第712話 裏プロジェクトW

 コボルト隊から綿貫さんの出産が近いという連絡を受けて、急いで自宅に戻ってシャワーを浴びて着替えてからシェアハウスへと駆け付けました。

 とは言っても、僕は出産の手伝いは出来ないんですけどね。


 産婦人科の病院に入院して出産する日本とは違って、ヴォルザードは殆どが自宅での出産となります。

 綿貫さんも出産の準備を進めていたそうで、部屋も出産用に模様替えを終えてあるそうです。


 でもって、当の綿貫さんですが、まだまだ余裕そうな表情をしていました。


「よう、国分も来たのかよ」

「あれっ、なんか全然いつも通りみたいだけど……」

「あぁ、さっきまでは、もう産まれる……みたいな感じだったけど、今は収まってる感じ」

「長丁場になるみたいだから、頑張って」

「おぅ、元気な子を産んでみせるぜ」


 日本では陣痛を促進する薬とかを使ったりするそうですが、ヴォルザードでは完全自然分娩です。

 加えて、綿貫さんは初産ですから結構時間が掛かるようです。


 鷹山の嫁、シーリアさんの場合も半日以上掛かりましたし、逆子だったので最終的には帝王切開することになりました。

 逆子でなかったとしても、これから半日ぐらいは産みの苦しみが続くのでしょう。


 うん、母は強し……ですね。

 それに比べて、僕ら男性というのは出産の現場では、産婦人科医でもなければ殆ど役立たずです。


 でもね、僕らにも出来ることはあるんですよ。

 綿貫さんにエールを送った後、綿貫さんの部屋を出て、とある一室のドアをノックしました。


「国分だけど、入ってもいいかな?」

「おぉ、入ってくれ……」


 夏なので、風を通すために部屋の扉は開けっ放しになっています。

 部屋の中では、短パンTシャツ姿、タオルを鉢巻にして団扇片手にパソコンに向かう八木の姿があります。


「調子はどう?」

「まったく、うんざりするぜ。検索かけて探しているから目に入るってのもあるんだろうが、よくもこんなに悪意が続くものだと呆れるな」

「抑止のためのテンプレ文章は貼り付けてるんだよね?」

「おう、当然やってるぞ。効果があるんだか、無いんだか微妙だがな」

「約束通りに報酬は払うから、徹底的にやってよ」

「任せろ、徹底的にやってやっから、その代わりボーナス弾めよな」

「それは八木の手腕次第だよ。たまには格好良いところ見せてよ」

「失礼な、俺様はいつだって格好いいんだよ……ほい、ペーストして送信」


 カチャカチャとキーボードを操作する八木を暫し見守った後で、邪魔になりそうなのでリビングに戻ることにした。


「そんじゃ、八木、頼んだよ」

「おぅ、任せとけ……」

「あと、くれぐれも……」

「綿貫には内緒だろ……分かってる」


 八木は画面に見入ったまま、ヒラヒラと手を振って僕を追い払いました。

 普段だったら一発しばいているところですが、今は邪魔になるので何もしませんよ。


 えぇ、今はね……。




 話は疫病騒動が始まる前に遡ります。

 僕は、とある仕事を頼むべく、コボルト隊に八木を探してもらいました。


「いた、いた、ヤギだ」

「ヤギだねぇ」

「この声は……国分の所のコボルト! てか山羊じゃねぇ、八木だ!」

「わふわふ、遊んでほしそうだね」

「ば、馬鹿言ってんじゃねぇ、俺様は忙しいんだからな! てか、お前らなんかと遊びたくねぇし、お前らが俺をオモチャにして遊びたいだけだろう!」

「わふわふ、そんなに遊びたいなら、遊んであげようか?」

「だから、遊ばねぇって言ってんだろう! まったく、鬼畜な飼い主に似やがって……」


 いやいや、いつもながら八木はコボルト隊に大人気ですねぇ。

 でも、今日はちょっと用事があるから遊ぶのは今度にしてもらいましょう。


 八木はシェアハウスのリビングで、何やらノートに書き込みをしていました。

 暇そうだから仕事を頼むのには丁度良さそうです。


「誰が鬼畜だって?」

「はぁ? お前だ、お・ま・え! ちっとは自覚しやがれ」

「八木、暇だよね?」

「お前なぁ、そういう所だぞ! てか、俺様はレンタサイクル事業の拡大のために忙しい日々を送ってるんだ。お前らなんかと遊んでいる暇なんかねぇんだよ」

「そっかぁ……金になる仕事があるんだけど……」

「なんでございましょうか、国分様。御用件をお伺いいたします」


 金になると聞いた瞬間の変わり身の早さは、さすが八木って感じしますよね。


「えーっとねぇ、ネットの書き込みを監視してもらいたいんだ」

「ネットの書き込み? お前の悪評なんて今更だろう」

「まぁ、それについてはその通りなんだけどね。今日頼みたいのは、僕に関する書き込みじゃないんだ」

「ほぅ、誰だ? 浅川さんか?」

「綿貫さん」

「綿貫? あいつの書き込みが増えてるのか?」

「うん、なんだか嫌な書き込みを見つけちゃってね」


 といっても、書き込みを見つけたのはタブレットで遊んでいたミルトでした。

 僕に関する書き込みを探している時に偶然目にして、どうしたらこいつらやっつけられるのかと僕に聞いてきたのです。


「どれどれ……おぅ、これは確かに酷ぇな」

「でしょ? ってか、これは間違いなく同級生だよね?」

「だな、綿貫が自棄になっていた頃の事情を知ってるんだから、こっちに来ていた連中だろうな」


 綿貫さんはラストックの収容所でリーゼンブルグの兵士から性的暴行を受け、自棄になって不特定多数の男性と関係を持っていました。

 どこから綿貫さんの出産が近いという話が伝わったのか分かりませんが、ネット上に綿貫さん自身と、これから生まれて来る子供を誹謗中傷する書き込みが複数見つかりました。


 確かに、綿貫さんが複数の男性と関係を持ったのは事実ですし、生まれて来る子供の父親が誰か分からないのも事実です。

 ですが、それをネット上で誹謗中傷する権利なんか誰にも無いはずです。


「ネット上から、この手の書き込みを一掃するのは難しいと分かってるけど、これから出産、育児をしなければならない綿貫さんには、可能な限り目にしなくて済むようにしてあげたいんだ」

「そうだな、今の綿貫を知らない連中が面白半分にやっていい事じゃないし、ハッキリ言って胸糞が悪いな」

「そこで僕から八木への依頼なんだけど、綿貫さんに関する誹謗中傷の証拠固めをしてもらいたい」

「スクショでいいのか?」

「そこは任せるけど、後で開示請求が出来るようにして」

「いいぜ、報酬は?」

「一件あたり一ヘルトでどう?」

「一ヘルトだぁ? 安すぎだろう」

「そう? 動画投稿サイトとか、小説投稿サイトだと、一PVで何銭、何十銭じゃないの?」

「まぁ、そうだけど……」

「一件十円程度だと、百倍とかだよ」

「お、おぅ、それもそうか……」

「それと、掲示板などの書き込みに対しては、警告の書き込みをしてもらいたい。テンプレの文章を作ってコピペするだけで良いから、それもやったら更に一ヘルト付けるよ」

「マジか、てことは一件二十円、一万件やれば二十万ってことか?」

「八木なら、一ヶ月でその十倍ぐらいはいけるんじゃない?」

「おぉ、やってやらぁ! 月給二百万か……悪くねぇな」


 八木は、捕らぬ狸の皮算用を始めたけれど、一万件なんて飽きっぽい八木がやり遂げられるかどうか……。



 なんてことがあってから一週間以上、八木にしてはまともに仕事に取り組んでいたようです。

 八木の部屋を出て、階段を降りてリビングへと行くと、綿貫さんが濡れた髪を拭きながら風呂場から戻ってきたところでした。


「えっ、シャワー浴びてたの?」

「おぅ、長丁場になるから、汗を流して清潔にしとけって言われてな」

「そうなんだ」

「国分もこれからパパになるんだから、よく覚えておけよ」

「そうだね。でも自分の子どもの時には右往左往する自信があるよ」

「あははは……なんなら後学のために見学……あ痛たたた、また来たか」

「大丈夫? 肩貸すよ」

「悪いな……これが、あと何時間も続くのか……早くスポーンと産んじゃいたいな」

「男の僕には分からないけど、万全の体制でバックアップするから安心して」

「ん……任せた」


 綿貫さんを部屋まで送っていくと、付き添っていたフローチェさんの姿がありません。


「あれっ? フローチェさんは?」

「あぁ、まだお産には時間が掛かるから、今のうちにみんなの食事を用意しちゃうって」


 フローチェさんは、シェアハウスのお母さん的存在で、みんなから食費を預かって食事の支度をしてくれています。


「そっか、唯香達もまだなのか……」

「治癒院に患者さんがいるんだろう。そんなに慌てなくても大丈夫だよ」

「なんだか落ち着かなくて……って、逆だよね。綿貫さんが落ち着いていて、僕が落ち着かなくて……」

「だな……ていうか、あたしもそんなに余裕は無いよ」

「だよね、だって初めてのお産だもんね」

「うん、ていうか、ちゃんと育てられるのか……とか、ちゃんと愛してあげられるのかとか、不安はある……」


 部屋に戻って、布団の上に腰を下ろしたところで、ポツリと綿貫さんが呟きました。


「あぁ、それは大丈夫。少なくとも経済的な面は全く心配しなくていいからね。それと、愛情の面も大丈夫だよ。僕だけでなく、アマンダさんやメイサちゃんもいるし、シェアハウスのみんなもいるし、それに、コボルト隊のみんなも影の中でソワソワしてるからね」

「えっ、そうなの?」

「早智子に一杯撫でてもらったから、今度は早智子の子供を一杯撫でるんだって楽しみにしてるよ」

「そうなんだ……そっか……」


 俯いた綿貫さんの瞳から、ポロっと涙が零れて落ちたのを見て、思わずギュッと抱き締めてしまいました。


「国分、やっぱちょっと怖い……」

「大丈夫、僕らが付いてるから、絶対に大丈夫!」

「うん……うん……頼むね……」


 この後、唯香とマノンにバトンを引き継ぐまで、綿貫さんを支え続けました。

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