第705話 対策半ば
各地からの支援物資を届け、作成した防疫マニュアルも配布したのですが、疫病の封じ込め作業は難航しているようです。
そもそも、細菌やウイルスといった知識が一般的でないことに加えて、手洗いなどの習慣が無い、嵐による水害によって衛生状態が悪化しているなど、複数の要因が重なり合っているようです。
リーベンシュタインを囲む三つの領地、ブライヒベルグ、フェアリンゲン、エーデリッヒでは領地境を封鎖する措置を行っています。
それに加えて、リーベンシュタインに近い村や街でも、他の地域への移動を制限しているようです。
そうした村や街では、感染者が出た場合には速やかに隔離し、接触感染が疑われる人も別の場所に集め、家や立ち寄った場所は徹底的に消毒を行っているようです。
それでも、感染がゼロになることはなく、気を抜けば一気に感染が広がりそうな気配を孕んでいます。
今回の疫病が厄介なのは、死亡率が高く、有効な治療法が殆ど無いことです。
支援の初日に、リーベンシュタインのあちこちを回ってエリアヒールを掛けて来たのですが……劇的な効果はありませんでした。
回復させた人数よりも、その後に重症化した人数が上回ってしまっているようです。
魔力の回復を助ける薬を飲みながら、巡回を続けているのですが、笊で水を掬おうとしている気分です。
一旦状態が回復した人達の中にも、再度病状が悪化して亡くなる人がいるようです。
恐らくですが、エリアヒールだと完全には回復していない人もいて、内臓の状態が一旦回復しても、腸内に残っているウイルスによって再びダメージを負ってしまうのでしょう。
嘔吐や排泄によってウイルスを体外に排出し、免疫が機能して体内に残ったウイルスを排除できた人は生き残り、その前に体力が尽きてしまった人は命を落としてしまうようです。
現在、各地で行われている治療は、治癒士による治癒魔術と回復ポーションの服用の二つのようです。
今回の疫病では、消化管がダメージを受けて、吐血や下血といった症状が引き起こされています。
そのため、栄養の摂取が出来なくなり、体力の無い子供やお年寄りなどの死亡率が高まっているように見受けられます。
各地からの報告を見ると、回復ポーションを服用することで嘔吐の症状は軽減されるようですが、下痢や下血の症状の改善が思わしくないようです。
これも推測になってしまいますが、食道から胃までの症状は緩和されるものの、胃液などによってポーションの効果が薄れてしまっているのでしょう。
薄れてしまうなら、大量に服用させれば……なんて乱暴な考えが頭に浮かびますが、そもそも回復ポーション自体が不足している状況なので、試してみることすら出来ません。
現状では、回復ポーションによって胃までの状態を緩和させ、そこから先は治癒魔術で回復を試みるしかないようですが、ポーションも治癒士も足りていません。
三日、四日と支援を続けても出口が見えない状況に、焦りというかじれったさを感じてしまいます。
一日の活動を終えて戻った自宅で、今後の方針を唯香に相談しました。
「ねぇ、唯香。どうすれば良いと思う?」
「私も現地に行って……」
「それは駄目」
「どうして?」
「だって唯香が感染したら困るし、現地に入ってしまったら暫く戻って来られなくなっちゃうよ」
「それは治癒士として仕方の無いことだよ。今こうしている瞬間にも、助けを必要としている人がいるんだから私も現地に行かせて」
「駄目というか、僕が嫌なんだ」
「健人……仮に私が感染しても、健人が治療してくれれば大丈夫じゃないの?」
「そうかもしれないけど……治安も悪化しているみたいなんだ」
「えっ、どういうこと?」
「感染があまりにも広がってしまって、警察組織みたいなものも機能しなくなっちゃってるみたいで、略奪とか暴動が起こっている地域もあるんだ」
普段街の治安を守っている騎士団とか守備隊とかの組織すらも、疫病に感染する者が続出して人員が確保できなくなっているようです。
こんな深刻な状況なんだから、みんなが力を合わせて乗り越えないといけないと思うのですが、中には世紀末思想のようなものに囚われて、どうせ死ぬなら欲望の限りを尽くしてから死んでやる……みたいな人間が出て来ているみたいです。
「そんな……その人たちは、一体何を考えているの?」
「さぁ、僕にも理解できないけど、そういう人がいるみたいなんだ」
「でも、治療を行っている施設なら護衛をする人とかはいないの?」
「一応いるとは思うけど、今のリーベンシュタインは何が起こっても不思議じゃないぐらいの状態なんで、唯香やマノンを行かせたくない。僕は大抵の怪我や病気は治せるけど、それでも鈍器で頭を殴られて脳が破壊されてしまったら、元の状態に戻せる自信は無いんだ」
僕が全力で治癒魔術を使えば、欠損部位の修復さえ出来てしまいますが、それは命があればの話です。
脳に深刻なダメージを受けていたり、首と胴体が分かれてしまった状態では、回復させられるか自信がありません。
困っている人がいるのにケチ臭いと思われても、自己チューだと思われても、危険な場所に唯香を行かせたくありません。
「ヘルトやフルトを護衛に連れて行っても駄目?」
「うーん……もう少し状況が安定したら考えてもいいけど、今はまだ行かせたくない」
「分かった、そういう事情じゃ仕方ないわね。健人も無理しないでね」
「うん、分かってる。クラウスさんからも、過干渉にならないようにしろって言われてるからね」
今回の疫病の流行に対して、僕が各地から支援物資を集めて配送する役割を担うのは仕方がないことだとして、実際の封じ込めや治療などは出来るだけ現地の人間にやらせるようにクラウスさんから言われています。
日本からのマスクや手袋、防護服なども、今後は代用品を考えるようにして、例え僕が存在しなくても大丈夫な体制を作らせる必要があるのだそうです。
もちろん、僕は簡単に消えるつもりはありませんけど、不老不死という訳ではないので、いつかはこの世から消える運命にあります。
消えなくても、年を取って動けなくなる日も来るでしょう。
その時に、僕がいないから何も出来ないようでは困ってしまいます。
そうした状況を作らないためにも、僕が干渉しすぎないようにクラウスさんは釘を刺したのでしょう。
「じゃあ、健人も治療はしていないの?」
「いや、あまりにも酷い状況の所ではエリアヒールを使っているよ。ただ、それでも全員を救うことは出来ていないけどね」
「いったい、何時まで続くのかな?」
「まだ支援を始めて四日目だから、効果が出るのはこれからだろうし、焦ってどうなるものでもないんだと思う」
「そうだよね、健人なら何でも出来てしまうって思っちゃうけど、出来ないこともあるんだよね」
「勿論、僕だって出来ないことだらけだよ」
出来る事も多いけど、やり過ぎると怒られますしね。
「でも、健人も手出し出来ない、私も行っちゃ駄目じゃ出来る事が無いよ」
「日本の薬は……持って来ない方が良いのかな?」
「腸にダメージを与えるウイルスに効くような薬ってあるのかな? 薬草を煎じた漢方薬みたいな薬はもう使ってるよね?」
「たぶん、使える物は何でも使ってると思うよ」
「あとは、日本の整腸剤を持ってきて服用させるぐらいじゃない?」
「整腸剤? 下痢止めみたいなの?」
「ううん、下痢の症状がある時は、お腹の中に原因となる細菌とかが残っている状態だから、むしろ排泄を促した方がいいんだって」
嘔吐や下痢は、体から異物を排除する反応だそうで、水分を補給することが前提ですが、無理に止めない方が良いそうです。
「整腸剤っていうのは?」
「腸の調子を整える、よく生きたまま腸に届く……みたいな宣伝してるやつだよ」
「それってサプリみたいなものじゃないの?」
「機能性表示食品とか、指定医薬部外品とか、色々あるみたい」
むむっ、なんだか難しい言葉が出てきましたね。
「それって、どう違うの?」
「機能性表示食品っていうのは、特定の効果があると科学的に証明出来ますって届け出た食品で、いわゆるサプリって感じで、指定医薬部外品は以前は医薬品として売られていたもので、薬局以外のコンビニとかでも売れるようになったものみたい」
「じゃあ、その指定医薬部外品って物の方がいいのかな?」
「うーん……どうだろう、効果としてはありそうだよね」
「コンビニとかでも買えるなら、僕が日本で仕入れちゃっても大丈夫そうだけど……クラウスさんと相談してみるよ」
「そうだね」
唯香は守備隊の治癒院で治療をしていますが、治癒魔術による治療なので、日本の医師ほどの専門知識はありません。
やっぱり専門の医師に助言をしてもらった方が良さそうですが、日本の医療器材や医薬品の持ち込みはクラウスさんが難色を示すかもしれません。
とりあえず、動く前に相談した方が良いのでしょうが、魔術でドーンみたいな感じで解決できないのはもどかしいですね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます