、お前も体を解せ」

「はい!」


 ジョーさんの動きを真似て体を動かすのだが、あちこちの筋が突っ張って同じようには出来ない。

 どうしてそんなに曲がるのかと訊ねると、日頃からの積み重ねだと言われてしまった。


 体の柔軟性は怪我の防止に役立つそうで、毎日続けていないと失われていくらしい。

 体を解し終えたら、まずは城壁の上をゆっくりと走る。


 その時も両腕をグルグルと回したり、腿を高く上げたりしながら体を温め、徐々に走るペースを上げてゆく。


「行くぞ、第一街区を三周だ」

「えっ……」


 第一街区は、ヴォルザードで最初に作られた城壁に囲まれた地域だが、一周するとかなりの距離になる。

 それを本当に三周もするのかと聞き返す間もなく、ジョーさんはペースを上げて走り始めた。


「付いて来られなかったら、自分のペースでいいぞ」

「いえ……大丈夫です!」


 全然大丈夫じゃない。

 ジョーさんは涼しい顔をしているが、僕は結構一杯一杯だ。


 呼吸が上がり、心臓がバクバクして、一気に汗が吹き出してくる。

 なんとか一周目は付いていけたが、その先は遅れる一方で、二周目の終わりには三周走り終えたジョーさんに追い越されてしまった。


「二周で止めていいぞ」

「いえ……走ります」

「いや、この後は別のトレーニングやるから、そこまでにしとけ」

「はい……」


 三周走って終わりかと思いきや、ジョーさんはその後も黙々とトレーニングを続けた。

 腹筋、腕立て、ダッシュ……この人の体力は底無しなのかと思うほど、次々と違ったトレーニングを重ねていく。


 流石に汗だくだし、なんども水分の補給をしているが、呆れるほどの運動量だ。


「どうして……どうして、こんなに訓練するんですか?」

「はぁ? 死にたくないからに決まってるだろう。なに言ってんだ」


 ジョーさんのトレーニングは、瞬発力と持久力を高めるためで、魔物や野盗に囲まれる窮地に陥っても戦い続けられるためのものだそうだ。


「冒険者は動けなくなったら死ぬと思え」

「はい……」


 居候しているジョーさんたちのパーティーは、主にオーランド商店の馬車の護衛依頼をこなしている。

 今はラストックへと向かう依頼がメインで、はっきり言って道中危険な目に遭ったことは一度も無い。


 それでもジョーさんは、黙々と体を虐め続けているのだ。


「よし、この辺にしとくか」

「はい……」


 ジョーさんと同じメニューをこなせていないのに、僕は起き上がれないほどのヘトヘトだ。


「じゃあ、この後は魔術の訓練するから、今日はここまで」

「えっ……まだ訓練を続けるんですか?」

「おう、やるぞ」


 そう言うと、ジョーさんは携帯食を齧りながら城壁の端に立った。

 南側の森に向かって、軽く右手を振り下ろし、振り払う。


 ジョーさんは風属性だと聞いているので、さぞや大きな魔術を使うのかと思っていたのだが、森はそよとも揺れない。

 だがジョーさんは、携帯食を食べながら詠唱もせずに腕を振り続けている。


「何をやって……えぇぇぇぇ!」


 ジョーさんの後ろに回って、視線の先へと目を凝らして、ようやく訓練の意味が分かった。

 遥か彼方に見える木の天辺から、葉っぱが切り落とされて宙に舞う。

 宙に舞った葉っぱは、二つになり、四つになり、八つになり……バラバラに切り裂かれていく。


「そんな……どうやって、あんな遠くの葉っぱを」

「これか? ヒュッてやって、ズバッだ」

「えっ……?」


 ジョーさんの説明は、僕には全く理解できなかった。

 ただ確実に言えるのは、いずれAランクになるというペデルさんの評価は正しい。


 卓抜した才能を持ちながらも、不断の努力を続けるジョーさんのような人が高ランクへと駆け上がっていくのだろう。

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