第710話 ケントからの報酬
領都での最初の浄化を終えたエレミアは、同じ村の治癒士イスベルと再会した嬉しさからか魔術の加減を間違えたようです。
施設の中で一回、施設の敷地の四隅で一回ずつ浄化を行うはずが、外に出て二度浄化を行った時点で魔力切れを起こしました。
同行していた侍女は予定の浄化が行えなかったことで不満そうな表情を浮かべていましたが、その時点では施設での治療に変化が現れていて、筆頭治癒士らしき年配の女性がエレミアを絶賛していました。
道中でも見てきましたが、疫病の原因となっている細菌かウイルスが除去されるので、劇的に治癒魔術の効果が上がるようです。
エレミアは、治療施設から程近い治癒士のための宿舎へと運ばれ、一旦休息を取ることになりました。
相当張り切りすぎたようで、顔が青ざめています。
風通しの良い涼しい一室に案内されたエレミアは、ベッドに沈み込むように横たわると、すぐに寝息を立て始めました。
うん、ここは僕の出番かな。
影の空間からエレミアの背中に手を添えて、治癒魔術を発動しました。
これで目が覚めた時には、万全の状態なはずです。
エレミアを部屋まで案内した侍女は、ほぉっと溜息をつくと苦笑いを浮かべて部屋を出ていきました。
「聖女様はお休みになられたのか?」
侍女が部屋を出ると、廊下で警戒にあたっていた騎士が話し掛けてきました。
「えぇ、ぐっすりとね。施設に着く前に、浄化は五回やっていただくから、くれぐれも加減は間違わないように言っておいたのに、困っちゃうわ」
侍女はやれやれといった様子で軽い口を叩いたのですが、騎士は笑うどころか鬼のような形相に変わりました。
「貴様、聖女様に対して何て無礼な口を利くつもりだ……」
「ひぃ、そ、そんなつもりじゃ……」
「じゃあ、どんなつもりだ? 今度そんなふざけた口を叩いたら、その首圧し折ってやるからそのつもりでいろ」
グローブのような騎士の手で、細い顎がガシっと掴まれた侍女は、ガクガクと肩を揺らしてみせた。
どうやら頷いたつもりが騎士に顎を固定されていたので、肩が揺れているように見えたみたいですね。
騎士から解放された侍女は、ごにょごにょと何やら呟くと、小走りで廊下を去っていきました。
あれは、チビっちゃったんじゃないですかね。
それにしても、騎士たちの聖女様信仰が凄まじいことになってますね。
魔物や山賊相手なら力を振るえる騎士達も、疫病に対しては全くと言って良いほど無力ですから、自分達の代わりに国を守ってくれるエレミアに対する感謝は相当なものなのでしょう。
てか、あの侍女は何様なんだって話ですよね。
領主の屋敷の侍女かなんかなんですかねぇ……。
三時間ほど仮眠を取ったエレミアは、再び治療施設に戻ると、残っていた二ヶ所の浄化を終わらせました。
「聖女様、次は……」
「すみません。ちょっとで良いのでイスベルに会わせて下さい」
そう言うと、エレミアは侍女の制止を振り切って、イスベルを探して施設の中へと足を踏み入れました。
「イスベル! イスベル、大丈夫?」
「うるさい! なによ、あんたもあたしを笑いに来たの?」
折良くなのか、折悪しくなのか、施設の中から出て来たイスベルとエレミアの会話は、何となく噛み合っていないように見えました。
『ケント様、イスベルは他の治癒士から偽聖女などと呼ばれておりました』
「それって、聖女の触れ込みで連れて来られたイスベルが、期待はずれだった……ってこと?」
『おそらくは、そうなのでしょう』
「ってことは、イスベルには途中の村で治療はさせなかったのかな? 実際に治療をさせてみれば普通の治癒士との違いとか分かりそうだよね」
『そうですね。おそらく領都までは治療はさせずに連れて来たのでしょう』
「エレミアに浄化をさせながら連れて来たのは、浄化自体が目的でもあるし、本物の聖女様かどうか調べる目的もあったのかな?」
『おそらく両方なのでしょう。確認だけならば、最初の村だけでも十分かと……』
エレミアの浄化は何て言うか、体感すれば一発で違いが分かるので、一度体感すれば疑う気分にはならないはずです。
『イスベルが目を覚ますまで、施設の様子を窺っていたのですが、ここにいる治癒士達は相当に酷使されていたようです』
「そうだろうね、エレミアが初めて足を踏み入れた時なんか、凄い目で睨んでいる人がいたもん。まぁ、一発浄化魔術を使った後は表情が一変してたけどね」
『おっしゃる通りで、治癒魔術の効果がグンと上がったと分かってからは、今度は本物だったって大騒ぎになっていました』
「彼女たちにしてみれば、自分達が実力を発揮できる舞台を整えてくれるエレミアは、やっぱり聖女様なんだろうね」
また衝突してしまうのかと思ったエレミアとイスベルですが、今度はあっさりと別れました。
「なんだか、イスベルが可哀想だよね。聖女様なんて持ち上げられて、クート村から連れてこられてさ」
『ですがケント様、周りの治癒士の様子では、彼女の態度にも問題があったのではありませんか?』
「うーん……だとしても、言っちゃ悪いけど田舎の娘が聖女様なんて言われたら、調子に乗るのも仕方ないんじゃない? 鷹山なんて勇者様とか言われて調子に乗りまくってたからね」
『そうですね。聖女様なんて物語の主人公ですからね』
「でしょ? このまま帰しちゃうのは可哀想だとは思う……ただ、それって僕の勝手な思い込みだし、思いつきで動くのは駄目なような気がする」
『と、おっしゃいますと?』
「例えば、この件を僕がアロイジアに直訴して、何とかしろって言うと、今は支援をしているから従うとは思うけど、後々禍根を残すような気がするんだよね」
『そうですね。コボルト隊を拒否した前例がありますからね』
「じゃあ、ヴォルザードにスカウトしちゃおうかと思ったんだけど、クート村にとっては一人しかいない治癒士なんだよね。たぶん、ヴォルザードの方が栄えているし、イスベルにとっては生活を楽しめると思うけど、じゃあクート村の人はどうなるの……って話だよね」
『そうですね。地方の村で治癒士がいなくなるのは、下手をすると村の存亡にも関わりますからね』
僕がバステンと話している間にも、イスベルはトボトボと歩いて先程までエレミアが休息していた建物に入りました。
エレミアが使っていた部屋は、ホテルのような部屋でしたが、イスベルが戻ったのは二段ベッドが四つも押し込まれた部屋でした。
「なによ、あんた、なんでこんな時間に戻って来てんのよ!」
部屋にいたイスベルよりも少し年上に見える女性は、刺々しい言葉を投げつけてきました。
「うっさいわね。本物の聖女様が浄化したから、あたしらがあくせく働くのは終わりよ」
「何それ、どういう事よ。詳しく教えなさいよ!」
イスベルと女性の話を聞き付けて、ベッドに寝転んで休んでいた他の女性達も起きてきました。
てか、女性しかいない環境だからなんでしょうか、部屋にいた女性は全員ショーツ一枚で上は裸なんですよね。
「はぁぁ……どういう仕組みなのかは知らないけど、聖女様が浄化した後は治癒魔法がちゃんと掛かって患者が回復するようになるんだってさ。信じられないでしょうけど、呻き声が消えて寝息が聞こえてたわよ」
「本当に? あんた、嘘だったらただじゃおかないわよ!」
「嘘だと思うんだったら、行ってみなよ。治療をしてる人なんて、一人もいないわよ」
「マジ? やったー、やっと休める!」
「もう帰ってもいいのかな、帰って……」
わっと盛り上がったように見えた女性達は、急に静かになりました。
部屋にいた四人の女性は、顔を両手で覆って肩を震わせ始めました。
『ケント様、彼女らの家族も疫病の犠牲になったのではありませんか?』
「そっか、家族が亡くなっても自分達は治療を続けなきゃいけなかったんだ」
亡くなった人たちは、街の一角に積み上げられて焼かれていました。
あれでは個人のお骨を収集するなんて出来ないでしょう。
今回の疫病では、そうした別れをした人がたくさんいるのでしょうね。
肩を震わせる四人を見て、沈痛な表情を浮かべていたイスベルですが、治癒士としての服を脱ぎ捨てて、ショーツ一枚になるとベッドに体を横たえました。
目を閉じたまま、二度三度と寝返りを打つと、イスベルは静かに寝息を立て始めました。
さて、イスベルのために僕は何をしてあげれば良いのでしょうかね。
イスベルに不測の事態が起きないようにマルトに見守りを頼んで、一旦家に帰りました。
翌朝、イスベルは呼びに来た侍女に連れていかれ、エレミアと朝食を共にしました。
心中穏やかでは無いはずですが、イスベルは笑みすら浮かべてエレミアとの朝食を楽しんでいるように振舞っていました。
「イスベル、本当にクート村に帰っちゃうの? 私一人じゃ心細いから……」
「あのねぇ、村の治癒士はあたし一人しかいないのよ。帰らなかったら治癒士のいない村になっちゃうのよ。そんな訳にはいかないでしょ」
「そっか、そうだよね……ごめん」
「あたしだって頑張ったんだ、あんたもシッカリやりなさいよ」
「うん、頑張ってみるよ」
「ふっ……じゃあね」
「うん、またね。イスベル」
軽く手を振って食堂を後にしたイスベルの瞳には光るものがありました。
イスベルは、使っていた部屋には戻らずに宿舎の外へ出ました。
一度振り返って宿舎を見上げると、顔を歪めて唾を吐き捨てました。
よほど悪い思い出しか残っていないのでしょうね。
そのままイスベルは疫病患者を治療する施設には向かわず、南を目指して歩き始めました。
領都の風景には目もくれず、ひたすら南を目指して歩き続けています。
このままクート村まで歩くつもりなんでしょうか。
てか、たぶんお金持ってないよね。
領都の入口で身分証が無いことで騎士と口論になりましたが、烈火のごとき口調で反論した挙句、治癒士の衣装を返せっていうなら返してやると啖呵を切ってショーツ一枚の格好まで晒し、頼むから服は着てくれと騎士に頭を下げさせて堂々と領都を出て行きました。
なんだか、無敵の人になっちゃってますね。
そのまま街道を南へ南へと歩いていくイスベルの前に、闇の盾を出して表に出ました。
「えっ、何っ? どこから出て来たの?」
「クート村のイスベルさんですね? 僕はヴォルザードの冒険者でケントといいます」
「えっ、ヴォルザードの冒険者が何の用?」
「疫病の治療お疲れ様でした。イスベルさんの献身に心から敬意を表します」
「ど、どうも……」
「リーベンシュタインのイスベルさんへの仕打ちには色々と文句はあるんですが、ヴォルザード所属の僕が抗議すると角が立つので、せめてイスベルさんを村までお送りしようかと思っています」
「あたしを村まで護衛してくれるってこと?」
「まぁ、広い意味ではそうなりますかねぇ……」
リーベンシュタインが送って行かないなら、僕が送っちゃっても問題ないですよね。
ただ、イスベルさんは疑いの籠った視線を向けて来ます。
「あたし、お金ぜんぜん持ってないわよ。護衛してくれても報酬なんか払えないし、払わないわよ」
「構いませんよ。むしろ、僕から疫病治療を頑張っていただいた報酬を差し上げたいと思っています」
「えっ、ヴォルザードの冒険者が? なんで?」
「何でも何も、疫病が放置されればヴォルザードでも流行して大惨事になっていたかもしれないんですよ。それを食い止めるのに一役買ってくれたイスベルさんに報酬を払うのは当然かと」
「報酬は要らないわ、でも村には無事に帰りたいから護衛だけしてよ」
「分かりました、護衛はしますから報酬を受け取って下さい」
「何で護衛を頼む方が報酬を受け取るのよ、おかしいでしょ」
「まぁまぁ、そう言わず、とりあえず預かって下さい」
「しょうがないわねぇ……って、重っ! 何よこれ、いくら入ってるのよ」
「はい、そのまま、動かないで……送還!」
イスベルさんが動きを止めたところで、クート村まで送還術を使って送り届けました。
こんな事もあろうかと、予め送還の準備はしておきました。
「えっ、嘘……どうなってんの?」
クート村の真ん中に放り出されたイスベルは、周りをキョロキョロと見回して、キツネにつままれたような表情をしていました。
報酬も渡したし、クート村まで送ったし、とりあえず、これで勘弁してもらいましょう。
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