第713話 母の顔
「動物園のゴリラじゃあるまいし、鬱陶しいからウロウロしてんじゃねぇよ!」
「うっさいなぁ、心配なんだから仕方ないだろう」
シェアハウスに戻った綿貫さんが、本格的に産気づいたのは夕方ぐらいからでした。
それから日が暮れて、夕食時も過ぎて、そろそろ街は眠りに就こうかという時間ですが、まだ子供は生まれて来ません。
唯香とマノンが綿貫さんの部屋に詰めていますし、お産の経験があるフローチェさん、シーリアさん親子もいますから、僕の出る幕は無く、八木の部屋でウロウロしています。
「別に、国分の子供じゃないんだし、お前の嫁も付き添っているんだから大丈夫だろう」
「そうなんだけどさ、それでも心配は心配なんだよ」
「てか、俺様への支払い準備でもしとけよ。もう軽く五千件は超えてるからな」
「別に八木への支払いが滞るようなことは無いから心配なんか要らないよ。ていうか、そんなに書き込みがあるの?」
「あるな……てか、煽られて意固地になってる感じがするな」
現在進行形で、ネット上の綿貫さんに関する悪質な書き込みを八木にチェックしてもらっていますが、警告を繰り返しても書き込みを止めない人物がいるようです。
「あれっ、こっちの書き込みは綿貫さんを擁護する書き込みだね」
「おぅ、綿貫を応援している連中が結構いるからな」
「それって、やっぱり僕らの同級生だよね?」
「そうだな、てか、この書き込みのノリとか見てると凸凹じゃねぇかと思うんだが……」
「ほうほう、懐かしい名前が出て来たね」
凸凹シスターズこと小林智子と桜井朱美は、てっきりこちらに残るかと思いきや、意外にもあっさりと日本に戻りました。
あれから全然連絡を取っていませんけど、元気にしてる……でしょうね、あの二人なら。
「八木は凸凹シスターズと連絡取り合ってるの?」
「なんでだよ、国分に勝るとも劣らない鬼畜な連中と、なんでわざわざ連絡を取る必要があるってんだ。連絡しても不愉快な思いするだけじゃねぇか」
「まぁまぁ、八木の場合はそうだよね」
「そういう国分はどうなんだよ。連絡してんのか?」
「いや、日本に戻った人とは連絡は取ってないよ。こっちの事だけで手一杯だしね」
「とか言って、連絡取り合うほど仲の良い奴がいないだけだろう?」
「ば、馬鹿言ってんじゃないよ。僕は、みんなを日本に帰した功労者だよ。仲の良い友達の一人や二人いるに決まってるだろう」
「ふっ……それだけの功績がありながら、仲の良い友達を十人、百人単位で数えず、一人二人と言ってる時点でボッチ確定だな」
「ぐぅ、八木のくせに生意気な……てか、それホントに凸凹シスターズの書き込みなの?」
「さぁな、でも、それっぽくね?」
「んー……そう言われると、確かにそんな感じはするね」
綿貫さんの一時期の乱行ぶりや、生まれてくる子供の父親が分からないことなどを揶揄する書き込みに対して、その書き込みは毅然と反論を展開しています。
文字になっているので、口調までは分かりませんが、確かに凸凹シスターズの桜井さんを連想させます。
「てかさ、これって僕らの同級生がネット上で揉めてるみたいじゃん」
「みたいじゃなくて、そのものじゃねぇの? こっちの煽りコメントとかは事情知らなそうだけど、召喚後の様子とか書いてる奴は同級生だろう」
「だよねぇ……てか、男子 vs 女子みたいになってない?」
「そらなるだろうよ。男子の中には綿貫と関係を持ったのが何人もいるんだし、ネット上でそいつらは吊るし上げ食らってんだから」
八木の話によれば、誰が綿貫さんと関係を持ったのか実名がリークされて、名指しで吊るし上げが行われたそうです。
別に合意の上だったんだから問題無いはずだという主張に、年齢を考えれば止めるのが当たり前だといった反論が書き込まれ、形勢として男子が不利という感じのようです。
「もしかして、その吊るし上げが綿貫さんへの誹謗中傷の原因だったりするの?」
「さぁな、そこまでは分からねぇよ。それこそ、卵が先か、鶏が先かみたいなもんだろう」
「ぶっちゃけ、この手の書き込みをするのは前島ぐらいのものかと思ってたけど……」
「どうだろうな、俺が前島だったら参戦しないぜ。どうやっても不利だからな」
「そんなもんかな?」
「おぅ、綿貫の件もあるけど、日本に戻った直後に国分にぶっ飛ばされた男って、一時期話題になってたらしいぜ」
綿貫さんの気持ちに寄り添おうともしなかった前島の言動にキレて、練馬駐屯地に送還した直後にぶん殴っちゃったんですよね。
「あれは……ちょっと腹に据えかねたというか……」
「国分が殴った場面が色々尾ひれが付いて話題になって、けっこう叩かれたみたいだからな、のこのこ出てくれば炎上するだけだって分かってんじゃねぇの?」
「なるほど……」
前島とは、あれっきりですし、謝罪も和解もしていないので、てっきり綿貫さんを誹謗する書き込みは奴の仕業じゃないかと思っていましたが、どうも違うようですね。
「国分、書き込みが前島の仕業だったら、徹底的に追い込むつもりだったんだろう?」
「そこまでは……いや、考えてたかな。でも、名誉棄損って本人が訴えないと駄目なんでしょ? 綿貫さんは訴えるとは言わないと思うから、たぶん八木の努力は無駄になると思う……」
「おい、ちょっと待て、まさか金払わないとか言い出すつもりじゃねぇだろうな」
「そんなことは言わないよ。八木にやってもらってるのも、最初から念のため程度のつもりだけど、ちゃんと働いた分は払うよ」
「そうか、そんなら良いけどよ」
ふっと、八木との話が途切れた直後、部屋の外が騒がしくなりました。
「頭見えてきたよ、頑張って!」
「いきんで、思いっきり!」
「うぅぅあぁぁぁ……」
唯香達が励ます声の間から、綿貫さんの苦しそうな声が聞こえてきます。
「おぅ、そろそろじゃないか?」
「みたいだね……」
壁を数枚隔てた向こうで、綿貫さんが命懸けで頑張っているのに、何もできないのが歯がゆく感じてしまいます。
「ウロウロしないで、お前の嫁に任せておけよ」
「分かってるよ」
「いいや、分かってないな」
「なんでだよ。僕は唯香もマノンも頼りにしているよ」
「そういう意味じゃねぇよ」
「じゃあ、どういう意味だよ」
「小惑星の軌道を変える時には、ブースターまで使ってヘロヘロになるまで一人で作業してたんだよな? その時、お前の嫁は、今のお前と同じように無力感を覚えてたんじゃないのか?」
「それは……そうかも」
確かに言われてみれば、いつもは僕が僕にしか出来ないから……みたいな感じで、唯香達に心配を掛けています。
今日は唯香とマノンにしか出来ない仕事をやってもらっているのですから、僕は二人を信じて待つしかありません。
「サチコ、頑張って!」
「もう頭出てくるよ、あと少しだよ!」
「あぁぁあぁぁぁぁ……」
頑張れ、頑張って、もう僕には祈ることしか出来ません。
手を組んで額に押し当てて、ひたすら頑張れ、頑張れと祈り続けました。
わぁっと歓声が上がった直後、元気な産声が響いてきました。
「よしっ! よし、よし、よしっ!」
「やったな!」
両手で拳を握ってガッツポーズを繰り返した後、八木と力一杯ハイタッチを交わしました。
廊下の向こうからは、元気な泣き声が続いています。
出来ることなら、ダッシュでお祝いに行きたいところですが、入室許可が下りるまではジッと我慢するしかありません。
付き添っていた本宮さんが、満面の笑みで知らせに来てくれました。
「母子ともに無事に生まれたよ。元気な女の子だよ」
「綿貫さんも大丈夫なんだね?」
「うん、さすがに疲れてるけど、今の所は問題なさそう」
「良かった、本当に良かった」
唯香とマノンは、シーリアさんのお産に立ち会った後、もっと経験を積みたいと産婆さんに頼んで、何度もお産の立ち合いをしてきたそうです。
今回も産婆さんには来てもらっているそうですが、産後の処置は唯香達が担当すると言っていましたが、
本宮さんが知らせに来てから三十分ほど経って、ようやく入室の許可が下りました。
部屋に入ると、布団に横たわった綿貫さんの隣りに、お包みされた赤ちゃんがスヤスヤと眠っています。
「おめでとう、綿貫さん」
「ありがとう……今まで生きてきた人生で一番頑張ったよ」
「お疲れ様」
「うん、さすがに疲れたけど、晴れ晴れしたいい気分。どう、あたしに似て可愛いでしょ」
僕から赤ん坊に視線を移して、ふわっと微笑んだ綿貫さんは母の顔をしています。
その表情を見た途端、涙腺が崩壊してダバーっと涙が溢れてしまいました。
「おいおい、どうした国分」
「守るよ……赤ちゃんも綿貫さんも、僕が守る」
「国分……いいのか? 唯香が冷や冷やしてるぞ」
「えっ? あー……んー……何だろう、でも、凄く愛おしいって思っちゃったんだ」
子供を見守る綿貫さんの姿を見たら、僕の中で何かのスイッチがカチっと入ったみたいに、この二人は絶対に守るんだと決意してしまいました。
でも、言われた綿貫さんは、僕の変なテンションに戸惑っているみたいです。
「だよな、あたしも産むまでは不安だったけど、今はこの子が愛おしくて仕方ない。この子のためだったら命だって投げ出せるよ。いや……だから泣くなよ、国分」
「うん、無理! シーリアさんの時にも立ち会ったのに、なんでかなぁ……」
「ありがとな。国分が支えてくれるなら安心だよ。はぁ……でも疲れた、ちょっと休む」
「うん、ゆっくり休んで」
僕がウロウロしていると綿貫さんが休めそうもないので、早々に部屋から退散しました。
廊下に出て、このまま家に戻ろうかと闇の盾を出したところで、追い掛けてきた唯香に声を掛けられました。
「健人、早智子もお嫁さんにするの?」
「分からない。なんていうか、子供と一緒の姿を見てたら、守らなきゃ……って思ったんだ」
「そっか……分かった。私はもう少し付き添っているね」
「うん、家に戻る時は呼んで、迎えに来るから」
「分かった……」
すっと目を閉じた唯香をギュッとして、チュってしてから家に戻りました。
確かに、今になって思い返してみると、さっきの一言はプロポーズみたいでしたね。
うん、ちょっと頭を冷やした方が良さそうです。
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