第726話 母と娘

※今回はヴォルザードのお母さん、アマンダさん目線の話です。


 昼から始まったケントの結婚披露パーティーは、時間が経つにつれてグダグダな様相を呈してきた。

 これから頃合いを見計らって夕食を出すそうだが、食べ続け、飲み続けているから全然お腹が減っていない。


 それよりも、そろそろ家に帰ってノンビリしたい。


「ケント、そろそろお暇させてもらうよ」

「ふぇ? アマンラしゃん帰っちゃうんれすか?」


 今日の主役であるケントは、領主様と皇帝陛下に捕まって飲まされて、すっかりベロベロだ。


「あぁ、自宅の方が落ち着くからね。でも、メイサは置いていくから頼むね」

「ううん、あたしも帰る」


 明日は、ヴォルザードとリーゼンブルグの平和条約が結ばれた記念で学校が休みになるといってたから、てっきりメイサは泊まっていくと思っていたのに……ちょっと意外だ。


「えぇぇ……メイサちゃんまで帰っちゃうの?」

「だって、ケント酔っぱらってるじゃん」

「これはぁ……僕のせいじゃなくてクラウスさんがねぇ……」

「はいはい、分かった、分かった。また遊びに来るから」

「あー……いつでも遊びに来ていいからね、僕も遊びに行くからね」

「はいはい、いつでもどうぞ……ケント、結婚おめでとう」

「ありがとう! 素直なメイサちゃんは可愛いねぇ……」

「ちょっ……お酒臭いぃぃぃ!」


 ケントが蕩けるような笑顔で抱きしめようとするが、メイサは腕を突っ張って抵抗していた。

 抵抗虚しくケントに抱きしめられて頬ずりまでされて、メイサは頬を膨らませて微妙な表情を浮かべている。


 素直どころか、メイサが精一杯強がっているのをケントは全然気づいていないようだ。

 うちの娘の恋路は前途多難だねぇ。


 ケントの家を出ると、空は茜色から藍色へと変わろうとする時間だった。

 夏の盛りも過ぎて、この時間になると涼しい風が吹くようになっている。


「泊まっていかなくて良かったのかい?」

「いいの、今日のあたしは格好悪かったから」

「そうでもないだろう。ちゃんと、おめでとうって言えたじゃないか」

「ううん、全然駄目。サチコはあんなに格好良かったのに、あたしは駄目駄目だった」

「あぁ、サチコは格好良かったね。あの子は大したものだよ」

「だよね。それに比べて……あたしは子供みたいにヘソを曲げて、格好悪かった……」

「ふふっ……」

「笑うことないでしょ!」


 まったく、いつの間にこんなに女っぽい表情をするようになったんだか……。

 ケントの周りには良い女がいっぱい寄って来るから、焦って背伸びをしてるんだろうけど、あたしにしてみりゃ、そんなに焦って大人になってほしくないんだけどね。


「大丈夫だよ、ちゃんとおめでとうって言えたじゃないか」

「ケントにはね……でも、カミラには言えなかった。サチコはいっぱい苦しんだのに、カミラはケントに助けられて、結婚して……ズルい」

「それじゃあ、ケントの目は節穴なのかい?」

「えっ?」

「ケントが、ただズルい女を選んだりすると思うのかい?」

「それは……無いと思うけど、ケントはオッパイの大きい人が好きだから……」

「あははは……確かにそうだけど、マノンやセラフィマは違うじゃないか」

「そうだけど……ケントはスケベだから……」


 確かにケントは豊満な女性に弱いけど、それだけじゃないことはメイサも分かって言っているのだろう。


「ユイカも最初はカミラを受け入れられなかったそうだよ」

「でしょう、だって……」

「最初は……だよ。今はカミラの置かれていた状況を聞いて、認めているそうだよ。それに、カミラがいなかったら、ケントもヴォルザードには来なかったんだよ」

「そうかもしれないけど……」

「人から聞いた話で判断するんじゃなくて、ちゃんとメイサ自身が見て聞いて判断しなよ。ケントがカミラのどこに惹かれたのか分からないようじゃ……」

「分かった、ちゃんと向き合う」

「それでこそ、あたしの娘だ」


 メイサは、あたしの腕を抱え込むようにして手を繋いできた。

 小さい頃は、一緒に出掛けると手を握って離さなかったものだが、いつの間にか手を繋がなくなったどころか、どこにすっ飛んで行くのか心配するようになった。


 以前は、あたしの大きな手で握り締めたら壊れてしまうんじゃないかと思う小さな手だったのに、いつの間にかシッカリしてきていた。


「そんなに慌てなくていいのに……」

「えっ、何か言った?」

「いいや、こっちの話だよ」

「カミラとはちゃんと向き合うけど……サチコにはカミラよりも幸せになってもらいたい」

「そうじゃない、幸せの形は人それぞれだから、誰かと比べるものじゃないよ。それにサチコは、もう幸せになる方法を分かっているから大丈夫さ」

「幸せになる方法って……?」

「許すことさ」

「許すって……カミラのこと? でも、それじゃあ幸せになるのはカミラじゃないの?」


 サチコを姉のように慕っているメイサは、まだカミラに対してわだかまりを持っているようだ。


「人を憎んだり、妬んだり、羨んだりしていると、嫌な気持ちがずっと心の中に汚れみたいにこびり付いたままになっちまう。許すことが出来ずにいると、そういった嫌な思いをふとした瞬間に思い出して、また嫌な気持ちになっちまう。それは幸せじゃないだろう」

「でも、そんなに簡単に許せないよ」

「そうだね、相手のあることだから簡単じゃない。でも、相手が反省して、謝罪して、償いをしたのなら、どこかで折り合いをつけて許してやった方が、相手だけじゃなく自分も幸せになれるものなのさ。今日のサチコが不幸に見えたかい?」

「ううん、サチコは格好良かったし、幸せそうに見えた」

「だろう? サチコには、ケントを始めとして良い友達がたくさんいるから大丈夫。あの子は、ちゃんと幸せになるよ」

「そうだね……うん、そうだ」


 それにサチコには、娘という強い味方ができた。

 娘を抱くサチコの表情を見た時に、あぁ、この子は大丈夫だと思った。


 きっと、あと何年かしたら今のあたしとメイサのように、サチコとミクも手を繋いで幸せを実感するだろう。

 そのための協力ならば、あたしだって惜しむつもりはないよ。


 裏通りを抜けて、店の裏手に出ると、井戸端でミリエが木剣を振っていた。

 うちに来たばかりの頃には、素振りをしただけで腰を痛めていたが、だいぶ様になってきたように見える。


「お母さん、ミドリさんって凄い人だよね」

「ちゃんと、ミリエの努力も認めてやんなよ。まぁ、確かに教え方は凄いんだろうけどね」


 ミリエがミドリお姉様と慕っているのは、ケントと同じニホンから来た女の子だ。

 殆どの女の子がニホンに帰ったのに、ミドリはヴォルザードに残って冒険者として生活しているそうだ。


 討伐や採取などの冒険者の仕事の他に、メリーヌの食堂で給仕として働いていたりする。

 うちには、たまにしか来ないから話をする機会は殆ど無いのだが、サバサバした性格だとミリエが言っていた。


 手取り足取り面倒を見るというよりも、少し突き放して自分で考えさせるぐらいの方がミリエにはあっているのかもしれない。


「あれっ、おかえりなさい、アマンダさん。今日は泊まってくるんじゃなかったんですか?」

「賑やか過ぎて、疲れそうだから帰ってきたよ」

「そうなんですか。メイサちゃんも?」

「うん……まぁ、そんなところ。だって、ヴォルザードの領主様はいるし、バルシャニアの皇帝陛下はいるし、花嫁はリーゼンブルグの王女様で、次の国王になる弟さんもいたんだよ」

「嘘っ……じゃないんですよね。ケント・コクブさんですもんね」


 普通の人なら信じられない話だろうが、ケントが何者か知っているミリエは納得したようだ。


「ミリエ、あんた夕食は?」

「パンがあるので、それとミルクで済ませようかと……」

「そんじゃあ、着替えてから何か作ってあげるよ」

「いえいえ、いいです、折角のお休みに……」

「なに遠慮してんだい、ちゃんと食べないと大きくなれないよ。メイサも食べるだろう?」

「うん、食べる。あたしもドーンと大きくなって、ケントをメロメロにしてやるんだから」

「だといいけどねぇ……」


 メイサがメロメロに出来るかどうかは疑わしいところだけど、嫁を五人も貰って、その頃までにケントが干からびてなきゃいいけど……。

 あたしは、ドーンと大きくなるらしいメイサの成長を楽しませてもらうよ。

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