第709話 勘違い聖女の結末

※今回はイスベル目線の話になります。


 お腹が痛い……首の後ろが痛い……。

 朦朧とする意識の中で治癒魔術を使っているうちに、ぼんやりと状況を思い出した。


 瞼を開くと、もう見慣れたはずの高い天井が、いつもとは違って見えた。

 一瞬いつもとは違う場所で目覚めたのかと思ったが、視線を下へと転じると並べらたベッドの列と動き回る治癒士の姿が見えた。


「おい、目ぇ覚ましたんなら、とっとと働けよ、偽聖女」


 通りかかった大柄な治癒士の女が、あたしの寝ているベッドを蹴とばしていった。

 どうしてこんな事になってしまったのだろう。


 私が生まれたのは、リーベンシュタイン南西部の小さな村クート。

 村の周囲には、麦畑と牧草地しかない。


 そんな村で私が夢を見始めたのは、光属性を授かっていると知った時からだ。

 光属性は癒しと命の属性と呼ばれ、おとぎ話に出てくる聖女様の属性だ。


 魔王と戦う勇者様を支え、人々を病や怪我から救い、素敵な王子様と結ばれて幸せに暮らす。

 そんな未来が私にも訪れるのだと思った。


 ところが、私の生まれた年には、例年にない事が起こっていた。

 光属性を持つ子供の割合が異常に高かったのだ。


 小さな農村に過ぎないクート村でさえも、私の他にエレミアが光属性を授かった。

 クート村には五十年以上も光属性を持つ子供が生まれなかったのに、同じ年の子供が二人も授かったのだ。


 こうした現象はリーベンシュタインの他の村でも起こっていたそうで、当時は天変地異の前触れだと騒がれたらしい。

 今になって考えてみると、この疫病の前触れだったのかもしれない。


 だが、当時は別段大きな災害も起こらずに平和な日々が続いたので、人々の頭からはそのような危惧は薄れていった。

 光属性を持つ子供が多く現れたことで、私の夢は急速に現実味を失っていった。


 クート村のような小さな村でさえ二人も光属性を持つ子供が現れたのだから、領都では数倍、数十倍以上の光属性の子供が子供が現れた。

 それだけの数の光属性を持つ子供がいたならば、わざわざ片田舎の村まで聖女様を探しになんか来るはずがない。


 あたしは、ただの治癒士見習いとしてクート村で暮らし続けることになった。

 治癒士の見習いと言っても、住民の少ないクート村では、病気や怪我をする人が毎日いる訳ではない。


 少し腹が痛いとか熱が出た程度では、治癒士に報酬を払うよりも寝ていれば治るで済ませてしまう場合が殆どだ。

 だからこそ、五十年以上も光属性を持つ子供が現れず、年老いた治癒士の婆さんが一人しかいない状況でも事足りていたのだ。


 治癒士の訓練を始めてすぐに、エレミアには治癒の才能が無いのが分かった。

 あたしなら簡単に治せる切り傷や擦り傷でも、エレミアは何度魔法を掛けても治せなかった。


 ただし、掃除の役には立っていたから、エレミアは治癒士ではなく掃除婦として使われるようになった。

 結局、治癒士の見習いはあたし一人になり、見習いを始めて二年ほどで師匠の婆さんが他界して、見習いから治癒士に格上げされた。


 見習いじゃなくなったといっても、やる事は同じで、人の治療をするよりも家畜の治療をする方が多いくらいだった。

 畑を耕すための牛、荷運びのための馬、羊毛を取るための羊、こいつは良く卵を産むからと鶏の治療を頼まれたこともあった。


 とはいえ、人と家畜を合わせても治療をするのは二、三日に一度程度だった。

 基本、クート村の治癒士の仕事は暇だが、だからと言って遊んでいられる訳ではなく、治療が無ければ農作業に駆り出された。


 せっかく光属性を授かっても、物語の中の聖女様なんかにはなれず、いつまで経ってもちょっと治癒魔術が使える村娘でしかなかった。

 ところが、そんな状況が一変した。


 大きな嵐が過ぎ去った後、リーベンシュタインで疫病が流行したのだ。

 幸いにして水害に遭わなかったクート村では、疫病の患者は出たものの、あたしの治療で回復した。


 疫病といっても大した事はないのかと思いきや、他の村や街ではバタバタと人が死んでいるらしく、用事の無いものは村から出るなというお触れが出された。

 ただ、村の外は大変な状況だと言われても、村の中はいつもと殆ど変わらないので、疫病については忘れかけていた頃だった。


 突然、磨き上げられた鎧を身に付けた騎士が五人も村を訪れた。

 畑しかないクート村を騎士が訪れることなど数年に一度あるかないかで、しかも五人もの騎士が何の前触れも無しに来たものだから、村長は腰を抜かしそうになるほど驚いていた。


 更に、貴族が乗るような立派な馬車も一緒だった。

 一体どんな偉い人が乗っているのか、これから何が起こったのかと、村人全員が怯えていると、騎士の一人が対応に出た村長に向かって大きな声で言った。


「我々は救国の聖女様を迎えに参った」


 その言葉を聞いた瞬間、あたしの心臓がドクンっと跳ねた。

 いつしか忘れてしまっていた夢が、突然現実となって目の前に現れたのだ。


 そこからは、本当に夢のような時間だった。

 教会の修道女が着る服を何十倍にも豪華にした聖女の衣装を与えられ、豪華な馬車に揺られて、綺麗な宿で美味しい食事を饗されながら、領都までの旅を満喫した。


 領都までの二日間で、あたしはすっかり救国の聖女になりきっていた。

 そして、疫病患者が運び込まれている施設の前で馬車を降りた時に、あたしは夢から現実へと引き戻された。


 それでも、施設に到着して治療を始めて暫くの間は、あたしは救国の聖女だった。


「もう大丈夫、救国の聖女である私が全員救ってみせます」


 施設に担ぎ込まれて、疫病に苦しんでいる患者は勿論、治療を行っていた治癒士達や同行してきた騎士達までもが跪き、あたしに向かって感謝の祈りを捧げていた。

 だけど……いくら治癒魔術を掛けても、患者は一向に回復しなかった。


 クート村では、一度の治療で殆どの人が回復したのに、多少痛みが和らぐ程度で、また直ぐに容態は悪化した。

 おかしい……こんなはずではない……あたしは救国の聖女なんだから、重篤な患者だって救えるはずなのに……。


 きっと旅の疲れが出ているだけ……一晩休めば……今日はたまたま調子が悪かっただけ……明日になれば……。

 あたしの治癒魔術が、施設にいる治癒士の平均以下だと判明するまで、さして時間は掛からなかった。


 自分が救国の聖女だと大見得を切り、跪かせて祈らせた道化者。

 救国どころか、たいして役に立たない欠陥品……偽聖女。


 連日、休む暇も無く続く疫病との戦いで気が立っていた治癒士達にとって、あたしは格好の鬱憤晴らしの材料だった。

 聖女様の衣装は取り上げられ、治癒士の平服を与えられ、領都に来るまでに浪費した金を取り立てるがごとく扱き使われた。


 動きが遅いとなじられ、治癒が弱いと笑われ、魔力が切れると根性が足りないと蹴られた。

 あぁ、そうだ、こんな風に過ぎた事をいつまでも考えていたら、また叩かれたり蹴られたり……する気配が無い。


 はっとして周りを見回すと、いつもは戦場みたいに張り詰めている空気が和んでいる。

 断末魔のごとき呻き声が溢れかえっていたのに、静かな寝息さえ聞こえてくる。


「どうなってるの?」


 施設の端に置かれた仮眠用のベッドから立ち上がり、並べられたベッドの間を歩いていくと、殆どの患者は治療を終えたのか眠っていた。

 その寝息に混じって治癒士の声が聞こえてきた。


「聖女様には、いくら感謝しても感謝しきれないよ」

「ホント、ホント、浄化一発で治癒魔術の効き具合が激変したもん」

「そう! 今まではいくら掛けても笊で水を掬うみたいに手応えなかったのに、一気に回復するのが分かった」


 これまでだったら、治癒士が手を止めて雑談をする暇なんか無かったのに、四、五人の治癒士が集まって談笑している。

 笑っている? 治癒士が? 考えられない光景だ。


「あーら、偽聖女様がお目覚めみたいよ」

「良かったわねぇ、本物の聖女様のおかげで良く眠れたでしょう」

「あー……あんた、もう要らないから田舎に帰っていいわよ」

「あはははは……」


 怒りと羞恥が入り混じって、涙が溢れてきそうになった。

 勝手に聖女に祀り上げて、期待はずれだったら使い捨てるのか。


 笑い声と蔑むような視線から逃げるように、足早にその場から離れた。

 もう限界だ、こんな所には一秒だっていたくない。


「イスベル!」


 施設を飛び出そうとしたら、一番会いたくな人間が騎士に守られながら玄関ホールに入ってきた。


「イスベル、大丈夫?」

「うるさい! なによ、あんたもあたしを笑いに来たの?」

「えっ、笑う? なんで?」

「とぼけないでよ! 聖女様に選ばれて……期待はずれだったあたしを笑いに来たんでしょ?」

「何を言ってるの? イスベルは、ずっと患者さんの治療を頑張ってるって、大活躍だって聞いたよ。休む間も無かったんでしょ?」


 エレミアの目は、本気で誰かを心配している人の目だ。

 たぶん、お付きの人から聞いた説明を疑う事も無く、あたしが聖女様として活躍したと信じているのだろう。


 思い返してみればエミリアは、光属性を授かっても治癒の才能が無いと分かった時でも、自分の魔術がどうすれば村の役に立つのかと考えて行動していた。

 同年代の悪ガキから役立たずなんて言われてもめげなかったし、エミリアが浄化の魔法を使うようになってから、村で病気に罹る人は減った。


 あたしみたいに、自分がチヤホヤされる事ばかり考えているような女は聖女になんてなれない。

 エミリアみたいに、誰かが笑顔になることばかり考えているような子が聖女にふさわしいのだろう。


「そうよ、あたしは今まで頑張ってきたわ。あとは、あんたが何とかしなさい」

「イスベル……お疲れさま」

「ホント、あたし疲れたから村に帰るわ」

「えっ、じゃあ私も一緒に……」

「帰れる訳ないでしょ、あんたにはまだ聖女様の役目が残ってるの、頑張りなさい」

「う、うん……分かった。ここからは私が頑張るから、イスベルはゆっくり休んで」

「ふん、言われなくても休むわよ」


 まだ話し足りないと、まとわりついてくるエレミアを追い払い、治癒士のための宿舎に向かう。

 一晩眠ったら、明日は村に帰ろう。

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