第695話 ルジェクとミック 後編

※今回は美緒ちゃん目線の話になります。


 朝食を済ませて、昨日仕入れてきた服に着替えて、ルジェクと一緒にケントお義兄ちゃんのところへ向かう。

 いよいよ今日は、ブライヒベルグまで仕入れに行く。


 日本にいると危ないからヴォルザードで暮らすようになったけど、まだ街の外に出たのはジョベートに行った時だけだ。

 ヴォルザードには、ケントお義兄ちゃんの眷属であるコボルト隊や、地球には存在しない巨大な狼や猫、トカゲなどもいるから退屈なんてする暇は無い。


 それでも、もっと色々な場所に行ってみたいという思いはあった。


「ケントの兄貴、準備できたぜ!」

「おぉ、土埃でメイクしてきたのか」

「へへぇ、どう、どう?」

「うん、美緒ちゃんの可愛さは失われちゃったけど、ミックとしては良いね」

「でしょ、でしょ」


 ケントお義兄ちゃんに顔が綺麗だから女の子だってバレちゃうかも……なんて言われたから、庭の土を少し顔とか服にまぶしてみたのだ。

 変装するならリアリティを追及しないといけないからね。


「ルジェクからは、美緒ちゃんの変装はどう見える?」

「か、顔を汚したぐらいではミオ様の可愛らしさは失われたりしません」

「ちょっとルジェク、これは変装なんだから男の子に見えなきゃ意味無いの!」

「ですが、ミオ様は……」

「もう、この格好の時は美緒じゃなくてミックだって言ってるでしょ!」

「すみません……」


 せっかく新しい街に出掛けられるというのに、なんだかルジェクは浮かない顔をしている。


「ルジェク、緊張しているの?」

「はい、少し……」

「大丈夫だよ、コボルト隊も影の中から見守ってくれるんだし心配無いよ」

「でも、僕がケント様みたいに強ければ、ミオ様に変装なんてさせなくても済むのに……」


 どうやらルジェクは、私が変装している理由が自分の実力不足にあると思って、悔しがっているみたいだ。

 俯いてしまったルジェクにケントお義兄ちゃんが声を掛けた。


「ルジェク、良く見てごらん。美緒ちゃんは変装嫌がってる? それとも楽しんでる?」

「えっ……」

「僕らの世界では、変装とか仮装をして楽しむイベントもあるんだよ。美緒ちゃん、変装嫌じゃないよね?」

「うん、楽しい」

「そうなんですか?」


 ケントお義兄ちゃんに聞かれたから楽しいと答えた訳じゃなく、実際変装するのを楽しんでいる。

 男の子になりすまして、知らない街を見て歩くなんて、物語に出て来るお忍びのお姫様みたいな感じだ。


 そう伝えると、ルジェクはポカーンとしていた。


「ルジェク、手を出して」

「は、はい……これは?」


 ケントお義兄ちゃんが差し出したのは、革製のリストバンドだ。

 幅は三センチぐらいで、腕時計のバンドみたいだが、何の飾りも付いていない。


「昨日話していたルジェクのための装備だよ。闇属性のゴーレムが仕込んであるから、そのベルトを着けていれば影に潜れるはず……やってみて」

「は、はい!」


 ルジェクはベルトを左腕に巻くと、影に潜れるか試していた。


「大丈夫です、潜れます」

「じゃあ、美緒ちゃんを連れて玄関まで移動できるか試してみて」

「はい、お願いします、ミオ様」

「もう、だからミックだって……はい、魔力を注入しないといけないんだよね?」

「は、はい、失礼します……んっ」


 ルジェクが口づけして、私に魔力を注入する。

 これで私も影の空間に入れるようになるのだ。


「やってみます!」


 ルジェクと手を繋いで、影の空間に潜る。

 それまでは壁や地面だったところが、ルジェクが魔術を使うと空気の壁になったようにスルリと通り抜けられるようになる。


 ただし影の空間は真っ暗で、私には前後左右どころか上下までが分からなくなってしまう。

 不安を感じて、思わずルジェクの手を強く握ってしまう。


「大丈夫です、ミオ様。僕がちゃんとお連れ……」

「ルジェク?」

「だ、大丈夫です。ぼ、僕が……僕が……」


 大丈夫と言っている割には、ルジェクがオロオロしているように感じる。

 ルジェクは意識していないのだろうが、繋いでいる手が震えている。


「ルジェク、もしかして……」

「うひゃぁぁぁ!」


 急に叫び声を上げたルジェクが抱き付いてきた。


「わふぅ、こっちだよ……」


 どうやらルジェクは、コボルトに背中を叩かれ、驚いて抱き付いてきたみたいだ。

 コボルトに手を引かれて戻った先は、ケントお義兄ちゃんがいるリビングだった。


「わぅ、ご主人様、ルジェク迷子になってた」

「す、すみません……」

「まだ行先の指定は上手くいかないか……まぁ、これから練習だね」


 ケントお義兄ちゃんが作ってくれた装備で影に潜れるようになったルジェクだけれど、まだ思ったところに行けないらしい。

 他の街でも、日本でも自由に行ったり来たり出来るケントお義兄ちゃんとは随分差があるみたいだ。


「ブライヒベルグまではマルトに案内させるから大丈夫だよ。帰って来る時も、マルトを待機させておくから心配しなくていいからね」

「はい、分かりました」


 マルトが案内してくれることになったけど、玄関にも移動できなかったことで少し凹んでいるルジェクの肩をケントお義兄ちゃんがポンポンと叩いた。


「ルジェク、何事も最初から上手くはいかないものだよ。一歩ずつ進めば良いんだからね」

「はい、分かりました」

「とりあえず、美緒ちゃんを連れて影に素早く入れるか、そこだけは確認しておいて」

「はい、ミオ様は僕の命に代えても……痛っ」


 突然、ケントお義兄ちゃんはルジェクにデコピンを食らわせました。


「美緒ちゃんは大事だけど、ルジェクだって大事な家族だと思ってるんだから、命に代えてもなんて言わないで。ちゃんと二人とも無事に戻って来るんだよ」

「はい……」


 頭をポンポンされてルジェクが頬を赤らめている姿は、とても良いもののはずだけど、何か嫌だった。


「ほら、ルジェク、早く行こう!」

「ちょっ、待って下さい、ミオ様!」

「ミオ様じゃない、ミック!」

「待って、ミック!」


 ケントお義兄ちゃんがくれたペンダントを掛けて、ルジェクの魔力を付与された状態なら、私だけでも闇の盾に潜れる。

 ただし、中に入ったら手を引いてもらうしかない。


「ルジェク、ちゃんと手を握っていてよね」

「分かってます、ミオ様」

「ミック! これから本番なんだから、ちゃんとしてくれよ!」

「わ、分かった」

「わぅ、二人とも外に出るよ」


 マルトに手を引かれて出た場所は、積み上げられた荷物の間だった。


「あっちの事務所にアウグスト様がいるから、ちゃんと挨拶するんだぞ」

「わ、分かりました」


 うんうんと大きく頷いたマルトは、ポフポフとルジェクの背中を叩いてから影に潜っていった。


「行きましょう、ミオ様」

「ミック! もうブライヒベルグに来たんだから、ちゃんとしようぜ」

「わ、分かったよ、ミック」


 分かったと言っているけど、大丈夫だろうか。

 事務所を訪ねてケント・コクブの使いだと名乗り、アウグストさん宛の手紙を手渡した。


 五分も待たずに事務所の中へと案内されると、そこには冒険者風の服装をした若い男性が笑みを浮かべて待っていた。

 アウグストさんとは、以前ヴォルザードの領主の館で開かれたパーティーで顔を会わせた事がある。


 あの時は貴族風の服装をされていたけど、冒険者風の服装だとクラウスさんに似ている。

 ただ、アウグストさんの方が若いせいか、パリっとしてヨレていない気がする。


「よく来たねルジェク、それに今日はミックか」

「は、はじめまして、ルジェクと申します」

「ご無沙汰してます、唯香の妹、美緒……」

「あぁ、堅苦しい挨拶は抜きにしよう。ここではアウグストの兄貴、もしくはアウグストの兄ぃって呼んでくれ」


 ニヤリと笑ってみせるアウグストさんは芝居っ気たっぷりで、やっぱりクラウスさんの息子だと感じる。

 ここは、ブライヒベルグからヴォルザードへ荷物を送るための集荷場だそうで、荒っぽい男達に舐められないように仕事をするには芝居も必要なんだそうだ。


 そのアウグストさんから、仕入れに行くならば一流の商人になりきるか、駆け出し商人になりきって謙虚に教えを乞うてみるといいとルジェクはアドバイスされていた。

 アウグストさんの所に来たのは、ルジェクの顔合わせのためなので、挨拶を終えたらすぐに仕入れに出掛ける。


 ルジェクが選んだのは、駆け出しの商人として教えを乞う方法だったようで、地図を片手に手の空いていそうな店の人に訊ねながら仕入れを始めた。

 目的の野菜の売っている店の場所を訊ね、店についたら良い野菜の見分け方を訊ね、値段の相場を訊ね、メモしながら仕入れを続けていく。


 何から何まで訊ねていたら、素人だと思って高い値段で売り付けられてしまわないか心配だったが、ルジェクと店の人の会話を横から見ていると、余計な心配だったと思った。

 ルジェクは申し訳なさそうに何度も頭を下げながら、すごく真面目に教わっている。


 ルジェクが真面目だから、店の人もちゃんと向き合って説明して商売してくれているようだ。

 仕入れた野菜は、用意してきた大きな袋にいれてもらい、二人で担いで店を出た。


 それを人通りの少ない路地で影の空間に押し込むと、空になった袋が戻ってきた。

 コボルト隊が、お屋敷の厨房まで運んでくれているのだ。


 野菜の仕入れが終わったら、次は果物の仕入れをして、同様に路地裏で影の空間に押し込んだ。

 これで本来の仕入れは終わりなんだけど、最後に一つ、ケントお義兄ちゃんから面白い物を仕入れて来てほしいと頼まれている。


「ミック、どうする? 何か面白いものあった?」

「うーん……仕入れに夢中だったから、他の物は良く見てなかったんだけど……お土産みたいな感じのものかなぁ……」

「そう言えば、ヴォルザードには無い珍しい物とか言ってたよね」


 ケントお義兄ちゃんからの課題について考えていると、声を掛けられた。


「坊主、こんな所で何の相談してやがるんだ?」


 驚いてルジェクと一緒に声の方向を見ると、路地の入口を塞ぐように人相の悪い若い男が二人立っていた。


「べ、別に……何でもないです」

「そうビクビクするなよ。相談に乗ってやろうってだけだぜ」


 にじり寄って来る男達からは、店の人達から感じた親切心は欠片も感じられない。


「ルジェク、行こう……」


 ルジェクの手を引いて、路地の奥へと足を向けると、男達はニヤニヤと笑いながら後をついてくる。

 路地の奥で曲がって、別の路地から表通りに出ようと思ったけど、行く手に人影が立ち塞がった。


「どこに行くんだ、坊主」

「なぁ、ちょっと金貸せや」


 大人二人並んで歩ける程度の幅しかない路地の前後を、二人ずつ、四人の男に塞がれてしまった。

 誘拐された時の記憶が蘇ってきて、体が震え始めた。


「ミオ、魔力を注入するよ」

「んっ……」


 そこはミックでしょ……と思ったけど、ぐっと抱き寄せたルジェクの腕が思っていたよりも力強くて、ツッコミを入れる間も無く唇を塞がれてしまった。


「おいおい、何してんだガキ!」

「ガキの頃から男色とは恐れいっちまうなぁ」


 ゲラゲラと下品な笑い声を立て始めた男達をしり目に、ルジェクは私の手を引いて影の空間へと潜り込んだ。


「うぉ、どうなってやがる!」

「どこ行った、くそガキ!」


 男達の声は聞こえたけど、私たちを追い掛けて影の空間には入って来られないようだ。


「はぁぁぁ……良かった。マルト、ブライヒベルグの街の別の場所に出られるようにしてくれないかな」

「わふぅ、いいよ。ルジェク、今のはなかなか良かったぞ」

「ありがとう……」


 なんでだか、マルトがとても自慢げだけど、さっきのルジェクは確かに格好良かったかもしれない。

 いや、仕入れをしている時の真面目なルジェクも格好良かった。


 楽しいなぁ……ルジェクとは別の街にも仕入れに行ってみたいし、いつか日本を私が案内してあげたいな。

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