第693話 ルジェクとミック 前編

※今回は美緒ちゃん目線の話です。


 ヴォルザードの学校が夏休みに入った。

 ケントお義兄ちゃんの家にはプールがあるので、夏休みになったら毎日ルジェクと遊ぶつもりでいたけれど、ルジェクはお手伝いをしたいらしい。


「ケント様にお許しをいただいたので、ジョベート以外の街にも仕入れに行くことになりました」

「あたしも行く」

「えっ、ミオ様もですか?」

「ルジェクは、あたしと一緒じゃ嫌なの?」

「とんでもない、嫌ではありませんけど……」

「けど?」

「ミオ様のように容姿の整った方は、かどわかされる恐れがありますので……」

「誘拐……」


 誘拐と聞いた瞬間、心臓がドキドキして嫌な汗が噴き出してきた。

 日本で誘拐された時の記憶が蘇ってきて怖くなったのだ。


「ミ、ミオ様、大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫……だけど、ぎゅってして」

「えっ、ぎゅっとですか?」


 体がガタガタ震えだして、一人で立っていられなくなりそうで、あたしからルジェクに抱き付いた。


「ミ、ミオ様……」

「ぎゅってして……」

「は、はい!」


 ルジェクと抱きしめ合って、温もりを感じて、ようやく震えが治まってきた。

 これじゃあ駄目だ。


 誘拐と聞いただけで震えているようでは、どこにも出掛けられなくなってしまう。


「ミオ様、大丈夫ですか?」

「あたしも行く」

「えぇぇ、ですが……」

「ケントお義兄ちゃんには、ちゃんと許可をもらうから一緒に来て」

「はい」


 体の震えが治まったところで、ルジェクと一緒にケントお義兄ちゃんのところへ向かった。

 ケントお義兄ちゃんは、リビングでお姉ちゃんたちと何やら打ち合わせをしているところだった。


「お義兄ちゃん、あたしもルジェクと一緒に仕入れに行きたい」


 誘拐と聞いただけで震えてしまった事も含めて、ルジェクと一緒に行く許可が欲しいと頼むと、ケントお義兄ちゃんよりも先にお姉ちゃんが反対した。


「駄目よ。ルジェクの邪魔になるから、うちで大人しくしてなさい。一緒に遊ぶ時間はいくらでもあるでしょ」

「そういう事じゃないの! あたしは、誘拐される怖さを克服して、一人で行動できるようになりたいの!」

「駄目、美緒は自分で自分の身を守れないでしょ」

「そんな事言ったら、お姉ちゃんだって同じじゃない」

「私はルジェクと一緒に仕入れには行かないし、出歩くのはヴォルザードの街の中だけよ」

「安全な所にいるだけじゃ、誘拐の怖さを克服できないし、ジョベートには一緒に行ったもん!」

「あの時はマルトが一緒に行ってくれたんでしょ?」

「今回だって、ルジェク一人で仕入れに行く訳じゃなくて、コボルトの誰かに道案内してもらうんだから一緒だよ」

「それじゃあ安全な場所にいるのと一緒じゃない」

「一緒じゃないもん!」

「まぁまぁ、二人とも少し落ち着いて」


 お姉ちゃんと口喧嘩みたいな感じになってしまったら、ケントお義兄ちゃんが間に入って止めてくれた。


「唯香、僕は美緒ちゃんがルジェクと一緒に行った方が良いと思ってる。勿論、護衛のコボルトを同行させる」

「それなら家にいるのと変わらないんじゃない?」

「コボルト隊の護衛は付けるけど、ギリギリまで手出しさせないようにする。基本的にルジェクと美緒ちゃんで、どうすれば安全に仕入れが出来るか考えてもらうのはどうかな?」

「ギリギリって、どの程度まで手出しさせないつもり?」

「そうだなぁ……命に危険が及ぶ前なのは当然だけど、それ以外では拘束されて自分達だけでは脱出出来ない状況に陥るまでは手出ししないというのはどうかな?」

「それだと、またトラウマが増えたりしないかな?」

「じゃあ、それ以前でもルジェクがギブアップしたら助けるっていうのはどう?」

「うーん……」


 ケントお義兄ちゃんが妥協案を出してくれたけど、お姉ちゃんは考え込んだまま首を縦に振ろうとしない。


「お姉ちゃん、お願い!」

「仕入れ中の行動をコボルト隊に報告させて、改善点を指摘、回を重ねる毎に改善させるのはどうかな?」

「改善しなかったら?」

「その時は中止も止む無しかな」

「うーん……まぁ、それならいいか」

「やったー!」

「ただし、遊びに行くんじゃないんだからね、人前でキスして注目を集めるようなら即止めさせるからね。分かった?」

「分かった……約束する。でも、それなら周りの人に身分を誤解されないように、ルジェクが美緒様って呼ぶのも禁止だよね?」

「そうね。様をつけて呼ぶと、貴族とかお金持ちだと思われるかもしれないから、禁止した方がいいわね」

「分かった? ルジェク」

「分かりました、ミオさ……ん」


 本当は美緒って呼び捨てにしてもらいたいんだけど、まぁ半歩前進したから良しとしよう。

 それに、ルジェクと一緒に他の街まで仕入れに行くには、私が影の空間に潜れるように魔力を補給してもらわないといけない。


 だから、お仕置きのチューは無しでも大丈夫だ。


「それじゃあ、ルジェクと美緒ちゃんに最初の仕入れを頼むよ」

「はい、お任せ下さい」

「何を仕入れてくればいいの?」

「ダボっとしたシャツとズボン、それと労働者が使うような帽子と靴……つまり、美緒ちゃんが男の子に化けるための衣装を買って来て。ちゃんと男の子に見えるように、お金持ちには見えないように、みすぼらしすぎない程度の服を選んで来るように……駄目だったら何度でもやり直しさせるからね」

「分かりました」


 こうして、あたしはルジェクと一緒に変装用の服を買いに行くことになった。

 考えてみれば、ヴォルザードの街も学校とメイサちゃんの家以外は殆ど行った事が無い。


「ルジェク、どこで服を買うの?」

「分かりません」

「えぇぇ、分からないで出て来ちゃったの?」

「はい、分からない時は街の人に訊ねて教えてもらえとケント様に言われました」

「なるほど、仕入れの練習は始まってるんだね」

「はい、その通りです」

「じゃあ、その喋り方も直さないと駄目じゃない?」

「えっ、ですが……」

「仕入れに行くなら、あたしに対して様を付けるのも敬語でしゃべるのも禁止だよ。たぶん、コボルト達に見られてるから、ちゃんとしないと仕入れの本番に行かせてもらえなくなるよ」

「そんな……それは困ります」

「全然駄目、そこは……そんなの困るよ、とかじゃない?」

「そ、そうで……だね」


 この先、ルジェクがケントお義兄ちゃんの仕事を手伝うようになるには、今回のように喋り方とかを状況に応じて変える必要が出てくるだろう。

 特にルジェクの場合、影に潜れるという特技が使えるから、潜入活動などを任されるようになるかもしれない。


 そのためには、ボロが出ないように演技力が必要になって来るだろう。


「あたし……じゃなかった、俺も喋り方を男の子っぽくするから、ルジェクも頑張れよな」「は……お、おぅ、任せておい…………けよなぁ」

「じゃあ、何から買いにいく?」

「えっと……最初は見てみよう」

「見るってなにを?」

「普通の男の子がどんな服を着てるのか見てみよう」

「そうね……じゃなかった、そうだな、そうしよう」


 いけない、油断すると女の子の言葉使いになってしまう。

 もっと男の子になりきって喋らないと駄目だ。


 ちゃんと男の子になりきらないと、お姉ちゃんを納得させられないような気がする。

 街の中心部に向かって歩きながら、道行く労働者や同年代の男の子の服装を観察した。


「ルジェク、仕事に使うような丈夫な服がいいんじゃないか?」

「そうです……いや、そうだな……ミオさん」

「うーん……やっぱりルジェクの喋り方が硬い。そうだ、あたし……じゃなかった、俺は美緒じゃなくて別人ということにしよう」

「別人ですか?」

「そう、お芝居みたいに役になり切る感じ。どうせなら名前も変えて……ミックって呼んでくれ」

「えぇぇ……ミックさん」

「駄目駄目、この先ケントお義兄ちゃんと一緒に仕事をする時には、お義兄ちゃんが正体を隠して行動するような事もあるかもしれないんだよ。その時に、上手く演技できなかったら一緒に仕事させてもらえなくなるよ」

「そ、それは困ります」

「だったら、ちゃんとやろうよ……じゃない、やろうぜ。学校の男の子たちが話しているみたいに話そうぜ」

「わ、分かったよ……ミック」

「行くぞ、ルジェク」

「う、うん」


 この後、市場のおばちゃんたちに作業着を売っているお店を教えてもらって、シャツとズボンを買った。

 背が伸びても大丈夫なようにと少し大きめのサイズを選んで貰ったので、ダボっとして女の子だとは思われないだろう。


 幌布製の帽子と肩掛け鞄も買ったので、折角だから買った服に着替えてみた。


「どうだ、ルジェク。俺の名前はミックって言うんだ、よろしくな」

「えっ……う、うん」

「あとは、靴か。早く揃えて、家に戻って見てもらおうぜ」

「う、うん、そうだね」


 ルジェクの演技はまだまだだけど、あたしが思いっきり男の子に成りきれば、少しは吹っ切れるかな。

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