第715話 サチコがいない日々
※今回はメイサちゃん目線の話です。
「お母さん、やっぱり学校休んだ方が良くない?」
「何言ってんだい、大丈夫だから行って来な」
「でも、お昼の営業どうすんの?」
「ミリエが手伝ってくれるから大丈夫だよ」
「それが心配なんだけど……」
「いいから、さっさとお行き!」
「は~い……」
うちの食堂で働いているサチコが、昨日の晩に赤ちゃんを産んだ。
母子共に健康ですって、さっきケントが知らせに来た。
健康だけど、さすがに子供を産んだばかりでは働けない。
うちのお母さんは、あたしを産んでから、三日後には店を開けたとか言ってるけど、普通の人には無理だろう。
お母さんも、当分の間はサチコ抜きで営業すると言っている。
サチコが休むのは当然として、問題はサチコが抜けた穴をどうやって埋めるかだ。
学校が休みの日には、あたしもお昼の営業を手伝っているけど、サチコの手際の良さには驚かされてばかりだ。
うちの食堂では、お昼のメニューは三種類のセットメニューのみで営業している。
おかずの中身を変えるけど、副食材は一緒だから作る手間も省けるし、お客さんを待たせないで済む。
キリの良い値段も同じだから、会計の計算をするのも楽だ。
お客さんを待たせないから、今までよりも多くのお客さんに対応できるし、当然売り上げも上がっている。
同じ時間の中で、それまでよりも多くのお客さんを捌くのだから、当然忙しいはずなんだけど、サチコは笑顔を絶やさずに対応している。
食堂の仕事だったら、あたしの方が経験は豊富なはず……なんだけど、色んな知識や発想力でサチコは何枚も上をいっている感じだ。
お客さんをあしらうのも上手くて、お母さんの若い頃って、サチコみたいだったのでは……って思ってしまうほどだ。
今やサチコは、食堂の昼の看板だ。
そのサチコの代わりにミリエが店を手伝うって……不安しかないんだけど……。
ミリエは、ケントの後にうちで下宿を始めた、マールブルグ出身の駆け出し冒険者で、言っちゃ悪いけどかなりのポンコツだ。
うちに来たばかりの頃は、芋の皮も満足に剝けなかったし、洗い物をすればお皿を割るし、給仕なんて危なっかしくて任せられなかった。
なにしろ、木剣で素振りしただけで腰を痛めて動けなくなっていたのだ。
ケントもうちに来た頃は、すっごく頼りなく見えたけど、今はみんなから頼られて、ちょっと格好いい……じゃなくって、今はミリエだ。
「うーん……大丈夫かなぁ、手伝うどころか仕事増やすんじゃないかなぁ……」
「おっはよう、メイサちゃん! サチコさん、赤ちゃん産まれたって……どうしたの? 浮かない顔して」
「おはよう、ミオ。サチコが元気な赤ちゃんを産んだのは良いのよ、めでたいのよ。でもね、うちの店が大ピンチなんだよ」
「あぁ、サチコさんがお休みだから?」
「そう! お母さん、サチコの代わりにミリエに手伝ってもらうなんて、無謀なことを言ってるんだよ」
「えっ、代わりの人がいるならいいじゃん」
「代わりの人がミリエじゃなかったら、少しは安心なんだけど……」
ミリエのポンコツぶりを話すと、ミオもあたしの不安を分かってくれたみたいだ。
「という訳で、しばらくミオとは遊べない……というか、今日の具合によっては学校も休むようになるかもしれない」
「そうなんだ、大変だね」
「でも、食堂の仕事は好きだから、大変だけど嫌じゃないんだ」
「そうなんだ、なんかいいね。大好きな事があるのって、すごくいいと思う」
「うん、だから学校休むことになっても、別に辛くはないんだ」
そうそう、学校で算術の授業を受けてるよりも、お店を手伝っていた方が楽しいもんね。
「でも、それって学校来るのが面倒なんじゃないの?」
「ち、違うよ。そんな訳ないじゃん……」
「そういえば、算術の宿題やった?」
「あっ、忘れてた。ミオ様、見せて。お願い!」
「もう、またぁ?」
「だって、昨日はサチコの赤ちゃんが生まれそうだって言われて、宿題なんて覚えてられないよ」
本当は覚えていたけど、サチコが心配でやる気にならなかったのだ。
「もぅ、しょうがないなぁ……メイサちゃんは算術が嫌だから、お店の仕事に逃げてるんじゃないの?」
「そ、そんな事はないよ。だって、算術できなかったらお店なんてやっていけないじゃん」
「だったら、ちゃんと宿題やらなきゃ駄目じゃん」
「やるよ、昨日はたまたま忘れただけだって」
「どうだか……怪しいなぁ……」
「ミオ様、お願い……」
「もう、しょうがないなぁ……」
ミオはケントと同じくニホンで生まれ育ったから、ヴォルザードで教わっているよりも難しい算術を習っていた。
クラスの誰よりも算術が得意だし、答えを間違ったのを見たことがない。
あたし達が習っている算術なんて、ちょちょいのちょいで解けちゃうんだから、宿題ぐらい見せてくれたっていいと思うんだけどな。
ミオを拝み倒して宿題を見せてもらったので、今日の算術の授業は大丈夫だろう。
お店の心配をしつつ、算術の授業で冷や汗を流しつつ、何とか今日の授業を終えた。
担任の先生には家の事情を話して、もしかしたら明日から休ませてもらうかもしれないと言っておいた。
「ミオ、またね!」
「うん、またね、メイサちゃん」
今日のあたしには、ミオとルジェクのバカップルに付き合っている時間は無い。
店の仕事とミリエの世話で、ヘトヘトになっているはずのお母さんを助けなければならないのだ。
「お母さん、ただいま! 大丈夫だった? お皿買いに行ってくる?」
「なんだい、なんだい、騒がしい子だねぇ。なんでお皿を買う必要があるってんだい」
「いや、だってミリエが手伝ったら、パリーン……パリーン……って感じで」
「何時の話をしてるんだい。言っとくけど、ミリエは一枚もお皿は割ってないよ」
「嘘っ!」
「あんたねぇ……ミリエだっていつまでも昔のままじゃないんだよ」
「はい、ミドリお姉様に鍛えられましたから」
お母さんとミリエの話によれば、お姉様と慕うミドリさんの指導によって、ミリエのポンコツぶりは矯正されたらしい。
ミドリさんは、いったいどんな魔法を使ったのだろう。
「まぁ、サチコみたいにお客をあしらうのは無理だけど、給仕もお勘定も何の問題も無かったよ」
「じゃあ、算術の宿題も……」
「それは無理です。ご自分でやって下さい」
食堂の仕事はこなせるようになったらしいが、算術のポンコツぶりは相変わらずのようだ。
それでも昼の営業を問題無く終わらせられたのは、セットメニューと計算表をサチコが用意してくれていたからだろう。
「という訳だから、あんたは心配せずに明日も学校に行っておいで」
「は~い……」
「夜の仕事は手伝ってもらうから、今のうちに宿題を済ませちまいなよ」
「分かってるよ」
宿題なんて、ミオに見せてもらえば……なんて思い掛けたけど、ミリエが成長しているのに、あたしが全然成長していなかったら、マズいだろう。
サチコの子供を見に行くのは、お店が休みの闇の曜日までお預けだ。
うんうん唸りながら算術の宿題を片付けて、夜の営業の仕込みを手伝った。
夜はお酒も出しているので、昔は酔っぱらいが暴れてお母さんも苦労したらしいけど、今は暴れるお客さんは殆どいない。
理由は、うちがケント縁の店だと知られているからだ。
実際、酔っぱらって暴れていた冒険者をラインハルトのおじちゃんが店の外に摘まみ出してくれた事があった。
ロックオーガすら簡単に倒してしまうスケルトンが影から見守っていると知れ渡り、それ以来、酔って暴れる人はいなくなった。
酔っぱらいが暴れそうになると、周りにいるお客が止めに入るようになった。
Sランクの冒険者なんて怖くも何ともない……なんて息巻いていたオッサンも、ラインハルトやゼータ達の存在を知ると震え上がって大人しくなった。
酔っぱらいが暴れる事が少なくなると、女性同士や子供連れのお客さんが増えた。
ケントはうちから引っ越してしまったけど、今でもケントに守られている。
「メイサ、営業を始めるから、表を開けておくれ」
「分かった……って、もう並んでるよ」
「サチコの噂が伝わったのかもね。さぁ、忙しくなるよ」
開店を待っていた常連さんは、店に入ってくるなりサチコのことを訊ねてきた。
「サチコちゃんはどうした? もう生まれたんだろう?」
「母子ともに健康だよ」
「そいつは良かった。で、男、女、どっちだったんだ?」
「女の子だって」
「それじゃあ、母親に似て美人に育ちそうだな」
それを言ったら、あたしはお母さんみたいに恰幅の良い大人になっちゃうじゃない。
ケントは、胸の大きな女の人が好きだけど、お腹まで出てるのは駄目だよね。
うちのお母さん、あんなに働いているのに、なんで痩せないんだろう。
あたしもお母さんの血を引いているんだから気を付けよう。
この日の夜の営業は、いつもより少しお客さんが多かったけれど、特に問題も起こらずに営業を終えられた。
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