第752話 巻き込まれた男
クエルバスは、リーゼンブルグの王都アルダロスで布問屋を営んでいる、今年四十八歳になる男だ。
祖父の代から続く布問屋を継いでから十二年、一時は倒産寸前まで傾かせたが、この数ヶ月で急激に売り上げを伸ばしている。
理由はリーゼンブルグとバルシャニアの敵対関係が解消されて、急速な友好ムードが高まったことにある。
それまでの在庫を一掃して、バルシャニア産の布地の取り扱いを始めたのだ。
リーゼンブルグとバルシャニアとの国交が回復しても、両国の間にはダビーラ砂漠が横たわっているので、交易を行うのは容易ではない。
長く危険な道程を越えて運ぶ必要があるため、行商人が扱うのは価値の高い品物ばかりだ。
精巧な金細工、銀細工、宝石類、織り上げるのに手間と時間のかかる毛織物、布地は絹製品が殆どだ。
そんな中、クエルバスが扱っているのは、比較的価格の安い綿織物だ。
独特な模様で織りあげられた布地は、リーゼンブルグの綿織物に比べると割高だが、バルシャニアで作られた物だと考えれば手頃な価格なので飛ぶように売れている。
クエルバスという男は大の女好きで、娼館の売れっ子娼婦に入れ込んで莫大な借金を抱えた時期があった。
その借金も、バルシャニア産の綿織物のおかげで返済を終えている。
だが借金が無くなり、金が貯まれば、スケベ心が頭をもたげ始め、またぞろ娼館通いを再開したのだが、五十の坂を目前にすると己の剣が鈍り始める。
気持ちが昂っても、体が伴わない状況にもどかしさを感じたクエルバスが頼ったのが、例のポーションもどきだ。
最初は、娼館で働く男から勧められた。
「旦那、いい薬があるんですけど、一度試してみませんか?」
「ヤバい薬なんだろう?」
「いいえ、ただの気付けのポーションですが、あっちの方にも効きますぜ」
「いくらだ?」
「お試しは無料でいいですよ。気に入ったら声を掛けてくだせぇ」
その晩、効果を実感したクエルバスは、ポーションもどきをまとめ買いして帰った。
娼館で扱っている時点でまともな品物とは思えないし、すぐに手に入らなくなると思ったからだ。
多少ヤバい品物だとしても、乱用しなければ良いし、クエルバスは老いさらばえるまで長生きする気は無かった。
今を楽しむためのアイテムとして問屋の隠し金庫に保管して、チビチビと効果を享受するつもりでいた。
クエルバスの読み通り、ポーションには違法な成分が含まれているので、所持している者は届け出るように官憲から通達が回された。
通達の内容を吟味し、実際に使った反動などと合わせて検討した結果、クエルバスは届け出ずに使い続けると決めた。
家族にも店の者にも明かしていないし、内密に使う分にはバレる心配は無いと思っていたのだが、その目論見は意外な形で崩された。
「旦那様、商工ギルドの方と官憲の方が見えられてます」
「はぁ? なんでギルドの人間と官憲が一緒に来るんだ?」
「さぁ、なんでも悪質なポーションが出回っているとか……」
「そんなものは、うちとは無関係だろう」
「はぁ、そう申し上げたのですが……」
「分かった、応接室へ通してくれ」
まさか娼館経由でポーションを買ったのがバレたのかとも考えたが、そもそも本名は名乗ってもいない。
あの手の商売をしている連中ならば客の身元を調べる程度は造作も無いだろうが、官憲に対しては口が堅い。
仮に自分が所持しているのがバレたのだとしても、あくまでも被害者を装ってシラを切り通すつもりでいた。
クエルバスが応接室で待っていると、商工ギルドから二人、官憲から二人、四人の男が入ってきた。
特に、官憲の二人は屈強な体付きで、鋭い視線をクエルバスに向けてきた。
「一体、何の御用でしょうか。うちは見ての通りの布地問屋で、悪質なポーションなんて扱っていませんよ」
「クエルバス、詐欺容疑で拘束する」
「はぁ? 詐欺?」
「ランズヘルト産の布地をバルシャニア産だと偽って売っているな?」
「な、何の話です? うちはバルシャニアから仕入れた……ちょっと、そっちは私の執務室……」
「動くな! 今更ジタバタするな!」
官憲の二人に両腕を掴まれたクエルバスは、商工ギルドの係官の後から自分の執務室へと連れ込まれた。
クエルバスが仕事をするための机と、資料などを入れておく戸棚があるだけの簡素な部屋だが、ギルドの係官は真っ直ぐに戸棚へと向かった。
「その奥だ」
「なんでそこを知ってるんだ!」
執務室の奥に置かれた戸棚の更に奥、壁に接する部分が隠し扉になっていて、その後ろがクエルバスの隠し金庫になっていた。
隠し扉を開いたギルドの職員は、ポーションもどきの入った薬瓶と帳簿の束を取り出した。
「ありました。違法ポーションと裏帳簿です」
「ここは私以外は誰も知らないはず……一体誰が」
「クエルバス、ランズヘルト産の布地をバルシャニア産と偽って販売した罪で拘束する。何か申し開きすることはあるか?」
「なんで……なんでバレたんだ?」
「むしろ、どうしてバレないと思ったか聞きたいぐらいだ」
クエルバスがバルシャニア産と偽って売っていた布地は、ランズヘルト共和国のフェアリンゲンで織られたものだ。
魔物の数が増えたことでイロスーン大森林の通行が出来なくなった時に、ヴォルザードとブライヒベルグの間を闇の盾を使って繋ぐ仕組みが作られた。
それまでは一週間以上掛かっていた輸送時間がほぼゼロとなり、ヴォルザードにはブライヒベルグから新鮮な野菜が届くようになった。
闇の盾による輸送システムでフェアリンゲンで作られた綿織物も運ばれるようになり、輸送に掛かるコストが削減されたことで価格が安くなっている。
更に、カミラの輿入れをスムーズに行うために、ケントが魔の森を抜ける街道の整備を進めたので、リーゼンブルグからヴォルザードへ容易に行けるようになった。
借金で首が回らなくなっていたクエルバスは、何とか安くて珍しい布地が手に入らないかと考えて、考えて、考えて、ヴォルザードで価格が下がったフェアリンゲンの綿織物に辿り着いたのだった。
これを正直にフェアリンゲン産の綿織物だとして売れば何の問題も無かったのだが、更に付加価値を付けようと考えて思いついたのがバルシャニア産への偽装だった。
皇女セラフィマの来訪によって、王都アルダロスではバルシャニアブームが続いている。
まだアルダロスでは見掛けないフェアリンゲン産の布地ならば、偽装しても大丈夫だとクエルバスは考えたのだが……時間が経てば、いずれ他の業者が持ち込むようになる。
その時には、当然偽装工作がバレてしまうはずだが、借金の返済期限に追われていたクエルバスは目先の利益を優先したのだ。
「まぁ、娼館でこんなポーションに手を出さなければ、上手く売り抜けられていたかもしれないけどな」
「そ、そのポーションは、ただの気付けポーションだと言われて買ったものだ」
「だが、通達を出したよな。今回のは悪質だから、どこの店にも、どこの家にも、漏れが無いように徹底して通達した。保有を続ければ罪に問われると、ちゃんと通達したぞ」
「そ、そうだとしても、なんで隠し金庫にあるって分かったんだ」
「それは、優秀な猟犬がいるからだよ」
「猟犬?」
「そうだ、闇から闇へと渡り歩き、どこに隠そうとお見通しさ」
ラインハルトが指揮するローラー作戦に、クエルバスは娼館で引っ掛かった。
まったく気づかぬうちに闇属性を付与した魔石を埋め込まれ、ポーションもどきを保管した隠し金庫を探し当てられてしまった。
布地の産地偽装は、フレッドが隠し帳簿の内容を確認したことで発覚。
リーゼンブルグとの友好関係樹立を汚すような行為を、元リーゼンブルグの三忠臣が許すはずがない。
違法ポーションの所持と一緒に、官憲と商工ギルドに通報されてしまったという訳だ。
娼館に行っていなければ、怪しいポーションに手を出していなければ、布地の産地偽装は発覚しなかったかもしれないが、今となっては後の祭りだ。
違法薬物の所持、産地偽装の詐欺行為によって、クエルバスは多額の罰金を科せられた上に、商工ギルドの会員資格を停止させられ、三代続いた布地問屋の看板を下ろす事となった。
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