第708話 聖女様と元聖女様

 浄化に特化した光属性の魔術士エレミアが住んでいたクート村からリーベンシュタインの領都までは、馬車で三日ほどの距離だそうです。

 ただ、道中立ち寄った村や街で浄化作業を行っているので、到着までにはもう少し時間が掛かりそうです。


 強力な浄化能力を発揮したエレミアですが、彼女にも弱点が存在していました。

 それは魔力量の少なさです。


 一回でかなりの範囲を浄化しているものの、三回から四回ほど魔術を発動させると魔力切れのようです。

 小さい村の診療施設ならば一発で浄化させられるようですが、大きな街の浄化となると一度では終わらせられないようです。


 途中立ち寄ってウイカニという街では、治癒院の周辺を浄化しただけで魔力切れを起こして倒れる寸前でした。

 街には治癒院の他にも死者が多数出たために封鎖された区画もあったのですが、騎士の判断でそちらの浄化は後回しになりました。


 そしてエレミアは、馬車の中で回復する事になって次の村を目指してドナドナされていく……。

 かなり過酷な状況に放り込まれてしまっているのに、周囲から聖女様、聖女様と感謝され、騎士達からも下にも置かない扱いをされてしまいエレミアも無理とは言えなくなっているように見えます。


 グッタリとした様子で馬車に揺られているエレミアを見ていると、召喚された当時の唯香を思い出してしまいます。

 魔力量を増やすには、あるいはこうした状況になった方が良いのかもしれませんが、このままだとマジで倒れてしまいそうなので、影から援助しておきましょう。


 馬車の座席に横たわり、少し苦し気な寝息を立てているエレミアに影の空間から治癒魔術を掛けておきました。


『ケント様、よろしいのですか? エレミア殿は魔力が増えた、レベルが上がったと勘違いされるかもしれませんよ』

「まぁ、バステンの言う通りだけど、今回はそれよりも疫病の流行を抑え込む方を優先したいかな」

『なるほど……確かに魔力を増やすための鍛錬ならば、事態が収拾した後にでも出来ますね』

「そうそう、三、四回フルパワーで魔法を使えば魔力切れを起こすなら、寝る前に布団の中で魔法を使うだけで済むからね」


 苦し気な眉間の皺も消えて、エレミアは健康そうな寝息を立てています。

 これなら次の村でも問題無く浄化作業が出来るでしょう。


 僕もエレミアに付きっ切りとはいかないので、バステンに見守ってもらい、魔力切れでヤバそうな時には応援に行く形に切り替えました。

 エレミアが浄化を行った村や街のその後も見てみましたが、効果はかなり高いようです。


 新規の患者数が激減し、治癒士による治療の効果も上がって、重篤だった患者の中からも命を長らえる人が続出していました。

 もしかすると、患者の体内にいる細菌やウイルスまでも除去しているのかもしれません。


 でも、大丈夫なんでしょうかねぇ。

 たしか、腸内細菌は善玉菌と悪玉菌が拮抗しているとか聞いたことがありますが、良い働きをする菌までも死滅させていないんですかね。


 他にも、チーズとかヨーグルトとか、醗酵食品を作るには菌の存在が必要ですが、見て回った感じでは、悪影響が発生しているように見えませんでした。


『ケント様、エレミアが領都に到着しますよ』


 バステンから知らせが届いたのは、エレミアがクート村を出てから四日目の昼のことでした。

 通常の旅程の二倍近い時間が掛かっていますが、それでも道中の様子をみれば早かった方じゃないですかね。


「おぉぉ……なに、この人だかりは?」

『聖女様を一目見ようと集まっているようです』


 バステンによると、エレミアが途中の村や街で浄化作業を進めた様子は逐一知らされていたようで、本物の聖女様がいらっしゃるという噂で持ち切りだそうです。

 リーベンシュタインの領都でも、衛生状態を改善させるための作業が進められ、新規感染者の数はなだらかに減少しているそうだが、封じ込めたと言える状況には無いらしいです。


 一時のように、街中で倒れて息を引き取っている人の姿は無くなったが、まだマスクや防護服に身を包んだ人に運ばれていく患者を見掛けます。

 領都の人々が、エレミアに期待するのも無理はないのでしょう。


「おい、あれじゃないのか?」

「来た、聖女様だ!」


 リーベンシュタイン家の旗を掲げた騎士が先導する馬車が見えると、沿道に集まっていた人々から歓声が上がりました。

 結構な人が亡くなったと思ったんですが、まだこんなに人がいるんですね。


 というか、めっちゃ蜜な状態ですし、押し合いへし合いしている様子は感染拡大防止の観点からするといただけませんよね。


「聖女様、領都をお救い下さい」

「聖女様、祝福を……祝福を下さい!」

「聖女様、万歳!」


 地鳴りのような歓声に、馬車の中のエレミアはビビッて固まっちゃってますね。

 世話役の侍女が窓から手を振られては……と言っても、プルプルと首を振るばかりです。


 ていうか、こんな状態でちゃんと魔術を発動させられるんでしょうか。

 馬車は人並みの間を抜けて行き、やがて人通りの無い道へと出ました。


 ここから先には、感染した人達を隔離する施設があり、一つの区画を丸ごと隔離しているそうです。

 人々から大歓迎を受けていた時には、顔が蒼褪めるほど緊張していたエレミアでしたが、今はキリリと表情が引き締まったように見えます。


 馬車が停まったところで、世話役の侍女が浄化の手順を確認しました。


「エレミア様、これから正面玄関へと移動していただき、建物の内部に入ったところで一度強めに浄化を施して下さい」

「分かりました」

「それが終わりましたが、今度は敷地の壁に沿って移動していただき、四隅で浄化をしていただきます。合計五回の浄化作業ですので、加減を間違えないようにお願いいたします」

「はい、頑張ります」


 エレミアは、僕が日本から持ち込んだ医療用のサージカルマスクを着けて馬車を降りました。

 建物の入口には、施設の責任者が出迎えに来ていましたが、式典のようなものは行われず、すぐに浄化作業に取り掛かるようです。


 普段は何に使われている施設なのか分かりませんが、学校の体育館を二つ並べたぐらいの大きな空間になっていて、そこに所狭しとベッドが並べられ疫病の患者が寝かされています。


「うわっ、以前に治療を行っていた場所から移動してきたみたいだけど、ここも良い状況ではなさそうだね」

『はい、以前治療を行っていた場所は、あまりに環境が悪化したために一時放棄して封鎖されています』

「そろそろエレミアの浄化が行われるみたいだから、バステンは隠れていて」

『了解です』


 エレミアが施設の中へと足を踏み入れ、詠唱を始めようとした時に刺々しい声が響きました。


「ちょっと! なんであんたなんかが聖女様って呼ばれてるのよ!」


 マスクを外して喚き散らしたのは、エレミアと同じ年ぐらいの治癒士の女性でした。

 おそらく、この人がクート村から連れて来られた、もう一人の治癒士イスベルなんでしょう。


「貴様! 聖女様の邪魔するならタダでは置かぬぞ!」

「ひぃ……」


 領都までの道中で、すっかりエレミアに心酔している騎士に抜き身の剣を突き付けられて、イスベルは悲鳴を洩らしながら座り込んでしまいました。


「乱暴は止めて下さい、彼女は私の友達です」

「はっ、失礼いたしました」


 エレミアに止められると、騎士はすぐに剣を納めて下がりました。

 エレミアはイスベルを友達と呼びましたが、エレミアを睨み付けるイスベルの表情は親の仇でも見るかのようです。


「聖女様、申し訳ございませんが、先に浄化を済ませていただけませんか?」

「分かりました」


 イスベルの表情を見て何と声を掛けようか迷っているエレミアに、施設の責任者が浄化作業を促しました。


「マナよ、マナよ、世を司りしマナよ、集え、集え、我が手に集いて清めとなれ、広がれ、広がれ、この地に広がりて清浄となせ!」


 馬車の中で世話役の侍女から、くれぐれも加減を間違えないように言われていたのに、エレミアが発動させた浄化魔術はこれまでで一番強力だったように感じました。

 薄っすらと輝く魔力がどこまでも広がっていき、施設にいる全ての人が目を見開いて驚いています。


 魔術を発動し終えたエレミアは、精魂尽き果てたように、その場に座り込みました。

 そして、肩で息をしながら、同じ目線の高さになったイスベルに話し掛けました。


「イスベル、私頑張ったんだよ……」


 浄化の凄さを感じて放心状態だったイスベルですが、エレミアの言葉を聞くとグシャっと顔を歪めてみせました。


「だから何よ! あたしだって頑張ったわよ! 毎日、毎日、毎日、毎日……魔力が切れてフラフラになるまで治癒魔術を使い続けたのに、今じゃそこらの治癒士と同じ扱いよ! 何でよ! 何であんただけが聖女様なんて崇められてんのよ!」


 喚き散らしながらエレミアに掴み掛かろうとしたイスベルは、割って入った騎士に取り押さえられました。


「やめて! 乱暴しないで!」

「聖女様、あの者は興奮していて、今は話が出来る状態ではございません」

「でも……」

「話し合いは冷静になってからになさいませ」


 イスベルを取り押さえた騎士とは別の騎士に諭され、エレミアは渋々といった様子でその場を離れることにしたようです。


「分かりました。今は時間を置いた方が良いみたいですね。でも、くれぐれもイスベルには乱暴しないで下さい」

「心得ております。さぁ、聖女様を御案内しろ」


 エレミアが騎士たちの鎧の壁に囲まれて見えなくなると、取り押さえられながらも喚き続けていたイスベルは腹に拳を突き入れられて物理的に黙らされました。


「てか、このイスベルも聖女扱いされて連れて来られたのに、この扱いは酷いんじゃないかなぁ……」

『そうですね、いくら非常時で気が立っているとしても、褒められた行動ではありませんね』


 いつの間にか戻ってきたバステンも、騎士の振る舞いをみて憮然とした表情を浮かべています。骨だけど……。


「バステン、ちょっとイスベルの扱いを見ておいて。こんな酷い状況が続くなら、僕からも抗議するからさ」

『了解しました』


 バステンにイスベルの方を任せて、僕は引き続きエレミアの様子を見守ることにしました。

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