第700話 アドバイザー

 自宅に戻って事情を話すと、唯香とマノンに領主の館まで送ってくれと言われました。

 クラウスさんやマリアンヌさんが、疫病対策をまとめる手助けをしたいそうです。


「夏休みだから治癒院での仕事も無いから、夜遅くなっても大丈夫だから」

「僕も手助けしたいし、勉強になると思うから」


 まぁ、そう言われてしまったら断る訳にはいきませんよね。

 結局、クラウスさんの書斎にトンボ返りして、唯香とマノンを召喚しました。


「助かるわ、二人ともありがとう」


 心強い援軍にマリアンヌさんは大喜びしています。


「ねぇ、健人。この対策が出来上がったら、日本でコピーしてきてくれない?」

「うん、いいよ。そうだよね、何枚も書くよりコンビニでコピーしてきた方が楽だよね」


 治癒院の現場で働いている唯香とマノンが加わったおかげで、対策はより具体的に、項目ごとに分割されて書き出されていきました。

 予防措置、隔離措置、患者への対応、治療にあたる者の心得、汚物の処理、遺体の処理など、すぐに手に入る資材で、可能な限りの対策が列挙されていきます。


「ねぇ、唯香。詳しい対策が必要なのは分かるけど、いきなりこれだけの事を徹底できるかな?」

「そうなのよねぇ、でも書き出しているのは流行を抑え込むのには必要な事ばかりだし、最終的には徹底してもらいたいのよね」

「それじゃあさ、最初に絶対に守らなきゃいけない事を絞り込んで、それは別に伝えた方が良いんじゃない?」

「そうだね。手洗いとか消毒とか、最初に始めることもピックアップしておく」


 ていうか、唯香が迷うそぶりも見せずに、こちらの言葉をスラスラと書いているのに驚きました。

 僕なんか、書類仕事とか殆どしないので、文字を書く時には考え考え書いてる状態です。


 これも治癒院で培われたスキルなんでしょうね。


「ねぇ、健人、ヴォルザードとブライヒベルグを繋いでる輸送システムは大丈夫なのかな?」

「大丈夫って、細菌やウイルスを持ち込まないって事?」

「そうそう、荷物と一緒に送られてきたら、こっちにも感染が広がるおそれがあるからね」

「うーん……どうなんだろう。一応、影の空間には生き物は入れないんだけど、細菌やウイルスまでカットされるかは不明なんだよね」

「じゃあ、警戒はしておいた方が良さそうね」

「うん、まだブライヒベルグまでは感染が広がっていないみたいだから、大丈夫だとは思うけど、念のための準備はしておいた方が良さそうだね」


 感染症の対策となると、人や物の移動には目を光らせなければなりません。

 一瞬にしてヴォルザードとブライヒベルグを移動する、闇の盾を使った輸送方法で細菌やウイルスまで運ばれてしまうとなると、感染拡大の大きな要因になりかねません。


 いっそ、日本から消毒用のスプレーとか持って来ちゃった方が良いんですかね。

 そんな事を考えていたら、唯香がマリアンヌさんに質問しました。


「マリアンヌさん、これまでにも疫病が流行した事はあるんですか?」

「そうね、何度か大きな流行があって、多数の死者を出した事もあるわ」

「ヴォルザードでも流行した事があるんですか?」

「いいえ、私の知る限りでは、ヴォルザードでの大きな流行は無かったはずよ。殆どの場合、イロスーン大森林が歯止めとなってバッケンハイムで止まるケースばかりね」

「そうですか……だとすると、イロスーン大森林よりも東側の風土病なのかしら」


 唯香の推測では、今回流行した疫病は、リーベンシュタインなどのイロスーン大森林よりも東側の土壌に潜んでいて、大雨による洪水が起こると表面化する細菌の可能性が高いようです。


「イロスーン大森林を越えて流行しないところを見ると、潜伏期間が短くて、重症化に至るまでが早いんじゃないかしら」

「なるほど……」


 なんて相槌を打っておいたけど、半分ぐらいしか理解出来ていないかも……。


「ユイカ、今の話をもう少し詳しくしてくれないか?」


 おぅ、クラウスさん、グッドタイミングです。


「潜伏期間というのは、細菌やウイルスが体内に入ってから症状が出るまでの期間を指します。潜伏期間が長い場合、感染に気付かずに遠くまで移動してしまう可能性が高まります。逆に、潜伏期間が短ければ、長距離を移動する前に発症して、感染に気付くか体調不良によって移動出来なくなる恐れが高まります」

「つまり、その潜伏期間って奴が短いほど、封じ込めは楽に進められるんだな」

「一応そうなりますが、封じ込めには色んな要素が絡みますから、楽と言えるかわかりません」

「うん、そうなんだろうが。こういう時には少しでも希望の持てる要素が必要になる。事態を好転させる可能性については、素直に喜んでおいた方がやる気がでるってもんだ」

「そうですね。潜伏期間が短いのは良いニュースです」


 唯香がキッパリと言い切ると、クラウスさんは満足げに頷いてみせました。


「それで、重症化するのが早いってのは、良い知らせじゃないよな?」

「はい、そちらは悪い知らせと思って下さい。急激に重症化すると、子供やお年寄りなど体力の無い人達が亡くなるケースが増えます」

「子供を守る手段は無いのか?」

「子供だけって事ですか?」

「だけでは無いが、子供は国の未来だからな、守るのは大人の役目ってもんだ」


 クラウスさんの気持ちは分るけど、死亡率の高い感染症で子供を優先的に救う手立ては思いつきませんね。


「健人、日本から点滴を輸入して子供に優先的に使う……のは難しいよね」

「うん、そもそも注射器も無いのに、いきなり点滴しますはハードル高いような気がする」

「だよね。そもそも、血管に針を刺す自信無いからなぁ……」


 下痢や嘔吐で体力が落ちた場合に、点滴で必要な水分や栄養素を補充するという知識はありますが、輸液の管理など専門的な知識が僕らにはありません。

 下手に手を出して、状態を悪化させてしまったら、現代医学に対する拒否反応が生まれかねません。


 かと言って、未知の感染症が流行している地域に医師を送ってほしいなんて日本政府に頼むのも気が引けるんですよねぇ。

 小惑星破壊に関する報酬も棚上げされたままですから、その程度のわがままを言っても許されるでしょうが、もしそれで派遣してもらった医師が感染して死亡したら……なんて考えてしまうと要請しづらいですよね。


「ねぇ、健人、私が現地に行くって……」

「それは、駄目!」

「どうして?」

「僕らにとっては未知の感染症だし、もし治癒魔術が効かなかったら困る」

「マリアンヌさん、現地では治癒魔術で治療を行っているんですよね?」

「そうね、でも私もユイカが現地に出向くのは反対よ」

「どうしてですか?」

「まず、現地が今どういう状況なのか分からない。ユイカが行って働ける環境にあるのかも分からない。それに治安がどうなっているのかも不安ね」


 マリアンヌさんの話によれば、過去に疫病が流行った時には治安が悪化して略奪騒ぎが起きた事もあるそうです。


「ユイカを派遣するには、現地の状況を確かめて、受け入れ態勢を整えてもらってからね」


 まだ日本にいた頃、海外で大きな災害があった時に、日本の救援隊はもっと早く駆け付けられないものかと思っていましたが、こうして考えてみると救援に行くのも簡単ではないんですね。

 僕一人ならば、ほいほい行ってきちゃいますけど、唯香やマノンを救援に向かわせるならば万全に体制を整えないといけませんね。


 まぁ、僕が送還術を使わない限り、唯香たちが現地入りする心配は無いですから、二人にはアドバイザー的な役割に徹してもらいましょう。

 唯香とマノンが協力してくれたので、より実践的な防疫マニュアルが出来上がりました。


 ランズヘルト共和国の各領地、それとマスターレーゼの分もコピーして、最終確認をしてもらった後でコボルト隊に届けてもらいました。


「これで当面の対応は良いんじゃない?」

「健人、リーベンシュタインの様子を見に行くんだよね?」

「うん、行くけど影の空間から見るだけにしておくよ」

「あんまりにも酷い状況だったら私も……」

「それは僕が見に行った結果で考えよう」


 自己中心的と思われるかもしれませんけど、僕としては唯香を現地入りさせるつもりはありません。

 自分は考え無しに突っ込んで行くくせに……なんて言われそうですが、それでも嫌なものは嫌なんです。


 防疫マニュアル作りを終えて帰宅したのは、日付が替わってからでしたが、メイサちゃんや美緒ちゃんたちも起きて待っていました。


「ねぇ、ケント、怖い病気が流行ってるの?」

「うん、まだリーベンシュタイン周辺だけだけどね」

「罹ったら死んじゃうの?」

「何の治療もしなかったら、死んでしまう確率が高い病気みたいだけど、たぶんヴォルザードまでは来ないと思うよ」

「そうなの?」

「うん、これまでの例だとイロスーン大森林よりも東側で止まっているみたいだからね」

「じゃあ、大丈夫なのかなぁ……ヴォルザードでも流行して、友達とか知り合いが死んじゃったら嫌だもんね」

「そうならないように、クラウスさん達が頑張ってくれているから大丈夫だよ」


 僕や唯香、マノンが慌ただしく出掛けていったから心配になったんでしょう。

 話を聞いて安心したのか、メイサちゃんたちは部屋に戻って眠ったようです。


 さて、明日はリーベンシュタインの現状視察ですけど、どうなっていることやら……。

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