第764話 ギルドの対応
ギリクの凋落ぶりは、想像の斜め下をいく酷いものでした。
コーリーさんの店を叩き出された後、関係の無い人に当たり散らしたりしないか心配なので少しの間行動を見守ることにしました。
頭からバケツの水を浴びせられ、ずぶ濡れの状態で行き場の無い怒りで顔を歪めて歩いていくギリクを道行く人たちが避けていきます。
裏通りから目抜き通りを横切って、向かっている方向は倉庫街のようです。
「まさか、居残り組がいるシェアハウスに行くんじゃないだろうな……」
居残り組のみんなは、それぞれに仕事を持っているので、この時間にはシェアハウスには居ないと思いますが、鷹山の嫁のシーリアさんと子供のリリサちゃん、義母のフローチェさんは居るはずです。
三人に危害を加えようなんてしたら、徹底的に叩きのめしてやろうかと思っていたのですが、ギリクが足を向けたのは別の建物でした。
そこは倉庫街で働く人向けの共同住宅のようで、ギリクはその一室へと入って行きました。
「おい、酒だ!」
出迎えたのはヴェリンダとかいう若い女性で、ギリクはただいまも言わずに酒を出させ、立て続けに二杯飲み干したと思ったら、ヴェリンダの腕を掴んで寝室へと引き込みました。
ギリクは部屋の半分以上をベッドが占めている寝室に入ると、ヴェリンダをベッドに突き飛ばし、ベルトを緩めてズボンを引き下ろして覆いかぶさっていきました。
驚いたことにヴェリンダは簡素なワンピースの他には下着すら身に付けておらず、愛撫もせずに覆いかぶさって来たギリクを受け入れ、すぐさま喘ぎ声を上げ始めました。
「くそぉ、どいつもこいつも馬鹿にしやがって!」
ギリクは的外れな怒りを歪んだ欲望に変換して力任せに腰を振り、組み伏せられたヴェリンダは恍惚とした表情でギリクに手足を絡めて歓喜の声を上げています。
嫌らしいとか、エロいとかではない、おぞましい光景を見るに堪えず部屋を後にしました。
「駄目だな、あれは……」
ギリクもギリクなんでしょうが、あのヴェリンダという妖怪じみた女が側にいる限り、立ち直る可能性は限りなくゼロに近い気がします。
ミューエルさんに拒絶され、ヴェリンダに溺れて、ギリクはどこへ向かうのやら。
新旧コンビの話では、ダンジョンであぶく銭を稼いだみたいですし、何やら若手をダンジョンに向かわせようと焚き付けているようです。
新旧コンビが、ドノバンさんに報告したと言っていたので大丈夫だとは思いますが、手を貸すような事が無いか聞いておいた方が良いのでしょうかね。
その日の晩、自宅でお嫁さん達と和気あいあいの夕食を楽しんだ後、厨房に頼んでおいた夜食を持ってギルドに向かいました。
既にカウンター周辺の明かりは落とされていて、賑わっているのは酒場の周辺だけです。
影の空間から見回してみましたが、どうやらギリクの姿は無いようです。
そのまま影の空間を通ってカウンターの裏手へと移動すると、一人でデスクに向かっているドノバンさんの姿がありました。
この時間にドノバンさんを訪ねるのは久しぶりで、なんだか懐かしい気分になりますね。
「お疲れ様です」
「むっ、ケントか? 仕事を増やすつもりなら帰れ」
「いえいえ、夜食の差し入れです」
「ふむ、ならば茶を淹れてやろう」
闇の盾を出して表に出て、夜食の入ったバスケットを差し出すと、ドノバンさんは渋い笑みを浮かべてみせました。
例によってドノバンさんのデスクの上は書類が山になっているので、用意してきた小さいテーブルの上にバスケットの中身を広げました。
「ほぅ、随分と気が利いてるが、何の賄賂だ?」
「賄賂のつもりは無いんですが、ギリクのことを少し聞いておこうと思いまして」
サンドイッチの他にサラダとフルーツを盛った皿を並べると、ドノバンさんの表情も少し穏やかになったのですが、ギリクの名前を聞いた途端、苦虫を嚙み潰したようになりました。
「タツヤとカズキから聞いたのか?」
「はい、落ちぶれ方が気になったので、朝から動向を見守っていたのですが……」
薬屋での騒動や、その後の行動を掻い摘んで話すと、ドノバンさんは大きな溜息をもらしました。
「あの馬鹿は、どこまで落ちれば気が済むんだ?」
「さぁ? 僕に聞かれましても……」
「体格的な素質があるのはお前も知っての通りだが、いつまで経っても頭の中がガキのままだ」
ドノバンさんは、冒険者全体のレベルアップのために、毎年何人かの見どころのありそうな若手を見つけては、その世代のリーダーになるように目を掛けているそうです。
ギリクも、そうした若手の中の一人だったようです。
「お前のところに頭を下げに行ったと聞いた時には、これで少しはまともになると思ったんだがな……」
「えっ、まさか僕の指導責任だ……とか言いませんよね?」
「そんな事を言う気は無い。お前はジョー達を引っ張り上げてるし、そもそも冒険者の行動は自己責任だ」
とか言いつつ、実戦訓練場を作ったり、毎晩一人で残業しているのに講習まで請け負っているんだから、ドノバンさんも相当なお人好しです。
「それで、ダンジョンの件はどうするんですか?」
「今は、何もせんぞ」
「えっ、何もしないんですか?」
「言っただろう、冒険者の行動は自己責任だと」
ドノバンさんは、魔道具のコンロで沸かしたお湯で、いつものごとく器用にお茶を淹れ始めました。
薄暗いギルドの空気が、華やかなお茶の香りで彩られていきます。
「ふわぁ、いい香りですね」
「だろう……」
二人分のお茶を淹れ終えたドノバンさんは、サンドイッチに手を伸ばしました。
「遠慮なくいただくぞ」
「どうぞどうぞ……」
ドノバンさんが豪快にサンドイッチにかぶりつくのを見ながら、淹れてもらったお茶を口許へと運びました。
立ち上る香りは、爽やかな秋の高原を連想させます。
ドノバンさんがサンドイッチを食べ終えるまで、暫し無言でお茶を楽しませてもらいました。
「ギリクに限らず、ダンジョンで儲けた自慢をする奴は現れる。自慢話なんてものは、殆どが失敗した恥を隠して、儲けた手柄ばかりを強調するもんだ」
「僕は直接聞いた訳じゃないですが、ギリクが稼げたのも殆ど偶然なんですよね?」
「準備万端調えて、計画通りにダンジョンに潜って成果を出す……そんな真似がギリクに出来ると思うのか?」
「いやぁ、無理ですね」
「あんなものは偶々だ。空に向かって矢を射ったら、勝手に飛んで来た鳥に当たるようなもんだ。二度目は無いし、二度目を期待して潜ればダンジョンに食われるだけだ」
僕も、かつてダンジョンに潜った時に、偶々銀鉱石を見つけた事がありましたが、もう一度見つけられる気はしません。
「ていうか、ダンジョンって何なんですか? 鉱石や魔物が勝手に湧くんですよね?」
「ダンジョンはダンジョンだ。何で鉱石が出て来たり魔物が湧くのか、多くの者が謎を解こうとしたが未だに理屈は分かっていない。ダンジョンはダンジョンであって、それ以上でも、それ以下でもない」
「理屈じゃないってことですね?」
「そうでもなければ、鉄の塊が出た所に金の塊が出たりする訳がないだろう」
「確かに……」
ドノバンさんは、サラダやフルーツを口にしながら、ヴォルザードのダンジョンに関する話をいくつかしてくれた。
「以前、青い大蟻が出て大きな被害が出たが、もうダンジョンの周辺は、ほぼほぼ元通りになってるはずだ」
「えっ、そうなんですか? 結構ヤバい被害でしたよね」
「そのぐらいの逞しさが無ければ、ダンジョンなんて相手にしてられないって事だ」
「なるほど……」
「まぁ、ジョーも付いてるから大丈夫だとは思うが、タツヤやカズキが浮かれてダンジョンに潜らないように釘を刺しておけよ」
「はい、この前、潜るなら事前に連絡するように言っておきました」
「それなら大丈夫だろうが……あんまり甘やかすなよ」
「了解です」
ドノバンさんが夜食を食べ終えて、もう一杯お茶を御馳走になってからギルドを後にしました。
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