第692話 訓練場の裏方

「ケント、なるべく元気な奴を選んで捕まえて来いよ」


 生きた魔物と戦える実戦訓練場をオープンするにあたって、クラウスさんから要求されたのは魔物の質でした。


「えっ、普通の奴じゃ駄目なんですか?」

「駄目に決まってんだろう。捕まえて、即訓練に使えるとは限らない。場合によっては何日か檻の中で飼うことになるかもしれないんだぞ。少々のことじゃ、へこたれそうもない奴を選んで来い」


 確かに、居残り組を特訓した時のように、相手が待っているところに送還してすぐ戦う訳ではありません。

 僕は、守備隊から指定された檻に、指定された魔物を送還するだけです。


 実際に訓練を始めるまでに、水や餌を与えるのかは聞いていませんが、狭い檻に入れられればストレスを感じるでしょうし、弱る可能性はあります。


「でも、訓練を受けるのは駆け出しの冒険者ですし、あんまり強すぎるのも駄目ですよね?」

「馬鹿野郎、何のための訓練だと思ってんだ。魔物を倒す時の手順を思い返してみろ」

「魔物を倒す手順ですか? えっと……影の中から急所を狙って、光属性の攻撃魔術を打ち込んで終わりです」

「はぁぁ……お前に聞いた俺が馬鹿だった」


 まぁ、そういう意図で聞いているんじゃないと分かってましたけど、そんなに呆れなくても良いんじゃないですかね。


「いいか、普通の人間が魔物を安全に倒すには、弱らせてから止めを刺すもんなんだよ。その弱らせる過程を経験できなかったら、訓練する意味がねぇだろう」

「なるほど……じゃあ、上位種になりかけみたいなのが良いんですかね?」

「おぅ、同じゴブリンでも見るからにヤバそうなのを選んで来い。森に入れば、いつそんな奴に出会うか分からねぇんだからな」


 といったやり取りがあったので、納品するゴブリンとオークについては厳選させていただきました。

 産地は、もちろんヒュドラの討伐跡地。


 ここは誰かさんが粉々にしたヒュドラの血肉が飛び散っているために、土壌に魔力が満ちています。

 そのため、ミミズや虫系の魔物が強化され、それを餌にしたゴブリンも他の地域に比べると一回り体格が良くなっています。


 それに、ゴブリンなどが集まれば、当然それを狙うオークなども出没する訳で、厳しい生存環境の中で鍛えられた逸品となっております。

 更に、そうしたゴブリンの中から、怪我や病気などをしていない健康そうな個体を選りすぐり、守備隊の指定の檻へと送還、納品させていただきました。


 元リーゼンブルグ王国騎士団分団長のラインハルトも太鼓判を押す品質ですから、きっとご満足いただけると思います。


『ぶはははは、ケント様、このゴブリンでしたら並みのオークを追い払うかもしれませんぞ』

「うん、ヴォルザードの近くでは見掛けないサイズだね」

『これを駆け出しの冒険者に討伐させるのは、少々無理があるように感じますな』

「まぁ、ゴブリンなんか雑魚だぜ……みたいに舐めくさってる連中には、いい教訓になるんじゃない?」

『そうですな。訓練場には救護班も常駐させるとクラウス殿も申してましたから、街の外で遭遇するよりは遥かに安全でしょうな』


 実戦訓練場には、治療を行える人間を配置すると同時に、怪我をした時の応急処置の方法も教えるそうです。

 更に、その場で処置が難しい場合には、守備隊の治癒院へと担ぎ込まれる事になります。


 僕の天使、唯香とマノンのタッグに掛かれば、即死でなければ命を繋いでもらえるはずです。

 それだけのバックアップ体制を整えてもらえているのですから、少々イレギュラーな個体でも大丈夫でしょう。


 防壁の建設や魔物の納品を担当したので、訓練場オープン初日には見学に出掛けました。

 訓練場を見下ろせる城壁の上には、僕が予想していたよりも遥かに多くの人が見物に訪れていました。


 見物人の多くは、駆け出しから中堅ぐらいまでの冒険者のようですが、それ以外の一般人らしい人の姿もあります。

 城壁の上は、安息の曜日にはデートスポットになっていますし、今は夏休みの期間なのでカップルの姿も多くみられます。


「クラウスさん、ホントに娯楽施設にしようと思ってるのかな」

『街の中で暮らしている者にとっては、討伐を見る機会は少ないので、物珍しく感じるのでしょうな』

「でも、見ていて楽しいもんじゃないと思うけどなぁ……」

『そうですな。ですが、それは人それぞれですし、魔物に恨みのある者にとっては溜飲を下げる見世物なのかもしれませんぞ』


 見物人の中には、近藤と新旧コンビの姿もありました。

 どんな訓練が行われるのか偵察に来たのでしょうね。


 最近は、魔の森の訓練場に連れていってませんが、そろそろロックオーガの単独討伐が出来るぐらいに鍛えてあげましょうかね。

 周りのレベルが上がるなら、更なるレベルアップは必要でしょうし、腕を磨けばギルドのランクも上がって稼ぎも良くなるでしょう。


 うん、クラスメイトたちの生活まで考えちゃう僕って優しいよね。


『ケント様、そろそろ始まるようですぞ』

「おっ、二人一組でやるみたいだね」


 今日はオープン初日とあって、訓練を行うのは今年入隊した守備隊員たちだそうです。

 城壁の見物人からは見えていないようですが、領主のクラウスさん、守備隊の総隊長マリアンヌさん、それにギルドの顔役ドノバンさんの姿もあります。


 ヴォルザードのお歴々が見守る中で、いよいよ訓練が始まったのですが……これがもうグダグダです。


「おいおい、何やってんだ、あいつら」


 呆れたような声を上げるクラウスさんの横で、マリアンヌさんが頭を抱えています。

 守備隊員の名誉のために言いますと、新人の隊員でも対人の組手は行っているそうで、相手が人ならばそれなりに戦えるはずです。


 ただ、相手が活きの良いゴブリンとなると勝手が違うのでしょう。

 剣道を習っている人が、いきなりニホンザルと戦えと言われて戸惑っているみたいなものでしょう。


 それに、訓練のためなのか、攻撃魔術も身体強化魔術も使っていないようで、素の体力、持久力ではゴブリンに軍配が上がるようです。

 ゴブリンと守備隊員の追いかけっこを見守りながら、クラウスさんがドノバンさんに話し掛けました。


「それにしても、ケントの野郎、どこでこんなゴブリンを見つけてきやがるんだ」

「専用の狩場があるそうですよ」

「ジョーとかシューイチは、こんなのと一人で戦わされたんだろう? そりゃ、奴らが腕を上げるのも当然だ」

「もう足場が良い場所ならオーガも討伐するようです」

「ほう、それならば、ここを上手く運用すれば守備隊員も冒険者もレベルを引き上げられるな?」

「そうですね……経験に勝る訓練はありませんからね」


 そういう意味では、新人守備隊員の実戦経験は不足していると言わざるを得ませんね。

 最初のコンビは、ゴブリンに散々走り回らされた挙句、逆襲を食らって一人が負傷して次のコンビと交代になってしまいました。


 負傷して戻ってきた隊員は、応急処置の訓練材料に使われるようです。


「余程追い詰められているような場合を除いて、いきなりポーションを使ったりするな。魔物の爪や牙は汚れている。その汚れを残したまま傷を塞ぐと化膿する原因になるからな。痛かろうが洗え、徹底して洗え!」


 負傷した隊員は、傷口をバシャバシャと洗われる痛みに歯を食いしばっています。


「傷口の洗浄は、水属性の術士や魔道具、陣紙などの水を使え。川の水などは見た目は綺麗でも汚れている場合があるから気をつけろ!」


 実は、この傷口の洗浄や水に関する注意は唯香が提案したものです。

 ヴォルザードには、ウイルスとか細菌に関する知識が無かったので、負傷したらポーションで血止めをするといった治療が一般的だったそうです。


 細菌に感染すれば、当然治りが悪くなりますし、場合によっては命を落とすことになっていたそうです。

 傷口の徹底洗浄は当然痛みを伴いますし、唯香の提案を疑問視する人もいたようですが、治療の実績が積み上げられることで認められたそうです。


 負傷した隊員の治療が行われている一方で、ゴブリンは二組目のコンビによって討伐されました。

 こちらのコンビは最初から攻撃魔術を使っていましたから、訓練の方針変更があったのかもしれませんね。


「まぁ、あのゴブリンだったら魔術で削ってから仕留める方が無難だよね」

『そうですな、安全を優先するのであれば、妥当でしょうな』


 討伐したゴブリンは、魔石取り出しの教材となり、最初の訓練は終了。

 ゴブリンの死体は、コボルト隊が影の空間経由でヒュドラの討伐跡地に捨てに行きました。


 捨てたゴブリンの死体は他の魔物の餌となり、訓練用の魔物を育てる糧となる、これこそが持続可能な社会って奴ですね。

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