第719話 父と息子の会話

 我が家に、バルシャニア皇帝夫妻をお招きいたしました。

 リーゼンブルグ王国を東西に横断し、ダビーラ砂漠も横断し、更にバルシャニア国内をずいーっと進んだ帝都グリャーエフからヴォルザードまでは馬車なら一ヶ月ぐらい掛かります。


 まぁ、送還術なら一瞬なんですけどね。

 皇帝コンスタンのお相手は、ヴォルザードの領主クラウスさんにお願いしてます。


 一国の皇帝と共和国の一領主だと位負けしちゃいそうですが、お二人ともそんな事に拘るような人じゃないですから、早々に酒を酌み交わしています。

 てか、二人の間にディートヘルムが挟まれちゃってるんですが……うん、頑張れ。


 リーゼンブルグ王国を背負っていくのだから、この程度の試練には耐えてもらいましょう。

 僕が救いにいくと面倒な事になりそうなので、代わりに唯香の父親、唯生さんを連れてきました。


「おぉ、タダオ、待っていたぞ。さぁ、こっちに来て座れ」

「クラウス、もう飲んでるのか……そちらは?」

「あぁ、紹介しよう。セラフィマ嬢の父親でバルシャニア皇帝のコンスタンだ」

「こ、皇帝ぇ?」

「あぁ、堅苦しい挨拶は抜きにしよう。共に花嫁の父親だからな……コンスタン・リフォロスだ。よろしく頼む」

「どうも、唯香の父、唯生浅川です。よろしく」


 コンスタンさんが皇帝と聞いた時は驚いていた唯生さんですが、意外に早く馴染みそうですね。


「それで、彼は?」

「わ、私はリーゼンブルグ王国王太子ディートヘルム・リーゼンブルグと申します」

「あぁ、カミラさんの弟さんですね。よろしくお願いします」

「こ、こちらこそ……」


 うん、日本の普通のオッサンである唯生さんの方が、ディートヘルムよりも偉そうに見えるのは僕の目の錯覚ではないと思います。

 こちらの世界の結構偉い人達と、普通に接している唯生さんは結構大物だと酒盛りの様子を眺めていたら、唯香に急かされました。


「健人、そろそろ行かないと……」

「わかってる、今行こうと思ってたところだよ」

「ちゃんと奥様や娘さんにも挨拶するんだよ」

「分かってる。大丈夫だよ」


 これから僕は、日本に実の父親を迎えに行きます。

 まぁ、唯香が心配するのも当然で、結婚式への出席を頼んであるのですが、あまりにも連絡が少ないので、父さんとの連絡は唯香にとって代わられています。


 唯香の場合、日時や日本からの移動方法などを細々と書いたメールをやり取りして、必要とあれば音声電話でも説明したそうです。

 迎えに行く段取りも、唯香が父さんと打ち合わせて決めてくれました。


 父さんは、現在埼玉県南部のマンションで、家族三人で暮らしているそうです。

 今日は、そのマンションのエントランスまで父さんを迎えに行き、魔力を譲渡して影の空間経由で連れて来る予定でいます。


 こちらの世界の人は魔力を持っているので、僕の魔力を譲渡することができません。

 この方法は魔術属性を持たない地球人だから使える方法です。


 父さんの暮らしているマンションは、事前に伝えられている住所からネットの地図で調べて、下見も済ませています。


「健人、こっちを出る前に電話しておいた方がいいんじゃない?」

「う、うん……」

「健人……」

「分かってる、ちゃんと電話していくよ」

「あっ……健人」


 唯香は、まだ何か言いたげでしたが、影の空間へと逃げ込みました。

 影の空間では、マルトがスマホを持って待っていました。


「わぅ、ご主人様、大丈夫?」

「大丈夫だよ、ちょっと苦手なだけだから」


 スマホを受け取り、マルトをワシワシっと撫でてから通話アプリを開き、父さんの名前をタップしました。

 ツーコールの後で繋がり、記憶にある父さんの声が聞こえてきました。


「健人か?」

「はい、これから行きます」

「分かった。マンションのエントランスにいる」

「はい」


 通話を切ってから、ふーっと大きく息を吐き、スマホをマルトに手渡しました。


「わぅ、大丈夫?」


 心配そうなマルトをもう一度撫でてから、父さんの暮らすマンションへと移動しました。

 父さんは、小型のスーツケースを携えて、会社に行く時のようなスーツ姿で待っていました。


 驚かせないように、視界に入る少し離れた場所に闇の盾を出して、エントランスへ踏み出しました。


「えっと……忙しいのに、すみません」

「何を言ってる。息子の結婚式に出るのは当り前だろう」

「そうですね……」


 父さんは、僕が記憶している父さんよりも少し老けたように見えます。

 それでも父さんは父さんで……何て言うか、何を話して良いのか上手く言葉が出て来ません。


「えっと……それじゃあ、魔力を譲渡して僕の家に案内するね」

「健人、少し二人だけで話せないか?」

「えっ……はい、じゃあ……」


 予定外の申し出に少し混乱して、父さんを自宅ではなく魔の森の訓練場へ連れていってしまいました。


「ここは?」

「ここは魔の森の中にある訓練場。一般の人は、ここまで足を踏み入れないから邪魔は入らないよ」


 とは言ったものの、父さんと向かい合うように丸太で作ったベンチに座ると、コボルト隊やゼータ達が出て来て僕らを囲みました。


「け、健人……これは」

「みんな僕の眷属だよ。いつもは屋敷の庭でゴロゴロしてるんだけどね」


 コボルト隊はまだしも、ゼータ達の巨体を目にして父さんは顔を引き攣らせています。

 まぁ、こんなに大きな狼は地球には存在しないから、腰が引けちゃうのも無理ないよね。


「だ、大丈夫なんだろうな? 急に襲いかかって来たりしないだろうな」


 あれっ、何だろう、何か変だ……。


「け、健人……」

「大丈夫です、主殿の父親に危害を加えたりいたしません」

「しゃ、喋った……」


 僕の代わりに答えたゼータを見て、父さんは目を丸くしています。

 これまで父さんは、家にいても殆ど笑わず、不機嫌そうで怖いというイメージしかありませんでした。


 そんな父さんの顔色をうかがって、いつもビクビクしてたんですが、今目の前にいる父さんはは、あの頃の怖い人ではなくなっています。

 自分とは違う存在、別の生き物みたいな隔絶感が無くなって、血の通った同じ人間だと感じます。


 さっきまで、ガチガチに身構えていたのが馬鹿らしく思えてきて、肩の力が抜けたような気がします。


「父さん、話があるんだよね?」

「お、おぉ、そうだった……健人、これまですまなかった。私は良い父親ではなかった」


 姿勢を正した父さんは、僕に向かって頭を下げました。


「父さん、頭を上げてよ」

「私を恨んでいないのか?」

「どうして? 確かに父さんは、世間一般の父親に比べると愛情が薄かったんだと思うけど、母さんとの関係が冷え切って、僕に対する愛情が薄くても、経済的な支援は続けてくれたよね。だから、愛されていないと知った時は悲しかったけれど感謝してるよ。僕を支え続けてくれて、ありがとう」


 ずっと考え続けていた言葉を父さんに伝えたら、胸の中に抱えてきたわだかまりがスーっと溶けていったような気がします。

 父さんは、僕の言葉を聞いて呆気に取られたような表情を浮かべた後で、ガックリと俯きました。


「私は、つくづく駄目な父親だな……」

「父さん……?」

「私は会社という組織の中では、それなりの地位まで出世してきたから、色んな部下を見て来た。最近の新入社員の中には、ちょっと自分の意に沿わぬ仕事を振られたり、注意をされるだけでヘソを曲げてしまう者が少なからずいる。大学を卒業して、とっくに成人しているのにまるで子供だ。そうした者達は、普段の態度や表情にも幼さが透けてみえる。逆に、若くても苦労を重ねてきた者は、大人としての振る舞いが身に付いている。私の目には、健人はもう大人に見えるよ」

「そう、かな……こっちに来てから色々あったからね」

「本来なら、父親というものは子供の成長を見守っていくものなのだろう。だが私は、幼かった頃しか知らず、成長した姿に驚いているばかりで、何も教えず、導けず……本当に駄目な父親だ」


 ガックリと項垂れた父さんに、なんて言葉を掛ければ良いのか分かりませんでした。


「僕が……僕が成長できたのは、こっちの世界に来て、たくさんの人と知り合って、色んな事を教えてもらい、時には怒られたり、助けたり、助けられたりしてきたからだと思う。この後、僕が苦しい時に支えてくれた人、一緒に戦った人、愛した人達を紹介するから、みんなから話を聞いてみて。父さんの見ていない所で、僕がどんなふうに生きてきたのか」

「あぁ、そうだな。そうさせてもらうよ。でも、私は健人からも聞かせてもらいたい。こちらの世界で、どんな冒険をしてきたのか聞かせてほしい」

「うん、そうだね。僕らはキチンと向き合って、話をしないといけないんだよね」

「そうだな、その通りだ」


 ほろ苦い笑みを浮かべた父さんは、かつての怖い人ではなくて、ちゃんと血の通ったオジサンに見えます。

 こちらの世界に来てから、領主様や王女様、ギルドマスターや元Sランク冒険者、皇帝陛下や皇女様、何人もの貴族の当主と接して来たおかげで、過去のトラウマを払拭できたみたいです。


「じゃあ、そろそろ家に案内するよ。あんまりノンビリしていると唯香に怒られちゃうから」

「なんだ、もう尻に敷かれてるのか?」

「もうじゃないよ、最初からだよ。それに、僕みたいなトンデモな能力を持ってる人間は、亭主関白じゃ駄目なんだ」

「そうか、それもそうだな」


 父さんには意図して尻に敷かれているみたいに言ったけど、実際は意図しなくても尻に敷かれてるんだけどね。

 父さんには、領主様と皇帝陛下のお相手も頼むとしましょう。

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