第763話 薬屋騒動

 目抜き通りから一本入った裏通りにある小さな構えの薬屋は、ヴォルザードでは知る人ぞ知る名店だ。

 店主の薬師コーリーの調合する薬の品質は確かで、親、子、孫と三代に渡って世話になっている家も少なくない。


 薬の効き目は確かだが、それ故に薬の世話になる期間は短く、目立つ看板や呼び込みをする訳でもないので、お世辞にも繁盛しているようには見えない。

 一見すると寂れているようにも見えるし店も古いが、店先はいつも綺麗に掃き清められているし、洒落たガラス窓も曇り一つ無く磨かれている。


 店の掃除は、昔は店主のコーリー自ら行っていたが、今は弟子のミューエルが引き継いでいる。

 桃色の髪にメリハリの効いたスタイルと目立つ容姿をしているが、ミューエルについて浮いた噂を聞くことは殆ど無い。


 柄の悪いギリクが四六時中張り付いていたことも理由の一つではあるが、普段は店の奥にある調合室に籠っていることが多く、同じ年頃の男性と接触する機会が少ないのだ。

 そのコーリーの薬屋で、今日もミューエルは黙々と調剤を行っていた。


 師匠であるコーリーから指示された薬草を煎じ、レシピに従って調合し、薬という形に仕上げていく。


「師匠、そろそろ薬草を摘みに行かないと、足りなくなりそうだよ」

「そうだね、このところ血止めのポーションとか、魔力の回復を助ける薬の注文が増えていたからねぇ」

「天気次第だけど、明日か明後日にでも行って来るよ」

「また、坊やのところのコボルトを借りるのかい?」

「うん、薬草採取の護衛なんて、やりたがる人いないからね。ケントに甘えることになっちゃうけど、いつでも気軽に声を掛けてって言ってくれてるから……」


 薬草採取は、薬草に関する知識が必要だし、薬になる前の薬草の買取価格はあまり高くない。

 その上、ヴォルザードの周辺では危険な魔物が出没する。


 つまり、薬草採取の護衛は、冒険者にとって旨みの少ない仕事という訳だ。

 ミューエルだけで採取に行くことも出来なくはないが、薬草に気を取られ周囲の警戒が疎かになる恐れがある。


 対応に苦慮していたミューエルに、救いの手を差し伸べたのがケントだ。

 ブースターやクラスメイトの救出に使った眠り薬など、コーリーの薬に何度も助けられてきたケントは、無償で眷属のコボルトを貸し出した。


 単独でオークを瞬殺する実力があり、しかも不利な状況に陥れば、瞬時に仲間を呼び集められる。

 縫いぐるみみたいな見た目とは裏腹に、ケントのコボルト隊はAランクの冒険者を超えるほどの戦闘力を有している。


「師匠、こっちの調合は終わったから、ケントにコボルトを貸してほしいって頼んで来るよ」


 ケントの屋敷へ出かけようとしたミューエルに、店の戸を開けて入ってきた男が声を掛けてきた。


「俺が一緒に行ってやろうか?」

「ギリク……」


 店の外で会話を盗み聞きでもしていたのだろうか、以前に比べると丸みを増したギリクの頬や体形、それに漂ってくる酒の香りにミューエルは顔を顰めた。


「遠慮しておくわ」

「何でだよ」

「ギリク、彼女と同棲してるんでしょ? 誤解を生むような行動はしたくない」

「何言ってんだよ、ヴェリンダはそんなんじゃねぇ」

「はぁ?」


 ギリクの言葉を聞いて、ミューエルの目が吊り上がった。


「そんなんじゃないって、どういう意味?」

「あ、あいつとは行き掛かりで仕方なく……」

「仕方なく? 仕方なく一緒に暮らしてるって言うの?」


 ミューエルの語気が更に鋭くなり、コーリーはゴミ虫でも見るような視線をギリクに向けている。


「パ、パーティーが解散して、互いに住む場所が無くなったから仕方なく……というか、一緒に住んだ方が出費が減らせるから……」

「そのパーティ―の解散を招いた一因は、ギリクとヴェリンダの素行にあったって噂を聞いてるよ。男女の関係になったんだよね? それを仕方なく? それこそ何言ってるのよ」

「な、何だよ、何が悪いってんだよ。ケントのクソチビなんか、五人も女をとっかえひっかえしてるんだろう?」

「はぁぁ……」


 ミューエルは大きな溜息をつくと、コーリーと一緒に話にならないとばかりに首を横に振ってみせた。


「全然違うわよ。ケントは全員が自分の嫁だと公言して、ちゃんと籍も入れて、自分の家で一緒に暮らしてるわ。行き掛かりとか、仕方なく……なんて言い訳してないわよ」

「くっ……」


 ミューエルにやり込められて、ギリクは返す言葉を思いつかなかった。


「だいたい、薬草採取の護衛なんてBランクの冒険者のする仕事じゃないでしょ。女の子一人を養ってるなら、ちゃんと働きなさいよ」

「あぁ、それなら何の心配も要らねぇよ」


 ダラダラ怠けていることを指摘すれば、また反発するかとミューエルは思っていたが、ギリクは逆に余裕ぶった態度をみせた。


「ダンジョンでデカい宝石の原石を掘り当てたから、当分遊んで暮らせるんだ。じきにAランクに上がるんじゃねぇか」


 どうだと言わんばかりに胸を張り、ニヤニヤと口許を緩めるギリクを見て、ミューエルは血の気が引くような薄ら寒さを感じた。


「偶然原石を掘り当てた程度で、本当にAランクに上がれると思ってるの?」

「別に、一度原石を掘り当てた程度で昇格できるなんて思ってねぇよ。なぁに大丈夫さ、ちゃんと俺だって考えてんだ」

「どうだか……」

「てことで、俺が護衛をやってやるから心配すんな」

「はぁ……お断りよ」

「何でだよ!」

「今のギリクとは一緒にいたくないからよ」

「どうしてだよ! 自分の力で稼いで、ガキどもを指導して、ランクアップして、住む場所も飯も、全部自分でまかなってるのに、何が気に入らねぇんだよ!」

「その理由が分からないところが駄目なのよ!」

「くそっ!」


 狭い薬屋の店内で、ギリクとミューエルは睨み合う。

 ギリクはダンジョンで原石を掘り当てた話を手土産にして、ミューエルの気を惹こうと考えていたのに、逆になじられて苛立っていた。


 一方のミューエルは、自分と距離を置けば少しは大人になるかと思っていたのに、成長のみられないギリクに苛立っている。

 睨み合っていたギリクの視線が、ふっとミューエルの首筋、そして胸元に流れた。


 これまでも意識しなかった訳ではないが、ヴェリンダと関係を持ったことでギリクの視線に以前とは違った色合いが加わった。


「どこ見てるの?」


 冷ややかな一言でギリクの視線が跳ね上がり、これまで向けられたことのない嫌悪感を隠そうともしないミューエルの瞳に射抜かれた。


「う、うるせぇ! グダグダ言ってないで、俺の女になれば……ぐぁぁ、目が……」


 ギリクがミューエルに向かって腕を伸ばした瞬間、音も無く近づいたコーリーがギリクの顔面に手にした薬草の粉末を擦り付けた。


「ミューエル、二度と店に近付かないように捨てといで!」

「はい……」

「くそ婆ぁ! 手前、何しやが……ぐぼぉ」


 身体強化の魔術を使ったミューエルの拳を鳩尾に叩き込まれ、ギリクは体をくの字に折って悶絶した。

 そのまま襟首を掴まれて店の外へと引き摺り出される。


「ギリク、聞いたよね。出入り禁止だから、二度と店には近付かないで」

「くそぉ! そんなにクソチビがいいのかよ!」

「ばっかじゃないの! 今のギリクは、ケントどころかカズキやタツヤの足下にも及ばないわよ。その理由が分かるまでは、私にも近付かないでね!」

「くそっ、なんでだよ! 分かんねぇよ、ミュー姉ぇ! ぶはぁ……」


 ミューエルは、コーリーが手渡したバケツの水をギリクの顔面に叩き付けると、店へと戻り荒々しく戸を閉めた。


「もう、何やってんのよ、あの馬鹿……」


 ミューエルが握り拳で自分の太腿を叩くと、ポフポフと背中を叩く者がいた。


「えっ?」


 驚いたミューエルが振り返ると、そこには大丈夫だとばかりに大きく頷く縫いぐるみのようなコボルトの姿があった。


「一緒に薬草採取に行ってくれるの?」

「わふぅ!」

「ありがとう!」


 ミューエルは、コボルトをギューっと抱きしめた。

 影の空間には、コボルト隊に任せずに自分が行くべきだったと後悔するケントの姿があった。

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