第718話 カミラの故郷
※今回はカミラ目線の話になります。
夕刻に到着したグライスナー邸では、当主のゼファロスと嫡男のウォルターが出迎えてくれた。
「ようこそいらっしゃいました、カミラ様」
「カミラ様、ご成婚おめでとうございます」
「ありがとう、今宵は世話になります」
私の輿入れの一行は、バルシャニアの皇女セラフィマがケント様に輿入れした時と同じく騎士百騎が護衛として同行している。
これだけの人数を受け入れるには相応の宿舎が必要だが、セラフィマという前例があったおかげか、ここまで大きな問題も無く進んで来られた。
今宵はグライスナー邸に宿泊し、明朝は夜明けと共に出発してラストックを通り抜け、魔の森にある野営地で一晩過ごす予定だ。
本音を言えば、ラストックに滞在して復興の状況なども確かめておきたいのだが、水害から立ち直る途上に騎士百人を受け入れるのは大きな負担となるはずだ。
嵐による水害によって、ラストックの殆どの建物が流失したと聞いて、心臓が止まるかと思った。
ラストックは、私が本当の意味で王族となった場所であり、ケント様と出会った大切な場所でもある。
住民とも言葉を交わし、とても近しい関係にあっただけに、建物は流失したが人的な被害は殆ど無かったと聞いた時には、心底ほっとした。
グライスナー邸での夕食でも、話題は殆どがラストックに関するものばかりだった。
「カミラ様、ラストックを素通りされてしまってよろしいのですか?」
「出来ることなら新しい町並みを眺めていきたいのだが、まだ駐屯地には多くの避難民が暮らしているはずだ。そこに騎士百人が加われば、住民の負担が大きくなってしまうだろう」
「確かに負担でしょうが、住民はカミラ様がおいでになるのを心待ちにしておりますぞ」
「だが、ケント様やヴォルザードの者を待たせる訳には……」
「このような行列の日程がズレるのは、ままあることです。それに、うちのヴィンセントが腐心して作り上げた新しい町並みを御覧になっていってくだされ」
現在、ラストックの街はグライスナー家の次男ヴィンセントが治めている。
「今回の水害でも、いち早く避難を行い住民の命を守った手腕は見事でした」
「いやいや、あの避難計画はカミラ様がラストックにいらした頃に作られたと聞いております。ヴィンセントはそれを活用させていただいたまでです」
「あの避難計画だが、実はケント様のご指示で作成したものなのだ」
「なんと……魔王様は、そのような所にまで目を向けていらしたのですか」
「ラストックがミノタウロスの大軍に襲われた時に、ラストックの駐屯地を砦に作り変え、住民の避難計画を作るように命じられたのだ」
「それでは、今回の避難計画は、その時に作られたものなのですね」
「見直しはされているはずだが、基となっているのは当時のものだろう。だが、いくら避難計画があったとしても、避難を命じなければ意味はない。その決断を下せたヴィンセント殿の手腕は評価されるべきです」
「カミラ様にそこまで言っていただけると、親としても鼻が高いですな」
息子の働きが評価され、ゼファロスは相好を崩したが、逆にウォルターは不満そうな表情を浮かべている。
弟ばかりが評価されているのが面白くないといったところだろうが、侯爵家の次期当主としては少々考えが偏狭ではなかろうか。
「今回、ラストックの復興が順調に進んでいる背景には、表には出ないウォルター殿の下支えがあってこそでしょう。これからも、ヴィンセント殿を兄として、次期当主として支えてください」
「はっ! かしこまりました。流石はカミラ様、見えない影の部分の重要性を良くご存じですな」
今度はウォルターが笑みを浮かべ、ゼファロスが苦笑いを浮かべている。
少し褒めた程度で調子に乗るようでは、ゼファロスが不満に思うのも無理はないのだろう。
夕食後、ハルトに使いを頼んで、ケント様に日程の変更をご相談した。
グライスナー領からヴォルザードまで、普通なら使いを出すだけでも数日を用するのに、ハルトが影に潜ったと思ったら、入れ替わるようにケント様がいらした。
「こんばんは、カミラ」
「ケント様、わざわざ御足労いただき、ありがとうございます」
「やっぱり、ラストックには立ち寄っていくんだね。大丈夫だよ、最初からそのつもりでいたから」
「申し訳ございません、私の我儘で……」
「ううん、ラストックはカミラにとって思い出深い街なんでしょ。折角通るのだから、ゆっくり新しい街並みを見ておいで」
「はい、ありがとうございます」
ケント様はハルトを撫でながら、ここまでの道中について訊ねられ、少し話をすると私をギュッと抱き締めて、口付けを交わしてから影に潜って帰っていかれた。
ヴォルザードへ輿入れすれば、ラストックまでは馬車で二日の距離だ。
リーゼンブルグの王都アルダロスよりも、むしろ距離的には近くなる。
それでも、国を出て輿入れする前に、思い出の地に別れを告げる機会を得られたのは幸運だ。
翌日、本来の予定であれば夜明けと共に出立するはずだったが、出立の時間も遅くした。
これから出立しても、昼前にはラストックに到着できるはずだ。
今はグライスナー領に組み込まれているが、かつてラストックは王家の直轄地だった。
領地を分ける林を抜けると、馬車の外には刈り入れが終わった麦畑が広がっていた。
この時期、既に麦の収穫は終わっているので、水害による被害は限定的で済んだようだ。
ただし、そう思っていられたのは、林を抜けてから少しの間だけだった。
ラストックの街が近付くほどに、麦畑は土砂で埋まっていた。
土砂だけでなく、人がやっと抱えられる程の大きな岩が畑に転がっていた。
土砂に埋もれた畑では、住民達が岩や流木などを掘り起こしていた。
晩秋の種まきに間に合わせるために、皆必死の様子だったが、我々が通り掛かると両手を振って呼び掛けてきた。
「カミラ様、おめでとうございます!」
「カミラ様ぁ!」
「おかえりなさい、カミラ様!」
ラストックが酷い水害に遭ったと聞いた時、一日でも早く訪れて住民を励ましたかったが、表舞台から退いた自分が出て行っては、現場が混乱すると思ったのだ。
大きな困難に直面している時に、姿すら見せない私をラストックの者達は冷たい女だ思われていると勝手に思い込んでいたので、この歓迎ぶりにはジーンとしてしまった。
「馬車を停めてくれ」
「いかがなされましたか?」
「ここから駐屯地までは、御者台に座っていく」
「えっ……しかし、カミラ様のお召し物では……」
「いいから停めてくれ」
馬車が停まるのを待ってキャビンから外に出ると、住民達が歓声を上げて駆け寄ってきた。
「カミラ様!」
「皆、よく無事でいてくれた! 見舞いに来るのが遅くなってすまなかったな」
「カミラ様、畑が泥で埋まっちまったけど、種撒きには間に合わせますぜ」
「無理して体を壊さぬように、しっかり休息もとるのだぞ」
顔馴染みの住民たちと話をしていると、まるで時計の針を戻したような錯覚に捉われる。
何人もの住民から、おかえりなさいと言われる度に、嬉しくて涙が零れそうになった。
ここが、ラストックこそが、私の故郷なのだ。
御者台に上がり、住民達に手を振り、言葉を掛けながら進んでいくと。
突然、教会の鐘の音が聞こえてきた。
まだ昼には早いはずだが……。
鐘が鳴った理由は、すぐに分かった。
住民達が、復興作業の手を止めて、沿道に集まって来ていた。
「おかえりなさい、カミラ様!」
「おめでとうございます、カミラ様!」
皆が、私の名前を大きな声で呼び、満面の笑みで手を振ってくれる。
ラストックまでの道中でも、各地で歓迎を受けたが、これほどまでに温かな気持ちにさせられたのは初めてだった。
住民達の笑顔が涙で滲む。
ここラストックで、私は少しでも国を良くしようと足掻き、大きな過ちも犯した。
それでも、皆に笑顔で出迎えられて、足掻いてきて良かったと心から思った。
この笑顔こそが、国の宝なのだと改めて気付かされた。
泥に埋もれた畑の先に見えて来たのは、私の知らない新しいラストックの街並みだったが、沿道で力一杯手を振っているのは、私の良く知る住民達だった。
まだ、街並みはあちこちが未完成だが、既に営業を開始している店も見える。
災害によって苦しい状況に追い込まれながらも、笑顔を忘れない人々からは、立ち上がる力強さが感じられた。
きっと、この街は生まれ変わり、かつてのラストック以上の発展を遂げるであろう。
その時には、ケント様の許しを得て帰って来よう。
出来れば、我が子を胸に抱いて……。
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