第694話 ルジェクとミック 中編

※今回はルジェク目線の話になります。


「どうだい、ケントの兄貴。これなら女に見えないだろう?」


 お屋敷に戻って仕入れた服に着替えたミオ様は、ケント様の前で男の子のような口調で話し始めた。

 ダボダボっとしたシャツとズボン、艶やかな黒髪は作業用の鍔の短い帽子に押し込んでいて、パッと見た感じは男の子に見える。


「うん、まぁまぁかな」

「まぁまぁ? 俺のどこが女に見えるって言うんだよ!」


 ミオ様は、褒めてもらえると思っていた変装の評価が今一つだったので、頬を膨らませている。


「美緒ちゃんは可愛いからねぇ……良く見たら女の子ってバレちゃうよね」

「なっ、なに言ってるの、あたしは可愛くなんて……」

「ほらほら、女の子に戻っちゃってるよ」

「違う、これはケントお義兄ちゃん……じゃなくて、ケントの兄貴が揶揄うからでしょ!」


 顔を赤くしながら、両手をブンブン振って怒ってみせるミオ様は、ケント様がおっしゃる通り可愛らしい。

 そう思って見てしまうと、やっぱり女の子が変装しているようにしか見えなくなってしまった。


 クリっとした瞳に、柔らかそうな頬、ぷっくりした唇……やっぱりミオ様は可愛らしい。


「と、とにかく、この格好をしている時は、俺は美緒じゃなくてミックだから、ケントの兄貴もそのつもりでいてくれよな!」

「はいはい、分かったよミック。でも、シャツとかズボンが見るからに下ろしたてだから、明日出掛けるまでにクシャクシャにしておいた方がいいよ」

「あっ、そうか……分かった、そうする」

「ミック、喋り方が女の子みたいだよ」

「えっ、あっ、違う……お、俺は男だからな。わ、分かったぜ、明日までにクシャクシャにしておくぜ」


 ミオ様は、大丈夫だとばかりにケント様に向かって親指を突き出してみせたが、僕はちょっと不安だ。


「じゃあミック、一応合格ということでルジェクと一緒に仕入れに出掛けてもいいけど、僕が渡したペンダントは必ず身に付けておいてね」

「うん、分かった」

「唯香にも言った通り、コボルト隊の護衛は付けるけど、ギリギリまでは手出しをさせない。それは、ギリギリまではミックとルジェクが考えて行動しないといけない事でもあるんだからね」

「うん、分かってる」

「ルジェクも分かった?」

「は、はひぃ、分かりました!」


 突然ケント様から話を振られて、返事をする声が裏返ってしまった。


「大丈夫かなぁ……いざという時には、ルジェクがミックを連れて影の空間に逃げ込まないといけないんだからね。分かってる?」

「はい、頑張ります」

「じゃあ、二人には明日ブライヒベルグまで野菜と果物を仕入れにいってもらいます」

「えっ、ジョベートではないのですか?」

「うん、ジョベートには何度か行って慣れて来たよね。だから、そろそろ別の街に行ってもらおうと思うんだ」

「やったー、ルジェク、新しい街に行けるんだよ」

「は、はい……」


 ミオ様は大喜びしているけど、僕は胃がギューっとするような不安を感じている。

 ケント様の言う通り、ジョベートには何度か仕入れに行ったので、店の場所も覚えてきたし、顔なじみの店主さんも増えたおかげで緊張しないで買い物できるようになった。


 また全然知らない街に行き、道や店を覚えて、知らない人と交渉して買い物すると思ったら肩の上に重しが乗ったように感じてしまった。


「ルジェク……大丈夫?」

「は、はひぃ、大丈夫です、ケント様」

「うん、あんまり大丈夫そうじゃないね。まぁ、知らない土地に行くのは不安だと思うけど、ルジェクは迷子になっても影に潜れば帰って来られるんだから大丈夫だよ」

「そ、そうですけど……まだコボルト隊に手伝ってもらわないと潜れませんから……」


 僕は闇属性の魔法が使えるようで、ケント様のように影の世界に潜って移動する事ができる。

 ただし、ケント様の眷属であるコボルトに手伝ってもらわないと、僕一人では潜れない。


 ケント様に、どうやれば良いか教えてもらったのだが……。


『こう、するっと入る感じ、するっ……てね』


 身振り手振りに加えて、実演もしてもらったけど良く分からない。

 何度も何度も練習しているけど、するっ……の感覚が掴めないでいる。


「あっ、そうか! いい事を思いついた!」


 ケント様は、ポンっと手を叩くとニコっと微笑んでみせた。


「美緒ちゃん、ちょっとネックレスを貸してくれない?」

「えっ、これ?」

「そう、すぐ返すから大丈夫。ちょっと実験してみたいんだ」

「いいけど……何するの?」


 ケント様は、ミオ様が首から外したネックレスを受け取り、僕に差し出した。


「ルジェク、このネックレスを着けて影に潜れるか試してみて」

「えっ、でもこれはミオ様の……」

「いいから、早く」

「は、はい……」


 ペンダントを首に掛け、ケント様が用意した闇の盾へと手を伸ばすと、スルっと中に入れた。


「よし、じゃあ次は、普通の影に潜れるか試してみて」

「はい」


 テーブルの下にできた影に手を伸ばすと、これまでの苦労が嘘のようにすんなりと入れた。


「そのペンダントは美緒ちゃんが何処に連れていかれても分かるように、闇属性のゴーレムになってるんだ。僕の眷属だからコボルト隊に手を握ってもらったのと同じ様に影に潜れたんだろうね。よし、明日までにルジェク用の装備を作っておくよ」

「ありがとうございます」

「良かったね、ルジェク」

「はい、ミオ様」

「もう、ミオじゃなくてミックだよ」

「美緒ちゃん、言葉使いが女の子に戻ってるよ」

「ち、違うの、ルジェクがミオ様なんて呼ぶから……んっ」

「いやいや、美緒ちゃん、そこでお仕置きのチューは違うんじゃない?」

「えっ、やっ、違う……ルジェクが悪いんだからね!」


 ニヤニヤと笑うケント様に眺められて、ミオ様は真っ赤になって頬を膨らませている。

 うん、僕がしっかりしないといけないですね、ケント様。


「ルジェク、厨房に行って、どんな野菜と果物を仕入れて来れば良いのか聞いてきて。それと、アマンダさんの店とメリーヌさんのお店、それとシェアハウスにもお裾分けするから、その分も仕入れてきてね」

「分かりました」

「それと、ブライヒベルグにいるクラウスさんの長男アウグストさんの所に挨拶に行ってもらうから、そのつもりでいてね」

「は、はい……」

「大丈夫、大丈夫、アウグストさんは優しいし、クラウスさんみたいに癖は強くないから心配要らないよ」

「はぁ……」

「それにね、ルジェクには将来色々な場所に行って、色々な人と話をするような仕事をしてもらいたいと思ってる。それこそ、国王とか皇帝クラスの人とも会ってもらうようになるから、今のうちに少しずつ慣れておいて」

「わ、分かりました……」

「まぁ、今すぐって話じゃないから大丈夫だよ」

「はい……」


 ミオ様と仕入れに行く許可は貰えたけれど、色々な責任が増えて不安も感じている。

 厨房に行って、明日の仕入れの打ち合わせをして、ようやく一息つけた。


「ルジェク、あたしの部屋に行こう」

「はい、ミオ様」

「もう、この格好の時にはミックだって言ったでしょ」

「でも、話し方が……」

「あっ、それはルジェクがミオ様なんて呼ぶからでしょ……じゃなくて、呼ぶからだろう」

「お仕置きのチューは駄目ですよ、ミック」

「わ、分かってるよ。というか、ルジェクの堅苦しい喋り方も駄目だろう」

「それは……分かった、気を付けるよ」

「じゃあ、次に喋り方を間違えたら罰ゲームだからな」


 良い事を思いついたとばかりにニンマリしているミオ様の笑顔を見ると、ちょっと不安になる。


「罰ゲームって何をするんで……だ」

「うーん……仕入れの時の荷物持ちは?」

「でも荷物は影の空間に入れちゃうつもりだけど……」

「それは駄目じゃないの? 闇属性を使える人って、ランズヘルトでは少ないんで……だろう。人目に付かない場所で仕舞った方が良いだろう」

「そう、だな。じゃあ、そこまで運ぶ間、負けた方が荷物持ち」

「途中で失敗したら交代っていうのはどう……だ?」

「いい、よ。そうしよう」


 僕もミオ様も、普段とは違う喋り方をしているから、語尾が変な感じになってしまう。

 でも、明日のために今から練習しておいた方が良いかもしれない。


「でもさ……ルジェクは、その……俺とチューしたくないのか?」

「えっ? それは……男同士でしてたら変じゃ……だろう」

「そ、そうか……じゃあ、女の時は良いのか?」

「それは……嫌じゃないかも……」

「そ、そうか、分かった……じゃあ着替えるから、ルジェクはそっち向いてて」

「えっ、着替えちゃうんですか?」

「だって……ほら、クシャクシャにしておけってケントお……兄貴も言ってただろう」

「そ、そうだな……って、着替えるなら部屋から出てますから!」


 ミオ様がシャツのボタンを外し始めたので、慌てて廊下に出た。

 明日の練習をするなら、そのままの方が良い気もするけど……別に男の服装をしていなくても喋り方の練習はできるのか。


「着替え終えたよ」


 部屋に戻るとミオ様は、イグサという植物を編んだラグの上にペタンと座ってシャツを揉んでいた。


「じゃあ、これから喋り方の練習をするぞ」

「わ、分かった」

「失敗したらチューだからな」

「えっ、でも……」

「男同士は変でも、女の格好だったら良いんだろう?」

「はぁ……」

「いいから、やるぞ!」


 いつもと同じ女の子の服装で、男みたいに喋るミオ様は変な感じで、頭がこんがらがってしまった。

 何度も失敗して、いっぱいチューする事になってしまったけど、ミオ様は何だか楽しそうだった。

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