第701話 予想以上の惨状

 昨晩取りまとめた疫病対策を携えて、リーベンシュタインへと向かいました。

 僕は出入り禁止を食らっている身の上ですが、クラウスさんの使者ですから仕方ないですよね。


 クラウスさんからは、領主の館の執務机にでも置いてくれば良いと言われていますので、そうさせてもらう予定です。

 パッと行って、サッと置いて、ススッと視察して帰ってこようと思ったのですが、影の空間に潜ったところでラインハルトが報告に来ました。


『ケント様、かなりの大事になっておりますぞ』


 ラインハルトの念話からは緊迫した感じが伝わってきます。

 ロックオーガの大軍が押し寄せて来ても、笑って向かって行くラインハルトが、これほどまでに張り詰めているのは余程の状況なのでしょう。


 リーベンシュタインへ移動して、鐘楼から領都を見下ろすと、あちこちから黒い煙が立ち上っていました。


「あれ、何の煙?」

『遺体を集めて燃やしている煙のようですぞ』

「えぇぇぇ……」


 煙が上がっている方向へと影移動すると、広場に無造作に積み上げられた遺体を奇妙な恰好をした魔術士たちが、火の魔術を使って燃やしていました。

 魔術師たちは、シーツを雑に切っただけのような白いローブをまとい、犬の鼻面を連想するような革のマスクで口と鼻を覆っています。


 どうやら、防疫マニュアルを届けるまでもなく、独自の対策を始めているようです。

 ただし、状況がかなり深刻なのは間違いないでしょう。


 少し影を伝って移動しただけでも、道端に倒れて動かない人を何人も見掛けます。

 家の中でも、洗面台に突っ伏したままの人や、ベッドに横たわっている子供をゲッソリとした大人が看病している姿があります。


 このままでは、リーベンシュタインという領地が無くなってしまうのではないかと思うほどの惨状です。


「とりあえず、領主の館に行こう」


 領主の館を外から眺めてみると、ここでも黒い煙が立ち上っていました。

 どうやら、助けを求めて来た住民を受け入れて、野戦病院のような状態になっているようです。


 ここでもマスクとローブ姿の者達が動き回っていますが、マスクの絶対数が足りていないようで、何の防護もせずに手当に奔走している人の姿もあります。

 そして、手当を行う者に対して患者の数が多すぎるのでしょう、衛生状態はお世辞にも良いとは言えない状況です。


 患者の吐瀉物や排泄物によって、二次感染が広がっているのは間違いありません。


「これは、マニュアルを届けて終わりとはいかないね」

『そうですな、回復ポーションも圧倒的に不足しているようですし、清潔な着替えや寝具も無いので疫病が広がり放題のようです』


 防疫マニュアルには、クラウスさんからの書状が添えられていますが、その他にポーションその他の資材を早急に届けるというメッセージも添えることにしました。


「ラインハルト、コボルト隊を使ってポーションなどを支援してもらえるように各地に連絡して」

『了解ですぞ』

「それと、リーベンシュタインの各地を回って、治療を引き受けている施設を見つけておいて。ただし、影の空間からは出ない事、いいね」

『了解!』


 領主の執務室へと移動すると、女性領主アロイジアが頭を抱えていました。

 かなりふくよかな体型をしていましたが、心労のためか、それとも感染したのか、ゲッソリとしています。


 大きなテーブルを囲んで、数人の男性と対策を練っているようですが、皆一様に沈んだ表情をしています。

 領都でさえもこの有り様なんですから、周辺の街や村などは更に悲惨な状況でもおかしくありません。


「ブライヒベルグやフェアリンゲンからの支援は、まだ届かないのか?」

「支援を拠出してくれたとしても、ここまで届く前に消費されている可能性があります」

「このままでは全滅もあり得るぞ」

「騎士団の者たちにも発病する者が相次いでおります」

「マスクが足りない……いや、何もかもが足りない!」


 意見というよりも、愚痴や文句しか出て来ないという感じです。

 何かを言いかけて、また考えに沈むという感じを繰り返しているアロイジアの前に闇の盾を出し、携えて来た防疫マニュアルを置きました。


「これは……ケント・コクブなのか! 待て、待ってくれ……頼む、助けて欲しい……」


 絞り出すようなアロイジアの言葉を聞けば、過去の軋轢などに拘っている場合ではないのだと僕にだって分かります。


「これから、各地を回って支援物資を搔き集めてきます。それは疫病を封じ込めるためのマニュアルです。可能なところから進めて下さい」

「すまない、感謝する……」


 急いでヴォルザードへ戻り、報告用に撮影した街の映像なども見せながら、クラウスさんにリーベンシュタインの現状を説明しました。


「くそっ、そんなに酷い状態なのか。分かった、守備隊に在庫している回復ポーションを拠出する。その他、防疫に必要な物を集めておく。準備が出来たら知らせるから取りに来い」

「分かりました」

「あぁ、ちょっと待て。こっちでリーベンシュタインの街や村のリストを作ってやる。支援物資の配布が偏らないように調整してやるから、集めた物資は一旦ヴォルザードのギルドにある倉庫に集めろ。仕分けもそこでやる」

「了解です」


 クラウスさんにしても、ブライヒベルグのナシオスさんから聞いた噂でしか疫病の流行を意識していなかったのでしょう。

 七割死亡とか、街に遺体が転がっていると話で聞いても、実感が伴っていなかったんだと思います。


 コボルト隊によって、リーベンシュタインの悲惨な現状が伝えられると、各地から支援の準備を進めるという知らせが届きました。

 そして、僕も日本の梶川さんに連絡を取りました。


「ご無沙汰してます、梶川さん」

「やぁ、国分君、その後の進展を伝えられずに申し訳ない」

「いえ、有耶無耶にされるつもりは無いですけど、時間は掛かると思ってますので……それよりも、お願いがあるんですが」

「何かな?」

「実は、ランズヘルト共和国のリーベンシュタインで悪性の感染症が流行していまして、かなり悲惨な状態になっています」

「という事は支援のための物資だね?」

「はい、マスク、手袋、防護服などを用意してもらえると助かるのですが……」

「分かった、あちこち在庫がダブついている所もありそうだから、問題ないと思う。早急に搔き集めて、いつもの倉庫に積んでおくよ」

「よろしくお願いします」


 梶川さんにお礼を言ってから電話を切りました。

 うん、費用の話をしなかったのは、わざとですよ。


 小惑星の破壊にあれだけ奔走したのに、未だに報酬の支払いが無いんですからね。

 この程度の支援物資は、無償で拠出してもらおうじゃないですか。


 支援物資は集まってくるとして、もう一つやらなきゃいけない事ができました。

 それは防疫マニュアルのコピーです。


 各領主に配れば良いと思ってたけど、現場に配らないと意味ないですもんね。

 大量のコピーを引き受けてくれるお店を探して、二百部の印刷をお願いしました。


 普通のコピー機と違って、原稿データをスキャンして印刷するそうで、早い、早い。

 想像していた十分の一ぐらいの時間で印刷は完了しました。


 アラビア数字でページ番号を書いておいたので、ホチキス留めのファイリングまでやってもらえて大助かりです。

 二百部を手作業でホチキス留めとか、考えただけでウンザリしますもんね。


 印刷の終わった防疫マニュアルの束を抱えてヴォルザードのギルドに戻ると、各地からの支援物資が届き始めていました。

 おぉ、ドノバンさんが仕切ってくれているようです。


「お疲れ様です、ドノバンさん」

「ケントか、それは何だ?」

「昨晩、唯香たちとまとめた防疫の手引書です。二百部ありますので、支援物資に添えるようにしてもらえますか」

「これは、全く同じものなのか?」

「そうです、日本で頼んで印刷してもらいました」

「凄いものだな、こんな精巧な写しを大量に作れるのか」


 そういえば、こちらの世界では印刷による書籍は出回っていますけど、コピーはありませんもんね。

 普段から書類の山に埋もれているようなドノバンさんにとっては、色々と思うところがあるのかもしれませんね。


「何か言いたそうだな」

「いえいえ、別に、何も……」

「まぁいい、ちょっと来い」


 連れていかれた先にはテーブルが置かれていて、大きな地図が広げられていました。

 どうやらリーベンシュタインの地図のようです。


「これがリーベンシュタインの地図で、街や村、集落までを合わせると約百二十ほどになる。漏れが無いように届けられるか?」

「出来るかじゃなくて、やらなきゃなりませんよね」

「まぁ、そうだ。それと、状況次第だが放棄された集落もあるやもしれん」

「そうなっていない事を祈るしかないですよね」

「そうだが、現実的に起こっている場合には報告してくれ。使う人間がいないのに物資だけ運び込んでも無駄になるだけだからな」

「了解です。とりあえず、地図とリストを写させて下さい」


 地図をタブレットで撮影し、地名のリストは作ってあったものをもらいました。


「じゃあ、支援物資の準備が整うまでに、配送の準備を整えておきます」

「あぁ、そうしてくれ」


 ではでは、多くの人の支援をちゃんと届けられるように、配送の準備をするとしましょう。

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