第707話 聖女の御業
『ケント様、例の聖女様が領都に向かわれるようです』
「もうか、まぁ当然だろうけどね」
リーベンシュタインの南西部にある小さな村、クートで浄化の魔術を使っているように見えた女性の件は、書簡にして領主のアロイジアさんに知らせておきました。
僕が実際に浄化の場面を見たのは一度きりですが、かなりの広範囲にわたって効果を発揮しているように見えました。
疫病の流行を防ぐには、原因となっている細菌もしくはウイルスを排除するのが何よりも効果的です。
実際に、この女性の魔法が除菌効果を持っているのか分かりませんが、試してみる価値はあるように感じます。
場合によっては、疫病の流行を食い止める切り札になるかもしれないので、念のためバステンに身辺警護をお願いしておきました。
バステンからの知らせを受けて、クート村へと向かうと、物々しい出で立ちで騎士団が迎えに来ていました。
『聖女様は、エレミアというそうですが、騎士団が迎えに来て領都までの同行を命じると、住民が反対して揉めておりました』
「それは騎士団が高飛車だったからとか?」
『いえ、騎士団の姿勢は丁寧でしたが、先に治癒士をしていた女性が連れて行かれているので、更にエレミアまで連れていくのかと反対する声が上がったようです』
バステンが住民の話を繋ぎ合わせて知ったのは、先に聖女として連れていかれたイスベルという女性と、このエレミアという女性は同い年だそうです。
領地のはずれの小さな村に、同じ年に二人も光属性を授かったことで、当時は大騒ぎになったそうです。
ただ、エレミアは魔力量は人並以上にあるそうですが、どんなに練習を重ねても治癒の効果を発揮できなかったそうです。
エレミアが使えたのは清浄魔術だけで、一時期は期待はずれなどと揶揄されることもあったらしいです。
それでも、エレミアは持ち前の明るい性格と、村の共有部分を積極的に掃除して回るので、村人からは人気があるそうです。
これからエレミアが出発するようですが、村人全員が集まったのではないかと思うほど人が押し寄せています。
「エレミア、体に気を付けるんだよ」
「あんたら、ちゃんとエレミアを護ってくれよな!」
「仕事が終わったら、ちゃんと村に送り届けてくれよ!」
こちらの世界だと、騎士は一種の特権を有している身分なので、一般の人からは恐れられる存在のはずですが、村人達はエレミアをちゃんと警護するように念押ししています。
「清浄魔法しか使えないっていうエレミアでもこれほどの騒ぎになるなら、最初の聖女が村を出た時なんて、もっと大騒ぎになったんだろうね」
『おそらく、そうでしょうね』
「でも、情報を流しちゃった僕が今更こんな話をするの何だけど、クート村での疫病の流行具合ってどうだったんだろう?」
『住民の立ち話を聞いた程度なので、ハッキリとは分かりませんが、それなりの患者は出たようですよ』
この辺りは水害による被害は少なかったものの、近隣には水害に見舞われた地域もあり、そうした村に支援に行った人も多くいたようです。
そうした人々から感染が広がり始め、重態に陥った人もいたそうです。
「そうした人の治療を最初に連れて行かれたイスベルって人がやってたんだね?」
『そうです。村でも疫病だと気付いて、発症した人は一ヶ所に集めて治療を行ったそうですが、その場所の掃除を担当していたのがエレミアだったようです』
「なるほど、それじゃあ、今の時点ではどちらが本物の聖女か分からないんだね?」
『どうでしょう、イスベルが本物の聖女ならば領都の状況は改善しているでしょうし、エレミアが本物の聖女である可能性が高いと思われます』
今回の疫病は、通常の治療だけでは致死率が高い。
特に重篤な状態に陥ってしまうと回復が難しくなるのだが、クート村ではそうした人達も回復したらしい。
それと同じ治療が出来るならば、先に領都に向かったイスベルだけでも、ある程度は状況を改善できたはずだが、現実的には他の治癒士と比べて特に優れた治療が出来ている訳ではないようだ。
『それに、エレミアの浄化魔術はかなり強力です。影の空間から見守っていたのですが、それでもダメージを受けて慌てて窓を閉じたほどです』
「ちょっ、それマズいから、下手したら昇天しちゃうからね」
僕の眷属は基本的に闇属性なので、光属性の魔術を浴びるとダメージを受けます。
ダメージというか、あるべき姿に戻って成仏しちゃう感じです。
「バステン、エレミアが浄化魔術を使うところは見ないように、眷属のみんなに徹底させておいて」
『了解です。既に注意するように伝えてあります』
「でもさ、唯香の治癒魔術は影の空間から見ているだけなら問題無いよね?」
『はい、ユイカ様の治癒魔術も強力だと思われますが、こちらまでは影響を及ぼしません』
「やっぱり、エレミアの魔術は相当広範囲に影響するみたいだね」
『それが疫病に有用なのかは、次の村で分かるのではないですか?』
「直接領都に向かうんじゃないんだ?」
『これも聞いただけなので、ハッキリとは分かりませんが、道中も魔術を使いながら向かうようです』
状況が思わしくないのは、何も領都に限ったことではありません。
支援物資を配った効果は徐々に現れつつあるようですが、まだ完全に新規患者の発生を防げている訳ではありません。
「途中の村で治療……じゃなくて浄化をしてみて、効果が出なかったらどうするんだろう?」
『その時は、その時で、クート村まで送って行くのではないですか』
「まぁ、そうなるだろうね」
エレミアを乗せた馬車は、騎士団に守られながら三時間ほどで次の村へと到着しました。
村の規模としてはクート村と同じぐらいなのでしょうが、水害によって荒れた畑も見えますし、疫病の流行が長く続いているせいで荒んだ感じがします。
「聖女様、よろしくお願いします」
「やめて下さい。私は聖女様なんて呼ばれるような者ではありませんから」
「しかし……」
「私の魔術が疫病に効果があるなら、お手伝いはいたします。ですから、そのような扱いはやめて下さい」
「分かりました。それではエレミア殿、お願いします」
馬車が停められた場所が、疫病の患者を集めている建物のようですが、見た目からして綺麗とは言い難い状態です。
たぶん、感染を恐れて人が近付かないので、掃除も行き届かないのでしょう。
「バステン、僕はこのままエレミアの様子を見たいから、呼ぶまで離れていて」
『了解です、では……』
バステンが離れたのを確認して、僕がいる空間を切り離すようにイメージしました。
これで、眷属のみんなへの影響は無いはずです。
エレミアの乗った馬車を護衛してきた騎士達ですが、疫病の患者がいる建物に対しては腰が引けているように見えます。
空気感染ではないと思いますから、そこまで恐れる必要は無いと思いますが、数々の悲惨な状況を目にしていれば仕方がないのかもしれませんね。
馬車を降りて施設に歩み寄ったエレミアは、建物の様子を見て眉を顰めつつ詠唱を始めました。
「マナよ、マナよ、世を司りしマナよ、集え、集え、我が手に集いて清めとなれ、広がれ、広がれ、この地に広がりて清浄となせ」
「おぉぉぉ……」
騎士達が驚きの声を上げたのも当然で、周囲の汚れが一層されて、空気さえも浄化されたのが分かりました。
前回見たのは、クート村の井戸の浄化でしたが、元が綺麗な物への浄化でしたから、これほどまでの効果があるとは分かりませんでした。
エレミアの魔術に驚いていると、患者を収容している建物の扉が開いて、白衣の女性が姿を見せました。
「今のは、貴方の魔術ですか?」
「そうですが……」
「ありがとうございます。断言はできませんが、ここの患者は快方に向かうと思います」
「いえ、私は掃除をしただけですから……」
「貴方にとっては掃除なのかもしれませんが、恐らく疫病の素となる悪い物も一掃してくれたと思います。本当にありがとう」
白衣の女性は、もう一度深々と頭を下げてみせました。
影移動して建物の中を覗いてみると、ぱっと見ただけでも清潔だと感じますが、たぶんエレミアが清浄魔術を使う前は酷い状態だったのでしょう。
患者は……回復しているようには見えません。
となると、エレミアの魔術は浄化に特化した光属性の魔術なのかもしれません。
白衣の女性に案内されて建物に入ってきたエレミアは、室内の隅々にまで見回すと、何度か頷いていました。
自分の魔術がキチンと作用しているのを確認したのでしょう。
「バステン、戻って来てくれるかな」
『お呼びですか、ケント様』
「うん、想像以上に凄い魔術でビックリだよ」
『そうですか、それは私も見てみたかったですね』
「いやいや、駄目駄目、下手したら昇天しちゃうって」
本当に、エレミアが詠唱を始めたら逃げるように眷属のみんなには徹底しておきましょう。
「それで、ちょっと聞きたいんだけど、エレミアと同い年の治癒士って、ちゃんと治療は出来たんだよね?」
『さぁ、そこまでは聞き及んでいませんが、治癒士を生業としていたのであれば、治癒魔術は使えたのだと思いますよ』
「そっか、ハズレって訳じゃないんだね」
『ハズレでは、治癒士は名乗れないでしょう』
まぁ、僕はハズレ扱いの時にも治癒士の見習いとか言ってたんだけど、本職の治癒士を名乗るならば、相応の治癒魔術は使えたのでしょう。
ただ、エレミアが治癒員を含めた村全体を清浄化していたのであれば、外傷が化膿せずに治るといった効果はあったのかもしれません。
そうしたエレミアからの表面化しない支援を自分の治癒魔術の効果だと考えていたとしたら……領都に連れていかれたイスベルという治癒士は大丈夫なんでしょうかね。
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