第721話 行列の騎士達
カミラ・リーゼンブルグの輿入れの行列を率いているゲルト・シュタールは、かつてラストックに駐留していた騎士だ。
現在は王都の騎士団で中隊長を務めている。
カミラと共にラストックに駐留した経験や、ヴォルザードに出向いて領主クラウス・ヴォルザードに謁見した経験を買われ、行列の隊長を命じられた。
王都アルダロスからグライスナー領までの道中では、さして驚くことはなかったのだが、ラストックの変貌ぶりには目を見張らされた。
嵐による水害で壊滅的な被害を受けた件はゲルトも聞いていたし、実際街に着くまでの畑は泥に埋もれていた。
人的な被害は少なかったと聞いていたが、街の復興は始まったばかりなのだと思っていた。
ところが、新たな街割りによって広い道筋となった中心地では、既に商会が営業を始めていた。
まずは商業施設と復興住宅の建設から取り掛かったそうだが、悲惨な被災地という印象はまるで無く、力強く発展を始めた新しい街にしか見えなかった。
そんなラストックの街の様子を見て、ゲルトと馬を並べている副官が感心した様子で話し掛けてきた。
「隊長、やはり僻地の民は逞しいですね」
「サラビア、僻地という言い方は感心しないな」
「す、すみません」
「感心はしないが、言いたいことは分かる。ここは厳しい土地だからな、逞しくなければ生きていけぬのだ」
ゲルトの脳裏には、ミノタウロスやオーク、ニブルラットなどの大群が押し寄せてきた時の絶望的な光景が浮かんでいた。
「隊長は、以前ラストックに駐留されていらしたのですよね?」
「あぁ、何度も魔物の群れに囲まれたぞ」
「そうみたいですね。一番手強かったのは、何でしたか?」
「単体の強さならばミノタウロスなのだろうが、一番始末が悪かったのはニブルラットだな」
「えっ、ニブルラットって……あのニブルラットですか?」
サラビアは、ゲルトの意外な答えに首を捻ってみせた。
ニブルラットは大型のネズミで、大きなものだと大型犬ほどにもなるが、群れでなければ人は襲わない。
騎士にとっては、ゴブリンやコボルトと同等か、それ以下の脅威としか思われていない。
「あのニブルラットだが、駐屯地の水堀を埋め尽くして次から次に壁を登ってくる様子を想像してみろ。悪夢のような光景だぞ」
「げぇ、そんなのどうやって食い止めたんですか?」
「魔王ケント・コクブ様とその眷属の助力によって、なんとか撃退したが、俺達だけではどうにもならなかっただろうな」
その時に立て籠もった駐屯地は、今も要塞のごとき姿で健在で、先日の水害から多くの住民を守り抜いた。
「凄いですね、あれがラストックの駐屯地ですよね。まるで砦じゃないですか」
「あれを作れと言ったのも魔王様ならば、その工事の大半を行ったのは魔王様の眷属だ」
「じゃあ、今回の水害で住民が助かったのも魔王様のおかげじゃないですか」
「そうだ、駐屯地を要塞化するだけでなく、住民がスムーズに避難できるように計画を作るように指示された」
「魔王様って、カミラ様よりもお若いと聞いたんですが、本当なんですか?」
「本当だ。見た目だけなら、そこらの小僧かと思うが、中身の深謀遠慮は歴戦の強者かと思うほどだぞ」
「そんなに凄いんですか?」
「当り前だ、魔王様だぞ」
ゲルトは現場には立ち会えなかったが、王都へ移動となった後、騎士団長からアーブル・カルヴァインとの戦いの様子も詳しく聞かせてもらった。
リーゼンブルグの三忠臣と呼ばれた騎士が、スケルトンとなって付き従っているという話だが、平凡な人間にできる功績ではない。
出会った当時はケントに対して敵意を抱いていたゲルトだが、その後の功績を知るほどに考えが変わり、今では心酔している。
ラストックの駐屯地で一夜を過ごし、ヴォルザードに向けて出立すると、その道中でもゲルトはケントへの敬意を強めることになった。
「隊長、ここが魔の森なんですか?」
「そのはずだが……」
魔の森を抜ける街道に、ゲルト達が死に物狂いで馬を走らせた当時の風景は残っていなかった。
道幅は広げられ、道の両側は見通しが利くように木立や灌木が刈り取られている。
路肩に馬車を停め、馬を休ませている者たちは、リラックスした様子でこちらに手を振っていた。
以前までの魔の森ならば、馬車を停めることすら危険で、ほんの少しの油断も許されなかったが、今や普通の街道との違いを見付けることが難しい。
「その先の川で休憩する! 全員、周囲への警戒を怠るな!」
魔の森の中でも、水辺は多くの魔物が集まってくるし、馬を休ませるには都合が良くても油断の出来ない場所だった。
それが今や、見通しを良くするために川岸が切り開かれていて、中には馬を休ませながら自分も昼寝を楽しんでいる者さえいた。
「隊長、ここは本当に魔の森なんですか?」
「そのはずだが、とても同じ場所とは思えんな」
かつてリーゼンブルグの使者としてヴォルザードを目指した時は、ゴブリンの極大発生の直後で、のんびり休憩すらできず神経をすり減らしていた。
当時、ラストックの駐屯地にいた騎士の中から選りすぐりの人材を選んだのに、それでも命からがらヴォルザードに辿り着いた思い出しかない。
「これも魔王様のおかげ……なんですかね?」
「ヴォルザードで兵を派遣して魔物の討伐を進めたという話は聞いていない。リーゼンブルグでもやっていないのだから、誰がやったかは明らかだろう」
「ですが、魔の森を抜ける街道を作るのでさえ、国を挙げての難事業だったと聞いています。魔王様は一国を上回る戦力を持っているということですか?」
「その通りだ。仮に今、リーゼンブルグがヴォルザードに戦を仕掛けたとすると、恐らく一日で敗北する事になるだろう」
「まさか……」
サラビアは信じられないと言い掛けて、ゲルトが冗談を言っているのではないと気付くと言葉を失った。
「そもそも、魔王様の眷属は影に潜って自在に移動する。ただの軍隊であれば相手に向かって守りを固められるが、どこから現れるか分からない敵が相手では守る術がないだろう」
「では……カミラ様は魔王様に対する生贄なのですか?」
「それは違うぞ、お二人が愛し合っておられるのは、近くで見ればすぐに分かる」
「それでは、リーゼンブルグは安泰なのですね?」
「そうではない。リーゼンブルグだけが安泰なのではなく、ランズヘルトも、バルシャニアも安泰なのだ」
ゲルトは至って真面目に答えているのだが、ケントと会ったことのないサラビアは半信半疑といった様子だった。
ゲルトは、休憩の度に部下達に気を引き締めるよに釘を刺していたが、オークやオーガどころかゴブリン一匹見ることもなく、その日の野営地へと到着してしまった。
向かって右側が一般向けの野営地、左側が今回のために用意された野営地だと事前に伝えられていたが、その規模にゲルト達は度肝を抜かれた。
「我々だけで使うには広すぎるのではないのか?」
「この後は一般にも開放されるそうだぞ」
「恐ろしく平滑な城壁だが、どうやって作ったんだ?」
森の中にそびえる城壁は、魔物の侵入を防ぐには十分な高さを備えていて、鏡のごとく平滑に作られている。
周囲には水堀が巡らされていて、行列が近付くと跳ね橋が下ろされた。
「皆さん、お疲れさまでした。さぁさぁ、中に入って休んでください」
「出迎えご苦労、世話に……」
「馬鹿者!」
門の脇から姿を現した少年に向かって鷹揚に答えたサラビアを怒鳴りつけたゲルトは、馬を降りて跪いた。
「お出迎え感謝いたします、魔王様」
「あぁ、ゲルトさんじゃないですか、お久しぶり。お堅い挨拶は抜きにして、行列を中に進めて下さい」
「はっ、かしこまりました。全員、騎乗! 奥へと進め!」
ゲルトが下馬したのを見て、慌てて馬を降りた騎士達が乗り直し、行列は野営地の中へと進んだ。
一行が全て野営地の中へと入ると、また跳ね橋が上げられて、外部との往来を隔絶した。
野営地には百人の騎士のための天幕や、馬のための飼い葉など、野営に必要な準備が整えられていた。
隊列が止まり、馬車からカミラが降りた直後に、サラビアは何も無い空間から先程の少年が姿を現すのを目撃した。
「魔王ケント・コクブ様……」
下馬した騎士達が一斉に跪いた中で、蕩けるような笑みを浮かべたカミラとケントは互いの存在を確かめ合うように抱き合った。
その姿を見ただけで、生贄などと思った自分の考えがいかに間違ったものだったのか、サラビアは思い知らされた。
「今夜は天幕で我慢して。明日には我が家に入ってもらうからさ」
「ありがとうございます。私共も準備はしてきたのですが、必要なくなってしまいました」
「食事も用意してあるから、騎士の皆さんに配ってあげて」
「はい、ケント様もご一緒なさいますか?」
「ごめん、まだ来客の相手もしなきゃいけないんだ」
「かしこまりました」
「じゃあ、明日……」
「はい」
カミラと口付けを交わしたケントは、騎士たちに向かってリーゼンブルグ式の敬礼をすると、影に潜って姿を消した。
「隊長、今のが……」
「馬鹿者が……見た目は普通の子供と変わらないと話しておいただろうが!」
「すみません。でも、あんなに普通だなんて思わないですよ」
「魔の森のど真ん中に、これだけの物を個人で作ってしまわれる方だぞ。温厚な魔王様でなければ首が飛んでもおかしくなかったんだからな」
「申し訳ありませんでした。でも、いいですねぇ……俺もカミラ様に、あんな表情で抱き締めてもらいたい……いでぇ!」
ゲルトに拳骨を落とされて、サラビアは顔を顰めた。
「気を抜いてるんじゃない! 我々の行動は魔王様の眷属に一部始終を見られていると思え。さぁ、さっさと野営の準備を始めろ!」
「はっ、かしこまりました!」
魔の森を通過するからと意気込んでいた騎士達だが、予想に反して何事も起こらず、張り詰めていた気が緩んでいる。
笑い合いながら野営の支度を始めた部下を眺めて、明日のヴォルザード入りを前に気合いを入れ直さなければならないと、ゲルトは渋い表情を浮かべていた。
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