第689話 メイサの夏休み

※今回はメイサちゃん目線の話になります。


「ほら、メイサ! さっさと起きな!」

「ん、んーん……起きる……」

「着替えたら、洗濯しておいておくれ。ほら、ミリエもいつまで寝てんだい! 起きないなら朝食抜きだよ!」

「ひゃ、ひゃい! 起きます、起きます!」


 学校が休みになったけれど、あたしの一日はあまり変わらない。

 いつもと同じ時間にお母さんに起こされて、朝ご飯の前に洗濯を終わらせる。


 ミオは、絶対お昼まで寝ているんだ……なんて謎の気合いを入れていたけど、たぶんユイカさんに起こされているだろう。

 二階の物干し台に洗濯物を干し終えて、一階のお店に下りると下宿人のミリエが配膳を手伝っていた。


 うちに初めて来た頃には、何も出来ないポンコツだったけど、最近はまぁ人並みぐらいにはなっている。

 お姉様といって慕っているミドリさんの教えの賜物らしい。


 あのミリエを、ここまで落ち着いて行動出来るようにしたのだから、ミドリさんは相当な教え上手なのだろう。

 ただし、算術は相変わらずのポンコツだ。


 まぁ、算術に関しては、あたしも言えた義理ではないけれど……。


「ミリエ、今日は何の仕事をするんだい?」

「今日はお姉様と薬草の採取に行く予定です」

「それじゃあ、魔物に出くわさないように気を付けるんだよ」

「はい、十分に気を付けますけど、お姉様はお強いですから大丈夫です」


 ミドリさんの姿を思い浮かべているのだろう、ミリエは頬を赤らめて夢心地といった表情をしている。

 実際、ケントと同じ世界から来たミドリさんは、同年代の女性冒険者の中では頭一つ抜けた存在らしい。


 ケントが言うには、一人でオーガまで倒してしまうほどの腕前だそうだ。

 朝食を終えたミリエは、防具を身に付けて剣を腰に下げ、弾むような足取りで出掛けていった。


 ミリエが出掛けていくと、入れ替わるようにサチコが来る。


「おはようございます、アマンダさん。今日も暑くなりそうですね」


 出産が近付いて、サチコのお腹はうちのお母さんみたいに大きくなっている。

 陽気で元気いっぱいなのも、うちのお母さんに似ている。


「おはよう、サチコ」

「おはよう、メイサ。おっ、店の掃除やってくれてるんだ」

「そりゃあ、うちの店だからね。サチコは仕込みをお願いね」

「あいよ、任された!」


 店の椅子をテーブルに乗せ、床を掃き掃除した後にモップ掛けする。

 椅子を床に下ろしたら、テーブルと椅子の座面を拭いて店の掃除は完了だ。


「お母さん、表の掃除してくる!」

「はいよ、頼んだよ」


 店の前を掃き掃除して水を撒く頃には、日が高く昇って気温が上がり汗が流れてくる。


「メイサちゃん、毎日お手伝い偉いねぇ……」

「おはようございます、うちの店ですから当たり前ですよ」

「いやいや、なかなか出来ることじゃないよ。うちのボンクラに見習わせたいよ」


 ご近所さんや常連さんと挨拶を交わしながら掃除を終えたら、次は自宅の掃除だ。

 窓を開けて、ケントに習った風の魔術を使って天井や壁、床などの埃を家の外に追い出し、雑巾がけをして仕上げる。


 最後に、お風呂場を掃除して、ついでに水浴びをしながら汗だくになったシャツを洗濯して着替える。

 洗ったシャツは、後から干しても今の季節ならすぐに乾くから大丈夫だ。


 家の掃除が終わったら、店のテーブルで夏休みの宿題に立ち向かう。

 国語、社会、算術……いつもの年ならギリギリまで手を付けず、夏休みの最終日にベソをかきながら終わらせていたが、今年は早めに終わらせなければならない。


「おっ、気合い入ってるな、メイサ」

「邪魔しないでよ、サチコ。あと二日で終わらせなきゃいけないんだから」

「アマンダさんとの約束だもんな」


 学校は八月の二週目と三週目が休みになるが、うちの店の休みは二週目の闇の曜日から、三週目の闇の曜日の九日間だけだ。

 お店が休みの間、ケントの家にお泊りに出掛ける予定なのだ。


 ケントが、お母さんにも骨休めしてもらえるように、一緒に泊まりにおいでと言ってくれたのだ。

 お母さんは申し訳ないと断ろうとしたが、あたしが頼み込んで泊まりに行けることになった。


 その代わり、泊まりに行く日までに宿題を全部終わらせておくという交換条件を出されてしまった。

 宿題が終わらない限り泊まりに行けない。


 休みは九日もあるのだから、一日ぐらい遅れたって大丈夫だろう……なんてお母さんは言うけれど、ケントと一緒に過ごせる日が一日減るなんて許せる訳がない。

 何としても終わらせるのだ。


「メイサ、そろそろ店を開けるから片付けておくれ」

「えっ、もうそんな時間?」


 教科書と宿題をまとめて二階に駆け上がり、手を洗って開店準備を手伝う。

 サチコが働きに来るようになってから、うちの食堂の昼営業は三種類のセットメニューのみの形に変更した。


 パンやスープ、サラダなどの付け合わせは同じで、メインとなる食材だけ違いを付け、値段は全部同じにした。

 こうする事で、注文を受けてから出すまでの時間が大幅に短縮されたし、会計が凄く楽になった。


 いちいち計算しなくても、何人前でいくら、おつりはいくらと覚えてしまったから間違う心配もない。

 お客さんも値段で迷う必要がなくなったし、すぐ食べられるのが良いと好評だ。


 食材の無駄も減り、お客さんの回転も良くなり、店の儲けも増えている。

 お客さんから聞いた話では、うちを真似てセットメニューを出す店が出て来たらしい。


「メイサ、Bセットはおしまい。AとCも残り四つぐらい」

「分かった」


 うちに来る前は働いた事は無かったという話だが、サチコは本当に手際が良い。

 調理も出来るし、接客も上手いから本当に助かると、お母さんが毎日のように言っている。


 あたしの目にも、お母さんが二人に増えたのでは……と思うぐらい頼もしい。

 なにより、サチコの焼くケーキは絶品なのだ。


 ケントやサチコが生まれ育ったニホンという国は、ランズヘルト共和国よりも遥かに文明が進んだ国で、美味しいもので溢れている。

 一度ミオの家に遊びに行った時に連れていってもらったケーキ屋さんには、宝石箱みたいに綺麗で美味しそうなケーキが並べられていた。


 ニホンで売られているようなケーキを売る店を開くのがサチコの夢で、そのための練習を重ねている。

 ただ、ニホンで使われているような材料を揃えるのが大変だそうで、まだまだ夢の道半ばだという話だ。


 昼の営業が終わると、やっと昼食にありつける。

 朝から動き通しだから、お腹ペコペコだ。


 お昼の賄いは、お母さんとサチコが一品ずつ作る。

 新メニューの試作を兼ねて、二人がそれぞれ考えた物を作るのだ。


 今日のテーマは、冷たいパスタのようだ。

 お母さんが作ったのは、ガーム芋の冷たいポタージュに浸したパスタで、賽の目に切ったパンとベーコンを素揚げにしたものが浮かべてある。


 一方、サチコが作ったのはトマトと蒸し鶏のパスタだ。

 隠し味にニホンの調味料が使われているらしい。


「サチコのは、あっさりしているけど蒸し鶏がしっかりした満足感を与えてくれるね。隠し味はショーユだね」

「そうです。アマンダさんのは濃厚だけど後味がしつこくなくて良いですね。これ上にちらした薬味のおかげですよね?」

「シェロ葱は、そのままだと辛みや香りが強すぎるけど、こうした料理に使うと後味をスッキリさせてくれるのさ」

「なるほど、勉強になります。メイサはどっちが好みだった?」

「んー……どっちも好き。これがお昼のセットだったら悩んじゃうと思う」


 どっちも売り物にするかもしれないという気持ちで作ったものだから、普通以上に美味しいのだ。

 実際、お母さんとサチコは、それぞれのレシピを書いた紙を並べて、どのぐらいの原価が掛かるのか、調理の手間はどの程度なのか、一度に注文が入った時に対応できるのか……

などを話し合っている。


 お母さんは店の主人なんだから当然としても、同じレベルで話をしているサチコは凄いと思う。

 サチコならば、きっと夢を叶えられると思う。


 賄いを食べ終えた後は、お茶を飲みながら暫し休憩。

 あたしは二階から宿題と教科書を取ってきて、テーブルの上に広げる。


 この時間に取り組むのは、一番苦手な算術だ。

 お腹がいっぱいになって眠たくなる時間に、あえて算術の宿題をするのには理由がある。


 といっても大層な理由ではなくて、サチコに助けてもらうためだ。

 ニホンで生まれ育ったサチコは、国語や社会については知らないことが多いけど、算術については本当に頭が良い。


 そして、ケントよりも遥かに教え方が上手いのだ。

 ケントも簡単に算術の問題を解いてみせるし、答えも間違っていないのだが、途中の解き方の説明が下手だ。


 サチコは答えを教えるのではなく、解き方のヒントをくれて、私が答えを出せるように導いてくれる。

 おかげで同じような問題を解けるようになるし、サチコに手伝ってもらうなら、お母さんも文句を言わないのだ。


 うん、大丈夫。今のペースならば闇の曜日までに宿題は終わる。

 そしたら、いっぱい、いっぱいケントと一緒に遊ぶんだ。

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