第706話 リーベンシュタインの聖女
「リーベンシュタインの聖女様……ですか?」
「あぁ、そう呼ばれている凄腕の治癒士が居るらしい」
諸々の打ち合わせに行ったギルドで、クラウスさんから『リーベンシュタインの聖女様』の話を聞かされました。
疫病が流行して支援が始まって以後、リーベンシュタインと各領地の間にもコボルト隊を使った連絡網を整備するべきだという話が持ちあがり、暫定的な連絡網が築かれました。
現在、疫病が流行しているリーベンシュタインからは、手紙という形でも各地に連絡をするのは疫病を広げる可能性があるので、代表してブライヒベルグのナシオスさんとリーベンシュタインの領主アロイジアさんが連絡を取る形にしたそうです。
クラウスさんのところには、ナシオスさん経由で聖女様の話が届いたそうです。
「そんなに凄い治癒士なんですか?」
「まぁ、俺が直接見聞きした訳じゃないから分からんが、その聖女のいる村では他の村のように死者が出ていないらしい。ケント、お前なにか知らないか?」
「そう言われてみれば、患者はいるけど混乱していない村があったような……」
「ナシオスの話によれば、その聖女を住民が多く患者も多い領都に呼びつけて治療にあたらせるらしい」
「それなら、状況が好転しそうですね」
「そうなってもらわないと困るけどな。まぁ、コボルト達がいてくれるおかげで、緊急の物資は運べるが、街道が封鎖されたままだと経済への影響が大きくなるばかりだからな」
疫病が発生して以後、リーベンシュタインと周辺の領地の間は往来が止められています。
これによって、東のエーデリッヒと西のフェアリンゲン、ブライヒベルグの間の往来が出来なくなっています。
ランズヘルト共和国内で流通している塩の殆どは、エーデリッヒから送られて来る物です。
エーデリッヒの生活も各地から送られて来る様々な品物に支えられています。
その流通が寸断されている状況ですから、商人は大きな影響を受けますし、商隊の護衛をする冒険者も職を失っている状態です。
「イロスーン大森林に続いてって感じですね」
「あの時に、ケントに構築してもらったブライヒベルグとの輸送経路によって、新たな取引も増えているが、あれは丁度いい感じに離れているから成り立っているだけで、同じもので各地を結んでしまうと冒険者の生活が成り立たなくなるからな」
ヴォルザードとブライヒベルグを結んだ闇の盾を使った輸送方法では、輸送時間の短縮によって、これまで手に入らなかった野菜などが入荷するようになりました。
ブライヒベルグまでの護衛依頼は減ったものの、マールブルグやバッケンハイムに向かう依頼はこれまで通りにあるので、冒険者への影響は限定的です。
ヴォルザードとブライヒベルグの場合には、丁度バランスが取れる距離だったのが幸いした形ですが、これが全ての領地間で行われたら、護衛の冒険者の需要は激減することになるでしょう。
将来、鉄道などの輸送手段が発達すれば、冒険者という仕事は無くなるかもしれませんが、急激な変化によって多くの冒険者が職を失えば、山賊に鞍替えする者が現れてもおかしくありません。
治安維持の観点からも、そうした急激な変化は好ましくないのでしょう。
この日、クラウスさんに日本の整腸剤などの輸入を相談しましたが、少し待つように言われました。
支援物資と防疫マニュアルの効果が出始めたのか、周辺の領地で新規患者の発生率が下がり始めているみたいです。
「細菌とかウイルスという考えがどこまで浸透しているのか分からんが、患者を隔離し、汚染された物を口にしないという考えを徹底した結果なんだろう」
「でも、回復ポーションとかは、まだまだ不足しているみたいですけど……」
「そのニホンの整腸剤ってやつが、回復ポーションと同じ働きをするとは限らないんだろう?」
「まぁ、そうですね。こちらの世界には無い物ですから、使ってみないとどの程度の効果があるのかは分かりません」
「今回ニホンから支援してもらった手袋やマスク、防護服などは、目で見て、触って、使ってみて、ある程度どんな品物か実感が出来るし、再現しようと出来る品だ。だが、薬となると何から作られているのか、その材料がこちらの世界で手に入るのかも分からん」
「将来的に、日本に依存し続ける状況は作りたくない……って感じですか?」
「そういう事だ。こちらから提供できる物があって、対等な貿易が行われるならば考えるが、一方的に依存する状況は好ましくない」
「分かりました。今回は保留で、いつ輸入の要請があっても良いようにリサーチだけは進めておきます」
「おう、頼む」
現状、ヴォルザードでは疫病による患者は出ていないので、クラウスさんも切迫した状況ではないのでしょう。
たぶん、リーベンシュタインのアロイジアさんに同じ相談したら、何でも良いから持って来てくれ……って言われるかもしれませんね。
果たして、どっちが正しいのか正直判断に迷います。
現状でも、日本から色々な品物を持ち込んでいますし、うちでは普通にタブレットとか使ってネットにも接続しています。
居残り組が暮らしているシェアハウスではテレビもあるし、相良さんはミシンとかも使ってるそうです。
そういえば、メイサちゃんや美緒ちゃんもタブレットで漫画読んでるとか言ってました。
自分達は好き勝手やってるのに、影響を考えてとか言うのも変な気もしますけど、仮に僕が窓口になって日本との貿易をオープンにした場合、こちら側の世界が一方的に搾取されるような状況になってしまう気がします。
僕としては、クラウスさんが考えるように歯止めを設けて、ゆるやかに技術を取り入れる感じが良いと思うんですよね。
てか、取引するのは僕次第なんで、ちょっと責任を感じてたりもするんですよ。
ちょっとだけですけどね。
クラウスさんとの打ち合わせから三日後、支援を始めてから一週間を過ぎて、ようやく効果が目に見えてきはじめました。
防疫マニュアルが効果を発揮したのか、周辺の領地での流行は何とか抑え込めたようです。
あとは、リーベンシュタインをどうにかすればなんですが、こちらはまだ混乱が続いているようです。
「例の聖女様だが、期待はずれだったらしい」
「えっ、でも村では患者を減らしてたんですよね?」
「あぁ、南部のクートって村では死者も殆ど出さずに済んだらしいが、村の規模も小さかったんだろうな」
人口百人程度の小さな村と、人口が密集する街では状況が大きく違うのでしょう。
「でも、リーベンシュタインの小さな村でも、村を放棄するような場所もあったのに、そこだけ死者が少ないっていうのも変ですよね?」
「そうだな、だが例の聖女様ってのは、ごく普通の治癒士だったらしいぞ」
「小さな村の治癒士にしては腕が良かった……とかでしょうか?」
「その可能性もあるな」
「クートって、どの辺にある村なんですか?」
「クートは……この辺りだ。行ってみるのか?」
「はい、他に何か要因があるなら、探してみようかと……」
クラウスさんに地図で教わったクートという村を、星属性の魔術で見に行ってみることにしました。
クートはリーベンシュタインの南西部にある農村で、村の周囲に広がる麦畑では刈り取り作業が行われていました。
「あれっ、なんか普通……」
他の村や街では世紀末みたいな情景が広がっていたのに、クートでは疫病の気配すら感じません。
「あっ、そうか……水害が無かったのか」
リーベンシュタインの多くの地域では、先日の嵐の影響で畑が水没するような水害が起こっていました。
でも、クートでは何事もなかったように刈り取り作業が行われていますから、水害の影響が殆ど無かったのでしょう。
村の中を回ってみても、衛生状態が良いようで、見た目にも綺麗だと感じます。
「やっぱり衛生状態なんだろうなぁ……」
衛生状態が良ければ、感染の拡大が防げて、新規の患者を抑制できます。
あとは治癒士の治療が行き届けば、死者の発生を最小限で食い止められるという訳なのでしょう。
村の様子を見て回っていると、女性が一人共用の井戸に歩み寄って来ました。
十代後半ぐらいで、赤茶色の髪で、ちょっとソバカスが目立つ、いかにも村娘という感じの女性です。
水を汲みに来たのかと思いましたが、それにしては水桶を持っていません。
女性は井戸を覗き込んだ後で、おもむろに詠唱を始めました。
「マナよ、マナよ、世を司りしマナよ、集え、集え、我が手に集いて清めとなれ、染みよ、染みよ、水に染み渡りて清浄となせ」
「えっ……?」
女性が魔術を発動させると、女性を中心として魔力が波紋のように広がっていきました。
魔力の波動は、僕がエリアヒールを使った時に似ているような気がします。
もしかすると、この女性の魔術が疫病の原因となる細菌やウイルスを除去しているんじゃないですかね。
女性は井戸の水に向かって魔術を発動させていたみたいですが、僕が感じた波動は井戸だけでなく周囲にも伝播していったように感じました。
「リーベンシュタインの聖女様って、治癒士の人じゃなくて、この人じゃないの?」
これは、ちょっと帰って報告しないと駄目ですね。
もし周囲の環境を丸ごと除菌できるなら、疫病対策の切り札になるかもしれません。
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