第756話 プレゼンター八木(後編)
※今回も八木目線の話になります。
ラストックの駐屯地は、遠目から見てもゴツくなっていると思ったが、間近で見ると正に要塞と言うのが相応しい威容を誇っていた。
俺たちが閉じ込められていた頃は、身体強化の魔術を使わなくても、身軽な者ならば簡単に乗り越えられる程度の壁しかなかった。
それが今では、ヴォルザードの城壁と比べても遜色ないほどの頑丈な壁で囲まれている。
まぁ、誰が作ったとか今更聞く必要も無いし、聞きたくもない。
周囲を囲む壁はゴツくなっていたが、駐屯地の内部はあまり変わっていないように見えた。
兵舎なども俺たちが居た頃と変わっていないようだが、今は避難民や支援物資で溢れ返っているようだ。
「これでも一番多かった頃に比べれば四分の一程度の人数だぞ」
俺を迎えに来た騎士の話によれば、水害が起こった直後はラストックのほぼ全ての住民が避難してきていたそうだ。
駐屯地から離れた場所には馬車を走らせ、足の弱った年寄りも見捨てずに連れて来たらしい。
「元々は、魔物の大量発生に備えて、この頑丈な壁を魔王様と眷属が築いてくださったのだ。そして容れ物だけあっても避難する術がなければ意味が無いと、魔王様が避難計画も作るように命じたそうだ」
しかも、国分がそれを命じたのは、俺たちクラスメイト全員がヴォルザードに避難してから、然程日にちが経っていない頃だったらしい。
その頃のカミラや騎士達は、俺らから見たら敵といっても良い存在だ。
ラストックの住民だって、別に助ける義理なんか無い。
それでも手を差し伸べてしまうのが、国分健人という人間なのだろう。
それにしても筋肉痛が酷い。
身体強化の魔術を使い続けていた反動もあるのだろうか、時折腿の筋肉がピキっと引き攣れて悶絶しそうだ。
現在、ラストックを治めているのは、元々隣接する領地を治めていたグライスナー侯爵家の次男だそうだ。
ラストックは王家の直轄地だったらしいが、今はグライスナー家の領地に組み込まれているらしい。
ヴィンセント・グライスナーが使っている執務室は、カミラ・リーゼンブルグが使っていた部屋で、その後一時カミラの弟ディートヘルムが使っていたそうだ。
執務室は二階だと聞いて、この筋肉痛の足で階段を昇ることを考えて憂鬱になった。
領主が使うんだからエレベーターぐらい付けておけ……なんて、こっちの世界では無理な話だ。
国分だったら、こんな筋肉痛も自己治癒魔術で治してしまうのだろうが……本当に世の中ってやつは不公平に出来ていやがる。
案内役の騎士に笑われながら階段を昇る覚悟をしていたら、兵舎の前に身なりの良い男性が立っていた。
騎士の一人が小走りで近付いていき、姿勢を正して敬礼した後、ハキハキとした口調で報告した。
「ユースケ・ヤギ殿をお連れしました!」
「うむ、御苦労」
血統書付きのジャーマンシェパードを思わせる犬獣人の男が、ラストックの領主ヴィンセント・グライスナーなのだろう。
領主自ら、階下まで出迎えに下りてきたのだとしたら、俺様は歓迎されているのかもしれない。
「ようこそ、ユースケ・ヤギ殿。私がヴィンセント・グライスナーだ」
「お初にお目に掛かります、ユースケ・ヤギです」
こちらの世界の貴族との謁見なんて初めてなので、どう振舞えば良いのか分からず、とりあえず深々と頭を下げて挨拶した。
「あぁ、そんなに畏まらなくても構わないよ」
「ありがとうございます」
どうやら第一印象で怒らせずに済んだらしい。
「さて、今日来てもらったのは他でもない、ラストックとヴォルザードを一日で走りきれる乗り物があると聞いたのだが……それがそうなのか?」
ヴィンセントは興味津々といった様子で自転車を眺めている。
この様子だと、自転車を見るために俺を呼びつけたようだ。
これは上手くすると、大口の契約が結べるかもしれない。
「はい、これがケント・コクブの故郷、異世界日本から取り寄せた自転車という乗り物です」
「車輪が二つしかないが、どうやって乗るのだ?」
「では、実際に走らせて見せましょう」
あれこれ言葉で説明するよりも、実際に乗って走らせた方が早そうだ。
プルプルする足を踏ん張って、ペダルを回して走り始めると、おぉぉ……っと驚く声が聞こえた。
訓練場をグルっと出来る限り軽快に走り、ヴィンセントの前まで戻った。
「いかがでしょう。こんな感じですが……」
「ふむ、足でこの部分を回すのか、この中はどうなっているのだ?」
「こちらのペダルに歯車と、車輪に繋がっている歯車を特殊な鎖で繋いでいます。前側の歯車の方が大きいので、一度回すだけでも車輪が多く回り、速く進めるのです」
ママチャリはスプロケットやチェーンにカバーが掛かっているので、中の様子を地面に簡単な図を描いて説明した。
「なるほど、随分と進んだ技術が使われているのだな」
「我々の住んでいた世界には魔法が無い分、工業技術が進んでいますので……」
「そうだろう、良く見てみれば、実に精巧に作られているのが分かる、この車輪の部分は弾力のある材質で作られているようだが……」
「我々はタイヤと呼んでいるのですが、ゴムという材料を用いて、補強用のワイヤーも入っているようです。タイヤの内部にはチューブという部品が入っていまして、空気を詰めることで弾力を生み出しています」
「空気を詰める……とは?」
「えっと……ゴムは空気を遮断する性質がありまして、ゴムで出来た筒状のチューブにどんどん空気を詰め込んでいくと、このような弾力性が生まれるのです」
「本当に、この中は空気なのか?」
「では、ちょっと抜いてみせましょう」
タイヤ、チューブの中が空気であると証明するために、一度バルブを緩めて空気を抜いた。
プシューッという音と共に空気が抜けてタイヤがぺしゃんこになると、ヴィンセントだけでなく騎士二人も、おぉ……っと声を上げて驚いていた。
考えてみれば、こっちの世界にはタイヤは存在していない。
それどころか、井戸は殆ど釣瓶式だし、ポンプという考えすら存在していないのかもしれない。
この後も、ヴィンセントの質問攻めは続いて、日本では当たり前に使っている物を全く知識を持たない人間に説明する苦労を思い知らされた。
ワイヤーとか、塗装とか、メッキとか、ダイナモ式のライトとか、俺自身詳しい知識が無いから説明するのに四苦八苦だ。
しかも説明する相手はラストックの領主であり、リーゼンブルグのお貴族様だから背中は嫌な汗でびっしょり濡れている。
ヴォルザードの領主クラウスのおっさんでも緊張するのに、ぶっちゃけ吐きそうだ。
「ふむ、見ればみるほど素晴らしい。できれば買い取って王室に献上したいぐらいだが、それは魔王様も望んでいらっしゃらないのだろう?」
「そう、ですね。いずれは、こちらの世界でも同様の品物が作れるようになれば良いと考えているようですが、急激な変化は望んでいないようです」
「そうか、このジテンシャなる物は貸し出していると聞いたが、いくらで借りられるのだ?」
「一日百五十ヘルトで貸し出しております」
料金は、日本のレンタサイクルを基準に決めているのだが、こっちの人間が高いと感じるか、それとも安いと感じるのか、よく分からない。
「一ヶ月だと?」
「四千八百ヘルトですが、故障の修理などは別料金とさせていただいております」
「ならば、ひとまず十台借り受けよう。用意できるか?」
「は、はい! ヴォルザードに戻り次第、用意を整えてお持ちいたしますが……」
「どうした、何か問題でもあるのか?」
「この自転車、乗りこなすのに少々コツが要ります」
「なるほど、車輪が二つ並んでいるだけで、手を離せば倒れるな」
「ですので、納車の時に取り扱いを含めて乗り方を説明させていただければと……」
「それは別料金か?」
「いえ、慣れて使っていただけないと商売になりませんので、サービスさせていただきます」
「そうか……ならば詳しい契約をしよう」
「はい、ありがとうございます」
よし、十台とはいえ公の組織で使ってもらえるならば、その後の追加発注も請け負えるかもしれない。
どうやら、ようやく俺様にも運が向いてきたらしい。
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