第696話 姉と弟
この夜、リーゼンブルグ王国の王城の一室で、カミラとディートヘルムの姉弟は余人を交えず二人きりで夕食を共にしていた。
カミラがケントの下へと嫁ぐ前に家族水入らずの時間を過ごしたいと、ディートヘルムから希望したのだ。
「姉上、輿入れ前のお忙しい時に時間を作っていただき、ありがとうございます」
「いいや、私よりもディーの方が忙しいだろう。疲れているのではないか?」
カミラが気遣うのも当然で、ディートヘルムの目の下には隈ができている。
王位を争っていた三人の兄が相次いで亡くなり、愚王と呼ばれていた父親さえも非業の死を遂げ、突然王位継承者となったのだ。
普通の国でも、次期国王として何の教育も受けていない状態から、突然王位を引き継ぐことになれば膨大な仕事をこなす必要に迫られる。
しかも、リーゼンブルグ王国は内政に問題が山積している状態だ。
西部地域の砂漠化、旧第一王子派と旧第二王子派の派閥争い、アーブル・カルヴァインによるクーデター未遂と鉱山管理の問題、更には、嵐によって壊滅的な被害を受けたラストック復興など、とてもディートヘルム一人で抱えきれる仕事量ではない。
「確かに多くの問題を抱えて大変ではありますが、多くの支援をいただいておりますし、支えてくれる者達もおります。それに、隣国との関係に頭を悩ませる必要が無いのですから、何とでもなりますよ」
「ふふっ、すっかり逞しくなったな」
「はい、魔王様のおかげです」
リーゼンブルグ王国の第四王子として生を受けたディートヘルムは、生まれつきからだが弱いと思われてきたが、実際には長年にわたって毒物を飲まされていた。
毒物の投与に気付いたケントの治療のおかげで、今は何の異常も無く健康そのもので、今では近衛騎士から剣の手ほどきを受けている。
それに加えてリーゼンブルグ王国は、長年に渡って敵対関係を続けてきた隣国バルシャニア帝国とケントの仲介によって和解し、国交正常化の途上にある。
バルシャニアからの侵略を気にすることなく、砂漠化した地域の緑化対策に人員や資金を投入できるのだから、ディートヘルムが感謝するのも当然の話だ。
「ラストックの復興具合はどうなっている?」
「いたって順調です。この機会に街を一から作り直すための町割りもできていますし、一部では建設も始まっています。何より、ラストックで何が必要なのかその日のうちに知らせが届き、揃えた物資をその日のうちに届けられるのですから、これほどありがたいことはありません」
ラストックの復興のためにケントが貸し出したコボルト隊によって、情報や物資は瞬時に届けられる。
輸送速度だけならば、地球の最先端すら上回るスピードだ。
人員は影の空間経由では輸送できないが、建設特需を見込んでグライスナー侯爵領の各地から作業員が続々と集まり、復興工事は急ピッチで勧められている。
「そうか、私の知るラストックの街は無くなってしまったが、新しい街並みが出来る様子は見られそうだな」
「ラストックは、姉上にとっては思い出深い街ですからね」
「この国を何とかしたい一心で、藁にも縋る気持ちでラストックに向かった日を昨日のように思い出せるぞ」
「申し訳ありませんでした。私がもっと健康であれば、姉上にあのようなご負担をお掛けしなくて済んだのに」
「ディーが謝る必要など無い、謝るのは私の方だ。まさか毒を盛られていたなどとは露とも思わず、心が弱いから体も丈夫にならないのだ……などと無体なことを言ってしまった。すまなかった」
カミラは居住まいを正して、ディートヘルムに深々と頭を下げてみせた。
「姉上、頭を上げて下さい。姉上が、たったお一人で頑張って下さったから、魔王様を召喚して下さったから、私は健康を取り戻すことが出来たのです。姉上が謝る必要などありません」
「許してくれるのか?」
「当たり前です。姉上は、いつでも私の目標だったのですから」
女性王族でありながら剣をたしなみ、愚鈍な兄達とは違って民を慈しむカミラは、ディートヘルムにとって理想とする人物だった。
「正直に言うと、厳しい言葉を投げ掛けてくる姉上を恨んだこともございました。ですが、それは何も出来ない情けない自分への苛立ちでしかない、八つ当たりだとも気付いていました。こうして健康を取り戻せた今は、姉上のように……いいえ、姉上を超える立派な王族、そして国王になってみせます」
「あぁ、本当に逞しくなった。私は何の心配もせずに魔王様の下へと嫁いでいける」
「そう、ですね……」
穏やかに微笑んだカミラに対して、意外にもディートヘルムは煮え切れない表情を浮かべてみせた。
「ん? どうした、ディートヘルム。私の輿入れには賛成してくれるのだろう?」
「それは勿論、魔王様がお望みなのですから反対する理由はございません。ただ……」
「ただ、どうした、何か不満があるのか?」
「姉上が、魔王様のお役に立てるのか少し不安です」
「私が……か?」
「はい、魔王様はヴォルザードの大きな屋敷にお住まいだそうですが、王族でも貴族でもなく市井の者と同じ暮らしをなさっていると聞いております」
「その通りだ。魔王様は堅苦しい生活をお望みではないからな」
「四人の奥方様は、ユイカ様とマノン様が治癒院で治療の仕事をなさっていらして、ベアトリーチェ様は魔王様の仕事の管理、そしてセラフィマ様が屋敷の管理をなさっていらっしゃるそうです」
「よ、良く知っているな」
「それは、姉上が輿入れなさる家ですから、気になるのは当然ですし、リーゼルトやノルトから話を聞いております」
「そ、そうか……」
「それで、姉上は魔王様のお屋敷で何をなさるおつもりですか?」
「わ、私は魔王様を支えて……」
「どのようにですか?」
「それは……」
ディートヘルムの問い掛けに対して、カミラが答えに詰まるなんて、これまでには無かったことだ。
「姉上、王族や貴族であれば子供を産み育てれば良いのでしょうが、魔王様の伴侶としては物足りないと思われてしまうのではありませんか?」
「そ、そんなことは……」
「姉上、姉上は閨で魔王様も満足させられていますか?」
「な、何を言い出すのだ。そんなことは……」
「重要です。魔王様との間に子宝に恵まれるには、ご寵愛を受け続ける必要があります」
「そ、それは……分かっている」
「では、魔王様に満足していただけるように振舞っていらっしゃるのですね?」
「それは……」
「まさか、魔王様がなされるがままではありませんよね?」
問い詰めるディートヘルムに対して、いつもは強気のカミラが頬を赤らめて視線を逸らしてみせた。
リーゼンブルグ王家では、女性王族が所定の年齢に達すると閨での振る舞いを教え込まれるのだが、カミラはその年齢の当時ラストックに駐在していたために、そうした教育を受けていなかった。
「はぁ……姉上、このままでは魔王様に愛想を尽かされてしまいます」
「そんな事は有り得ない。魔王様は私を愛してくださっている」
「だとしても、それに甘えているのは違うのではありませんか?」
「そ、そうかもしれないが……」
「姉上には、輿入れの日まで閨房術の手解きを受けていただきます」
「いや、その必要は……」
「姉上、これは姉上個人だけの問題ではなく、リーゼンブルグ王国の問題でもあるのです。良いですね」
「わ、分かった」
ディートヘルムの言動の影には、ノルトとリーゼルトを裏から操るリーゼンブルグの三忠臣の存在があったとか無かったとか……。
手解きの成果によって、ケントがベッドの上で鳴かされたとか鳴かされなかったとか……。
「そう言えば、ディートヘルム。そなたの伴侶はどうするつもりだ?」
「まだ決めておりませんが、正室にはバルシャニアの貴族の娘を貰うのが一番良いかと思っております」
バルシャニア皇家の一人娘であったセラフィマは、ケントの下へと輿入れしている。
今後のリーゼンブルグとバルシャニアの関係を考えれば、バルシャニア皇族に連なる者から正室を迎え入れるのが政略的には望ましい。
「ディーの気が進まないならば、リーゼンブルグの公爵家の娘を正室にしても良いのではないか?」
「いいえ、そちらは可能であればバルシャニアの皇太子に嫁がせたいと考えています」
「公爵家が納得すると思うか?」
「無論、根回しは十分にするつもりですし、友好のための結婚で遺恨を残すようなことはいたしません」
「そうか、それならば私から言うことは無い」
「はい、姉上こそ、魔王様の屋敷でセラフィマ様と喧嘩などなさらないで下さいよ」
「分かっている。心配するな、私にはセラフィマには無いものがあるからな」
カミラは豊かな膨らみを誇るように胸を張ってみせた。
「はぁ……姉上、そのような態度こそが無用な諍いを生むのです。それに、今は良いとしても月日を重ねれば若き日の容姿は維持できなくなるものですよ」
「い、維持してみせるから大丈夫だ」
「はぁ……なんだか、姉上と話をしていると心配になってきました」
「だ、大丈夫だ! 心配などいらぬ」
「私は出戻りした姉の嫁ぎ先を探すのは嫌ですからね」
「縁起でもないことを言うな! すぐに子宝に恵まれてみせるから、黙って見ておれ」
「はいはい、頼みましたよ」
この後もカミラとディートヘルムは、夜が更けるのも忘れて存分に語り合った。
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